地球一周の船旅 『たびログ』 -18ページ目

地球一周の船旅 『たびログ』

世界一周しちゃえば?(*^m^*) tabilog コメント&トラバはお気軽に♪

C,おわりに ピープルズパワーが社会の流れを変える

http://ameblo.jp/peaceboat/entry-10003367638.html


 今回スービックの元米軍基地の検証を通して、私たちが強く感じたことは、フィリピンの人々のピープルズパワーでした。

 みんなが力を合わせて米軍基地撤退を勝ちとったということが、この街の人々の大きな自信と誇りにつながっているのだと思います。それを象徴するように、議会での基地撤退の要求が可決された時の議員12人の手形と女神の像がモニュメントとして港を見下ろしています。

 決してあきらめることなく、米軍への補償を求める闘いを続ける力強さに希望を感じ、勇気づけられました。日本にある沖縄をはじめとする米軍基地の問題を自分の課題として、もう一度真剣に考えるきっかけを与えられた今回のエクスポージャーでした。

http://www.greenpeace.or.jp/info/features/okinawa/

interactivesite

ジュゴンの生息地のど真ん中沖縄辺野古沖のサンゴ礁の上に、米軍基地の建設が計画されています。美しい海を破壊する、あってはならない無謀な計画。

ジュゴンを含む生態系の危機!! 

今ならまだこの計画を止められる、そう信じてたたかおう! あなたのメッセージが、ジュゴンを絶滅の危機から救う。

世界中から声を集めるページ、「この海を守ろう」という思いをリボンに託して虹の戦士号で辺野古に届けるリボンアクションなど、盛りだくさんのサイトが始まりました。ぜひあなたもご参加を!

また、 サイバーアクション 辺野古の海を守ろう~サンゴ礁の海に米軍基地はいらない~ にもご参加を!

Greenpeace Japan SAVE THE DUGONG IN OKINAWA

http://greenpeace.or.jp/dugong/


モンテゴベイ

カリブ海の中でも特に人気の高い、美しいビーチが多く、観光客が豊富に訪れる。国際空港もありジャマイカの玄関口でもある。ビーチだけでなく独特の雰囲気で賑わうダウンタウンも人気。またブラックリバーなどの、奥深い自然ではサファリも楽しめる。



時差 GMT-5 (日本より14時間遅れている)
        ※GMT : 世界標準時 (日本 GMT+9)

 

 ■詳細はこちら  http://www.tour.ne.jp/country/

http://www.arukikata.co.jp/country/jamaica.html

 

    
「地球の歩き方」編集室
ジャマイカ  カリブ海(2)―キューバ・ジャマイカ・ケイマン諸島・ドミニカ共和国・トリニダード&トバゴ・アルバ・キュラソー〈2000~2001版〉

太陽が降り注ぐカリブの島、ジャマイカ。レゲエを生んだ明るい大地とおおらかで陽気な人々が演出する極上のバカンスへ招待。

 

熱いドラムのリズムが身体に響く。ヤシの木陰でラムを片手に鮮やかでぜいたくな瞬間。カリブ海の島々で遊ぶための詳しい、楽しい、リゾート・ガイド。

 

B,エクスポージャーツアー報告

http://ameblo.jp/peaceboat/entry-10003367638.html


1、 スービック元米軍基地

 スービック海軍基地は、隣接するクラーク空軍基地(日本占領時は神風特攻隊の基地でしたが)とともにベトナム戦争時にはアジア最大の規模を誇っていました。1991年ピナツボ火山の爆発で基地内の廃棄物による放射能やPCBが流失し、体内で分解されないで人間だけでなく他の動物にも50年以上悪影響が出ることが判明しました。このことで市民運動を盛り上がり、基地も火山の噴火により使い物にならなくなったので米軍は基地撤退を余儀なくされたのです。しかし、この被害についてのくわしいデータは地元の漁民には知らされず、汚染された湾内でもいまだに漁をして魚を取り食べ続けているそうです。また、BRMOという米軍払い下げ物資の処分店では汚染された廃棄物を処理もせずに地元民に売るという行為が続けられていました。また、米軍が船を洗う為に使っていた有機スズが生態系に悪影響をもたらす環境ホルモンを出していたことも深刻な問題です。

