地球一周の船旅 『たびログ』 -20ページ目

地球一周の船旅 『たびログ』

世界一周しちゃえば?(*^m^*) tabilog コメント&トラバはお気軽に♪

カンボジアでは10数年前まで内戦が行われていました。その時に埋められた地雷が今もカンボジアには残っています。その数は600万個とも言われます。年間800人以上の人がその被害に遭っています。

 

被害者が使う義手や義足、一ついくらぐらいだと思いますか?カンボジアでは義足1つ作るのに1万5千円ほどかかります。

日本の感覚で考えれば安いですね。買おうと思えば買える値段です。しかし、カンボジアではお金の価値が違います。国民の8割以上が農民であるカンボジア。農民の収入は家族が一ヶ月一生懸命働いても2500円ぐらいです。

 

 

ただでさえ地雷の被害者は農作業ができなくなって生活が苦しくなります。これでは義足は買えません。しかも、被害者が子どもだった場合は手足の成長に合わせて3ヶ月に1度義足や義手の取り替え、また手足を義足・義手に合わせるための手術をしなければなりません。ただでさえ毎日ぎりぎりの生活をしているのに、被害者の面倒を見ることができなくなります。そのため地雷被害者は家族に見捨てられてしまうこともあります。悲惨ですが、そうしないと他の家族が生きていけないのです。家族に見捨てられた被害者は都市や観光地などで物乞いや売春、日雇いの仕事をして生きることになります。

私はプノンペンのセントラルマーケットでポストカードを売る地雷被害者に会いました。「I steped the mine」とか「help me」とカタコトの英語で同情をかってポストカードを売ろうとする彼に、複雑な思いがしました。

想像してください。たった一発の地雷が、人を社会的にも人間的にも崩壊させてしまうかもしれないのです。今、現地ではNGOなどがその状況を何とかしようと無料で義足を作ったり、傷の処置をしたり、心のケアをしたりしています。これは昔の話ではありません。10年以上前に戦争が終わったカンボジアで今起きていることです。カンボジアの人たちにはまだ平和が訪れていません。

 

 

カンボジアは地雷撤去の技術が最も進んだ国です。でも地雷は金属探知機で探され、一つ一つ人間の手で撤去されています。それって危ないんじゃない?と思う人もいると思います。しかし機械を使っても、地雷は確実には撤去できません。地雷の撤去は限りなく100%に近い正確なものでないと意味がありません。人間の手作業での撤去が一番正確なのです。また地雷犬といって、火薬の臭いをかぎ分けてくれる犬も作業には大切な存在になっています。

 


次回は、私が実際にカンボジアの撤去現場や義足支援施設、病院などを訪れた時のことを、少し詳しく書こうと思います。

8th International Symposium April 18-22, 2005 Shiga, Japan

International Symposium (メインホームページ-英文)
世界花火大会概要 (滋賀県観光情報HP内) 


    
 20以上の国からの参加者を集め盛況の内に開催されてきた花火シンポジウムはカナダのモントリオールで1992で開催以来、バンクーバー(カナダ)1994、ウォルトディズニーワールド(オーランド)1996、ハリファクス(カナダ)1998、ナポリ(イタリア)2000、ウォルトディズニーワールド(オーランド)2001、バレンシア(スペイン)2003。と開催されてきました。
 このシンポジウムは世界の花火の産業にとって特別な国際的集会となっています。 これまでこのシンポジウムは多様な花火産業に関わる個々人に焦点をあて、最新の技術を目にしたり、花火産業を向上させ、花火の科学を前進・発展させる方法における経験やアイデアを交歓するための有意義な場をもたらしてきました。
 シンポジウムが推進するのは、情報のプレゼンテーションや安全、科学的、技術的、芸術的なこと、エンターテインメントと行事に関連している花火とその他の花火製造術などの話題について、グローバルな規範に基づいた見地でのさまざまな議論が交わされることです。


    



世界花火大会


  今回の国際花火シンポジウムにおいても、琵琶湖を取り巻く各地で参加各国によるエキシビジョンの花火打上(Fireworks Displays)が計画されています。内容は未定、または一般向けにはアナウンスされていません(中国は全て別業者。スケジュール並びに打上国は予告無く変更される事があります)。


