これからの世界の在り方を経済や既成概念の転換から示唆する本、「隷属なき道」を読み終えて、留めておきたいフレーズを書き写して本を図書館に返却した。

次の人が手に取り、何か感じて、そしてまた別の人が読んで、勝山市に一冊の本から生じる蝶の羽ばたきがありますように。

BI(ベーシックインカム)というと、政府の経済対策でアドバイスをされている方が日本で導入するとしたら、の形に言及されているのがある。

いろんな形は考えられるが、私が読んできている学者や識者のものは彼のとは違う。彼は、こうではなかろうか。

「重商主義者に何が最も好きかと尋ねたら、より低い賃金、と答えるだろう-低ければ低いほど良い。低賃金の労働は、国の競争力を高め、輸出の増加を導く。
著名な経済学者バーナード•デ•マンデビルの言葉を借りれば、「奴隷を使うことが許されない自由な国において最も頼りになる富が、大勢の勤勉な貧しい人々であることは明白だ」」

日本の派遣労働の導入、高収入の職業に就く人にしても実質労働時間あるいは精神的拘束時間を勘案すれば、多くは"勤勉な貧しい人々"だ。


著者は続ける。
「マンデビルは視野が狭かったようだ。すでにわたしたちは、人間であれ国であれ、富がより多くの富を生むことを知っている。」


誰かから搾取せねば豊かにならない、世界経済はパイの奪い合いで成り立つ、という概念こそオワコンなのだ。今、成功するのは手を携えること。コラボであり、いかに互いがwinwinになるかを考えた事業だ。

もし日本が彼の形で導入するとしたら、世界経済からこぼれ落ちるだろうな。
なぜなら彼が見据えるのは"国の競争力"であって、その国に住み生活している生身の人間"個人個人から湧き上がる活力"を醸造し、社会の仕組みや経済の底上げする視野がないのだから。


「ユニバーサル•インカムだ。
それは数年間に限るものではなく、発展途上国や貧しい人々だけを対象とするものでもない。文字通り、フリーマネーは「すべての人」に与えられる。好意としてではなく、権利として与えられるのだ。」


働きもせずにお金をもらおうなんて、言語道断だ、と今まで勤勉で苦労してきた人生の先輩方がいうだろうけれど、実のところ、その考え方すら、固定概念だ。

働こうと思えば、なんだってやればいい、求人はあるではないか。

そう言い放つ先輩方。人間、なんでもできるって?
できないよ。できないのよ。
そしてやろうとしても雇われないことも多々あるのだよ。

あるいは働いても働いても、日常生活もカツカツくらいの収入しか得られず、掛け持ちする体力も気力もなく、それでも労働者が悪いのだろうか。

身障者が事業所で彼らなりに真面目に働いても、なぜ経済的自立ができない収入しか得られないのだろう。彼らの精一杯はお情けでしかみられないのは、彼らが悪いのだろうか。

フリーマネーの権利とは、ちゃんと生活をし、自分の身の回りを整え、消費者として納税者として社会の一員として、自分のケアをしっかりするための資金としてのものだ。

「わたしたちはかつてなく裕福になったというのに、なぜ1980年代以降、以前にもまして懸命に働いているのだろう。
はびこる貧困を一気に解消するだけの富があるというのに、なぜ数百万の人が今も貧困の中に生きているのだろう」


ふと、聖書にある話を思い出した。
夕暮れ時、説教を聴きに集まった群衆に、その時あったパン5つと魚2匹を神に祝福してから、皆に分け与えたのだ。皆は満足し、そして残ったパン屑を集めると、12の籠に一杯になったという。
ちなみに、分け合って食べた人数は男性だけでも5000人ほどいたという。
(マタイ14:13-21 他)


聖書の時代からも云われているのだ。
富を祝福し分け合うなら、減るのではない。増えるのだと。

私たちがこんなに働いて、物質的に豊かになる努力をして求めてきた福(しあわせ)とは、経済繁栄の象徴としてのお金ではなく、これではなかったろうか。



私の中にも今まで生きてきて身についてきた概念がたくさんある。それらを否定したり無意味だと捨てはしない。
ただ、時はうごいていて、寄るべとする概念もまた変遷するものだから、本質のエッセンスだけはしっかり見つめてゆきたい。

国のためじゃない。
世界に住む、それぞれの人生ドラマのある生身の人間の福(しあわせ)の泉が湧き、まわりを豊かにしてゆくための、国境を超えた世界の変革を迎えつつあると思う。