最近、遠慮について考えています。


母が今年の夏頃から
物忘れが目立つようになって…

自営の会計を私が引き継ぐことにして

最初はなかなか
手を引けずにいた母ですが

段々と私に任せるのが上手になって

やっと、私も自分のペースで
会計のすべてをできるようになりました。


「母のこと」というタイトルで
書き続けようと思っていたものは

躊躇する私がいて
更新できていません。

もう少し
整理がついたら
改めようと思っています。


母が、私に任せられなかったのには
遠慮があったのだと思います。

きちんとやらなきゃ
(今までのように誰にも迷惑をかけずに)
という気持ちと

そう思えば思うほど焦る母がいて
間違ってしまったり無くしてしまったり。

できなくなった自分を受け入れたくない
という気持ちもあったと思うのだけど、

それよりも母は
間違った事実を家族に
知られたくないようでした。

例えば、通帳がない!と思うと
家族には聞かず、銀行に聞いてしまうとか。

私たち家族からすれば
そのほうが大事で困ることなのに、

母にとっては
そのほうがずっと楽なようでした。


そんな母の様子から
大切な家族にこそ迷惑かけたくない
という気持ちを再確認して

自分にもあるなと思うし

セッションでお付き合いする
小さな子どもにも
よく起きていることだなと思いました。


そんな発見をしていた最中…


私の子どもたちも
私に遠慮している…

ということが
次々に発覚していますショボーン


長女が、この春進学するとき
一人暮らしをしてみたかったけど

私を一人にしてはいけないと思って
遠慮したと秋に知りました。

私はそうなってもいいなと
どちらかというと、
そちらの準備もしていたのに

長女は、それだけはないと
思い込んでいたそうです。

そう話したことがある
くらいの記憶だったとわかって、
ビックリしたほどです。


長男は、今月
母から車を譲り受けるのですが

自分仕様にカスタマイズしたいことは
たくさんなのに、

祖父に、こうしたいんだと
言い出せずに遠慮しています。



子どもが親(祖父母)に遠慮する。

自分も大いにしてきたことだけど、

自分が遠慮される立場になってみて
あまり気持ちいいものではないなと
実感します。


小さな子どもでも
親を思いやるあまりに、遠慮して、

泣かないようにしたり
抱かれないようにしたり
言いたいことを言わないようにしたり
しますが

それはある意味
美しい誤解であって
けなげな思いなわけです。

長女がしてくれた遠慮には
そういう思いやりを感じました。

だから、
受けとるのも苦ではなく

次に
一人暮らしをしたいと言ってくれば
よく言えたねと誉めてやろうと
思っています。


けど…

長女の遠慮と長男の遠慮は
少し質が違っていて
長男の遠慮には私、疼いていますびっくり


長男とやりとりしてみると

こうしたいという自分の思いは
贅沢だからと言うのです。

車が持てるだけ
ありがたいのだから

これ以上は望むべきではない
という声が聞こえてきました。

バチが当たるという言い方でしたが。


確かに、小さい頃から

人生、誠実に生きるのですよ。

嘘をついたらお日様が見てるから
お母さんにもわかってしまうよ。

不誠実さにはバチが当たるよ。

と小さい頃から教えて育てたけど、

それをはき違えているのなら
修正したいと思うし

悪いこともしていないのに
バチが当たると恐れるというのは

自分が誠実に生きていないという
自己評価なのかな?と思ったりして

流せない私がいました。

それについては確認できました。

自分は真面目に生きてるって
胸張れるようにね。

と送ったら即、

それは胸張って言える!
と返ってきたので安心しました。



幸せがやってくると

これは何かの間違いだとか
きっと後でバチが当たるに違いないとか

そんなふうに恐れる人はいませんか?

もしかしたら、
今までのご褒美かもしれないのに

罰は全身で受けるのに
ご褒美はいつまでも避けてしまう

そんな人って多いかもしれませんね。


幸せでも苦しみでも

やってくるものは
その時点で必要なものだから

受け入れていけばいいのです。


今ここに差し出されたもの
やってきたものを
ただ心して受けとればいい。


長男の受け取りかたは
不十分だと思うのです。

車は受け取っても
車に形を代えた祖父母の思いは
十分には受け取れないようです。

やりとりしたのですが
今の時点の彼は

どうしても
遠慮してしまうよー
とのことでした。

それも
人生半ばの彼なら仕方ないと
納得しました。

まだ22歳。
受け取りかたは
これからも学んでいけばいい。


長男から学んだものは
受け取り下手さんの心のからくり。

また一つ
引き出しが増えました。

甘え下手と受け取り下手は
やはり繋がっているようです。


それと、
かつて遠慮しいで受け取り下手だった
自分を抱き締める機会をもらいました。

生きるのが
本当に下手な自分だったな。


子どもたちには
自由に幸せに生きてほしいですね。

まだまだ、
親として伝えられることは
たくさんありそうです。