時間:各会場において19:00頃~約30分間(予定)最終日のみ40分間の予定。
打上数:各3000発程度。最終日4000発予定。
   
世界花火大会滋賀推進委員会事務局 
社団法人びわこビジターズビューロー
TEL 077-511-1530


開催日 開催場所 打上国
4/18(月) 雄琴会場 20:00~ イギリス、中国
4/19(火) 今津会場 19:00~ イタリア、中国  
彦根会場 20:00~ イタリア、中国  
4/20(水) 琵琶湖大橋大橋東詰沖会場(守山) 20:00~ 台湾
4/21(木) 長浜会場 20:00~ イギリス、中国
4/22(金) 大津会場 20:00~ 日本

今回は字がいっぱいですみません。

地雷には大きく3つの作用があります。まず、「空間的作用」です。例えば、今この空間に一つでも地雷がある、もしくはある可能性があると言われたらみなさんどうしますか?一歩も動けなくなってしまいますね。そうなるとこの空間は使えなくなってしまいます。
たった一つの地雷で(しかも本当に埋まっているのかさえ確かでないのに)味方を誰一人傷つけることなくその土地を使えなくすることができてしまいます。
これは戦争が終わった後でも同様で、地雷が埋まっているという噂があるだけでも土地は使えません。
カンボジアなどは国民の8~9割が農民です。土地が使えないために戦後の復興も妨げられています。
地雷原(地雷が埋まっている可能性のある土地)だと知っていても他に引っ越すこともできず、その中で畑を耕し、家を建てて生活している人もたくさんいます。私も実際にカンボジアでそういう人たちをいっぱい見ました。地雷原の中にものすごく普通に家があります。地雷原の中で子どもが遊んでいます。地雷撤去後は自分の土地が使えなくなってしまうかもしれないからと、地雷撤去中の地雷原に戻ってきてしまう家族もいるようです。こういう光景は珍しいものではなくてカンボジアではよく見かけました。
地雷があって危険な土地でも、カンボジアの人にとっては生活のために欠かせない大切な土地だということです。

次に「時間的作用」です。地雷は誰かが踏むか撤去するまでずっとそこに残り続けます。半永久的に残ってしまうので、戦争が終わっても平和が訪れない。戦争が終わってから生まれた世代まで、戦争が残した地雷によって傷つき続けてしまうのです。地雷を「スローモーションの大量殺戮兵器」と呼ぶことがあります。核兵器などの大量殺戮兵器は一瞬にして多くの人を殺しますが、地雷は長い年月をかけて、ゆっくりゆっくり、たくさんの人を殺す、という意味です。

次に、「心理的作用」の説明をしたいと思います。地雷には殺すためのものと、殺さずに生かすためのものがあります。
「殺さずに生かす」というところが実はポイントです。
地雷の多くは内戦中に使われます。内戦は主に地上戦、ゲリラ戦です。例えば5人1組でゲリラチームを組んでいるとします。1人が地雷を踏んでしまいました。地雷はきれいに足が吹っ飛ぶのではなくて、エグく、ぐちゃぐちゃになるように、また傷口から土が入って肉が腐るように、計算されてつくられています。また、爆発音がすごく、その衝撃で視力や聴力に影響を及ぼします。
ちょっと想像してみましょう。今まで一緒に戦ってきた仲間が、痛くて痛くて泣き叫んでいます。あまりの痛さに殺してくれというかもしれません。足はちぎれてぐちゃぐちゃになっています。
考えてみてほしいんですが、戦争中、チームの1人が攻撃されて死んだらどうしますか?
抱きかかえて連れていきますか?もし、死んでしまったんなら諦めて置き去りにできるかもしれません。では仲間が生きていたらどうでしょう。しかし、仲間が苦しみながら生きているのです。治療できるところや味方の陣地まで運んであげるのではないでしょうか。
一人のけが人を運ぶのに両側から支えて2人の力を使うと合計3人の兵力がなくなるわけです。つまり殺すより生かすほうが合理的効果的なのです。地雷は仲間を見捨てられないという人間的な心理を利用した、ある意味でこの上なく賢く計算された兵器なのです。だからこそ「悪魔の兵器」と呼ばれるのです。
同時に、被害にあった仲間を見て次は自分が踏むかもしれないという恐怖を与え、そのことで士気を下げるとう効果もあります。しかも被害者はその後治療やリハビリなどで、長期的に人的・経済的負担を必要とするので、その軍隊や国は全体的に勢力を消耗します。そこまで計算されているのです。

最後に、地雷にはもう一つ、特徴があります。地雷は1ついくらで作れると思いますか?実は、最も安い地雷は300円程度で作られます。しかも地雷は兵士と違って人件費もかかりません。そのことから「貧者の守護神」とも呼ばれます。こんなに残虐な兵器がたった300円です。しかも埋めるだけなので鉄砲などと違って簡単に使える。非常に使いやすい兵器です。
今でも20分に1人の人が、世界のどこかで地雷の被害に遭っています。

