私の思考は、長いこと
「今」にはいないことが
多かったように思います。

何か思わぬことが起きると
今までの行いの何に罰が下ったのか
と思い巡らせたり。

これまでの
あのやり方が間違っていたに違いない
と自分を裁く。


起きたことが
残念だぁと味わえばいいだけなのに

こんなことになるなんて悲しい~
とひとしきり嘆けばいいだけなのに

それをするよりも前に、自動的に
矛先を自分に向けて
(他人に向けて怒る人もいますね)
必要以上に自分を責めてしまう。

過去のやり方に
エゴがいたわけではないのに

無理矢理、エゴを作り出して
そのエゴを責めるというパターンが
ありました。


だから、なかなか

ここからどうする?
という「今」には戻ってこられずに
思考の堂々巡りを繰り返していました。


今年の春の
ハートからのカウンセリングでは

「今にいること」
「未知に開いていること」
「スーパーエゴに気づくこと」を学び、

(エゴを作り出してまで、自分に
矢を向けるのがスーパーエゴの一つ)


最近では
今にいないとはどういうことか、

過去や未来に行ってしまうのって
こういう時だ!と、その瞬間を感じて
今にいることができるようになりました。


すると、セッションでも
そのような話をすることが多くなって

昨日も、そんなセッションがありました。



例え話になるかな…

今朝、次男と
こんなやりとりがありました スマホ

昨日の練習で
右足裏の皮が指5本の付け根から土踏まずまで
白く浮いてしまったのだそうです。

皮はまだ付いているものの
痛くて歩けないと。

3階の部屋から1階の食堂に行くのに
15分かかったというのです。

でも、練習は休みたくない。
けど、皮膚科に行かなきゃダメかなとか。


早く治す方が大事だから
思いきって休むようにと伝えたのだけど

それじゃー
「今まで頑張ってきた甲斐がない」
と次男。

その一言には
何かたくさんの思いが
詰まっているようでした。

やりとりを重ねると

今週末の試合では
条件が揃って出られそうだったからと、
とても受け入れられない様子でした。

受け入れられない、のは当然で
それは味わったらいい。

けど、今在るものを味わうより、
これまでを悔いたり、未来を心配したり。

次男の居場所が「今」ではないと
わかりました。


私が今、
次男にしてあげられることはあるか…

「今」に戻ってこられるように

そして
「今」に居続けられるように

と思いました。



練習の仕方が悪かったのでも
ケアを怠ったのでも

ましてや、ここまでの努力が
無駄になるわけでもないよ

ただ、残念なことが起きただけ。

と伝えると
少しトーンダウンしてきた次男。


それでも、残念さは残る。。。
これも当たり前…

悔しいんだね。

焦るね。

休みたくないね。

… それが当たり前だよ。


すると今度は、

「やれるところまでやってみる。
   やりもしないで休むとは言いたくない」

と返ってきて、

それには、
過去の後悔も、未来への不安もなく

今日どうするか?  という
「今」にエネルギーがあるのを感じて

私も納得したし、
安心がやってきました。


その後、

医者に行くなら自分で行くし
できるケアは自分でやる。

ありがと。がんばるわー。
とも返ってきました。


いつでも「今」を出発点にして

次の瞬間、
何が起きるかわからないままにして

では、今どうするか? という視点で
行動できると、シンプルで

結果、それ以上
悪くはならないような気がします。


きっと、次男も
大切な何かを得るのでしょうから。