 

2回目のブログ地雷教室です。
文字が多いですが、内容は特に難しくないので、気軽に読んでくださいね。

地雷と聞いてどういうものを想像しますか?
ただ地雷といっても、ものすごくたくさん種類があります。
まず対人地雷と対戦車地雷があります。対戦車地雷は人が踏んでも爆発しません。
また、そもそも対人地雷は対戦車地雷を撤去させないために、対戦車地雷のまわりに埋めるために、つくられたそうです。
対人地雷には、ポピュラーな踏むと爆発するものもあれば、糸が木などにひっかけてあって、その糸にひっかかると安全ピンが抜けて爆発するもの(これは地上1mぐらいまでは跳ね上がってから爆発する)。あと空中から散布するものなどがあります。
子どもが触りたくなるような、ちょうちょの形をしているものや、人形の形をしてるものまである。考えると腹が立ってきます。

地雷は24時間365日、ずっとその場所を守ってくれる兵士だということができます。
しかも、兵士と違ってご飯は食べないし、休養もいりません。
ある意味で、兵士よりも"優れた兵士"、兵士よりも"使える兵士"なのです。
地雷には別名がたくさんありますがこういう特徴をあらわす呼び方に「眠らない兵士」とか「疲れを知らない門番」というものがあります。

地雷には大きく3つの作用があります。
「時間的作用」「空間的作用」「心理的作用」です。
次はこれらの作用を1つずつ、説明していきたいと思います。

    

 

http://www.peaceboat.org/project/jirai/sitemap.html


ピースボートにはいくつかのプロジェクトがあります。その一つ、地雷問題に取り組むプロジェクトがP-MAC。Peaceboat Mine Abolition Campaign=ピースボート地雷廃絶キャンペーンの略です。
関東を中心にカンボジアの地雷を撤去するための街頭募金活動、そして広く地雷問題を知ってもらうための地雷出前教室を行なっています。
ちなみに現在、大阪ピーセンでは募金と地雷教室、どちらの活動も行なっていません。しかし、プロジェクトの意義、課題、そして自分にできることを一度立ち止まって考えるということは大切なことだと私は考えています。
私自身は47thクルーズに乗船、帰ってきてすぐ、カンボジア地雷検証ツアーに行ってきました。

この場を借りて、地雷について知ってほしいと思います。
要するに「ブログ地雷教室」。すごいね。ネットって便利。
これから何度かに分けて書いていきたいと思います。

まずはそもそもP-MACとは。というのを書きます。
P-MACについて基本的なことはみんな知っているかも知れませんが・・・。
98年に、「春風アジアンクルーズ」という地球一周ではなく、アジアをまわるクルーズがありました。カンボジアを訪れたクルーズです。地雷の被害者に直接会って話をする機会があり、その時その場にいたスタッフが、同じアジアの、近い国で、戦争が終わったにも関わらず地雷で被害に遭っている人がいる。自分にも何かできないかと立ち上げたのがP-MAC。

初めての募金が行なわれたのは義足の聖火ランナーが走った長野五輪の時。
募金箱の前には長蛇の列ができたのだとか。
基本的に「やりたい人がやる」のが、今のピースボートのプロジェクトであるので、盛り上がったり、停滞したりはしつつも、今日まで継続されています。

上泰歩さんという人が自転車で日本を縦断しながら地雷教室をしたり、カンボジアへの地雷検証ツアーを組んだり。
今、ボランティアスタッフが関わっているのは、募金活動と地雷教室ですが、それ以外に、支援先とのやりとりなどをスタッフが行なっています。
活動資金はP-MACのビラにも書いてあるように、募金の1割をあてています。

次は地雷がどういう兵器かを書いていきます。
何か聞きたいことがあればご遠慮なく^^

みどり。

 


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世界が1000人の村だとしたら:


584人がアジア人
123人がアフリカ人
95人が東西ヨーロッパ人
84人がラテンアメリカ人
55人がソ連人(まだリトアニア、ラトビア、エストニア等を含んで)
52人が北アメリカ人
6人がオーストラリアとニュジーランド人


村の住人がコミュニケーションをとるのはいささか難しい:


165人は中国語を話し
86人は英語を話す
83人はヒンドゥ/ウルドゥ語
64人はスペイン語
58人はロシア語
37人はアラビア語


母語のリストはここまでで村人の半分だけ。他の人達は(数の多い順に)ベンガル語、ポルトガル語、インドネシア語、日本語、ドイツ語、フランス語、そしてあと200種類の異なる言語を話す。



この村には:


300人のキリスト教徒(183人がカトリック、84人がプロテスタント、33人がギリシャ正教)
175人のイスラム教徒
128人のヒンズー教徒
55人の仏教徒
47人のアニミスト
その他210の宗教(無神論を含めて)の信者がいる


人口の3分の1(330人)はこども。こどもたちの半数は麻疹やポリオなど予防可能な病気に対する予防接種を受けている。


1000人の村人のうち、60人は65才以上。

結婚している女性の半分弱が近代的な避妊法を知っていて、使っている。

毎年28人の赤ん坊が生まれる。
毎年10人が死ぬ。そのうち3人は食べものがないために、1人は癌で。死者のうち2人は、その年に生まれた赤ん坊だ。


村人の1人はHIVウイルスに感染している;その人はまだAIDSの症状は示していない。
28人が生まれて10人が死ぬので、翌年の村の人口は1018人になる。

この1000人の村で、200人の人が収入の4分の3を得る;200人はわずか2%しか得ていない。
自家用車を持っているのは70人だけ(何人かは1台以上)。


約3分の1には安全できれいな飲み水がない。
村の大人670人のうち、半分は読み書きができない。



この村には、1人当たり6エーカー(約24,300平米)、全部で6000エーカーの土地があり、そのうち:


700エーカーが耕地
1400エーカーが牧草地
1900エーカーが森林
2000エーカーが砂漠、ツンドラ、舗装道路、その他の荒地だ。


森林は急速に減り、荒地は増えている;その他の土地はだいたい変化がない。村の肥料の83%は、最も金持ちで飽食している270人の持つ、40%の耕地に割り当てられている。この土地から流れ出す余分な肥料が、湖や水源を汚染している。耕地の残り60%には、肥料の17%が使われ、食用穀物の28%を生産して人口の73%を養っている。この土地の穀物の収穫量の平均は、金持ちの村人の土地の3分の1だ。


世界が1000人の村だとしたら、そこには5人の兵士、7人の教師、1人の医師がいる。村の年間の総支出300万ドル強のうち、18万1千ドルが武器と戦争に使われ、15万9千ドルが教育に、13万2千ドルが公衆衛生に使われる。


村の地下には、村を何度も粉々にするだけの核兵器が埋まっている。この兵器は100人の人々に管理されている。残りの900人は心配しながら彼らを見つめている。この100人がお互いにうまくやっていけるようになるのか、もしそうなったとしても、彼らが不注意からか技術的な不手際からか、それを発射しはしないか、そして彼らがいつか核兵器を解体することに決めたとしても、その材料である危険な放射性物質をこの村のどこに捨てるのか、と。


http://www.peaceboat.org/cruise/report/47th/

SEA NAVI 11月16日号
「ジャピーノ」たちのいま


 『ジャピーノ』とは、日本人とフィリピン人との間に生まれた"日比混血児"をさす言葉。今回はそんな『ジャピーノ』と呼ばれる子どもたちと、その母親たちを支援する現地のNGO、「DAWN」を訪ねた。
 とびきり人なつこい子どもたちの歓迎に大感激!!フィリピンの人びとの、あったかい「ホスピタリティ」に触れた1日となった。



寄港地レポート

 60年前の真実──1944年11月、「抗日ゲリラがいる」という理由で旧日本軍に急襲された村、マパニケ。当時を"生き残った"ロラたち(おばあちゃん)をフィリピン・村に訪ねました。




ラバウル
使われていることば
公用語は英語
それぞれの民族の言葉のほか、英語が変化したピジン語も通じる

--解説--
 19世紀からのドイツ支配、戦後のオーストラリア信託統治を経て、1975年に独立したパプアニューギニア。中でもラバウルは、第二次世界大戦中の1942年に日本軍が上陸・支配し、その巨大前線基地となったことで知られる。激しい戦いの中、軍人のみならず現地の一般の人々も巻き込まれて多数命を落とした。いまもラバウルの各地には、墜落した軍用機や塹壕のあとなどがそのままに残されている。
 1994年には、ラバウルの町を囲むように位置する3つの火山が爆発。町は灰に覆われ、ほぼ壊滅状態となった。人々は近隣のココポの町に移り住み、ラバウルでも少しずつ復興は進められてはいるが、いまだ傷跡は深い。


http://www.peaceboat.org/cruise/report/47th/land/rabaul/