元米軍基地は周辺森林7千ヘクタール、港湾1万1千ヘクタールは、米軍撤退後レジャーセンターに再開発され、基地ができる前元々ここにあった熱帯雨林の森にすんでいたアエタの人たちにナビゲータになってもらってサバイバル体験ができるテーマパークを作る計画もあるそうです。また、猿をはじめとする野生動物の放し飼いの動物園でサファリ体験を売りにした観光開発も行われているようです。しかし、これらの開発に際しても汚染が心配されています。

元基地内には今も367箇所に弾薬庫が残っています。爆弾や火薬の片付けをしたアエタの人たちの健康被害も出ています。また、飲み水の供給源となっている河川もクロムによる汚染があり、その影響が深刻なものとなっています。

2、 フォーラムでの地元NGOとの交流

 まずわたしたちは、昼食をとるレストランMAX‘Sでの地元NGOとの交流会とプレスによるインタビューに参加しました。

そこでは、憲法9条をもつ日本からきたピースボートというNGOに対して地元で活動してきた人たちやメデイアが注目し、一緒に闘ってくれるという大きな期待をしておられることを感じました。それに対してAHPTの佐久間さんが沖縄の辺野古の問題や韓国の従軍慰安婦問題について報告をされました。

また、午後からは基地のあったころと撤退後の生活について基地で働いていた労働者の方から体験を聞く機会をもつことができました。

彼は、1986年から17年間スービックの米軍基地で働いて、ベトナム戦争も湾岸戦争も経験したそうですが、今は教会の牧師として活動されています。「軍の労働者としての生活は一見羽振りがよく華やかだったが、一人の人間として思い返してみるとむなしく無駄な人生の期間だった気がする。なぜならそのころは自分が人間としてモラルや誇りが低下していたからだ。ベトナム戦争から戻ってきた血の着いたボートを洗ってまたベトナムへ送り返すという仕事をしていながら何の心の痛みも感じない状態だった。基地に働くじぶんはフィリピンもアメリカも守ってくれない立場だったので、自分はどんな生き物になっていくのだろうと感じていた。IDカードをなくしてしまうとすぐ停職になるのは分かっていたし、安全面でも放射能の脅威などについてはおびえていたが考えるのが怖かったので、基地の外にいる女王のよう着飾った女性たちを買うことできをまぎらわしていた。あのころはフィリピン人一人一人の頭に銃口が向けられていた状況だった。」と基地のあったころのことを語られたのが印象的でした。

基地撤退後は4万人以上もいた基地関係の仕事に就いていた人たちの雇用について心配がありましたが、2004年9月の調査では5万4千人の人たちが自由港スービックでの雇用をえているとのことでした。また、売春業が中心となっていた街の観光産業もエコツーリストへと転換していき、街の風紀もよくなり犯罪も減ってきたそうです。

 地元のNGOからは有害物質の汚染やアメラジアンの問題について米軍と政府が責任のなすりつけあいをして真剣に補償や解決の為の対策を考えないことやのひがいの実態について世界に訴えていく活動が必要だとの訴えがありました。

3、 ピースマーチ参加

 ピースマーチとは、ABCを中心としたいろいろなNGO団体が旧米軍基地による汚染問題などに対して保障を求めるため共催されたアピール行動です。また単にフィリピンの問題だけでなく、アジアからの米軍基地撤退や世界平和を訴えるという大きな目的もあり、今回はピースボートも、沖縄の辺野古への米軍基地移転に反対するデモンストレーションをしました。

 ピースマーチでは、とにかくフィリピンの人々の明るさや前向きさというものが感じられました。カラフルで明るい絵柄のプラカードが並び、平和を訴える言葉が多く使われていました。参加している人々の世代はさまざまで、800人もの高校生が学校ぐるみで参加していました。参加者はみんなとても明るくて、笑顔で平和を訴えていました。

4,ABC訪問


 ABCとは、Alliance for Bases Cleanup Internationalという、米軍基地撤退後の有害物質による被害を訴えるNGOの事です。日本語でいうと、「基地クリーンアップ連合」になります。事務所内には、有害物質によって白血病、心臓病、水頭症、皮膚病にかかってしまった子供たちの写真が飾ってありました。これらは、有機水銀による水俣病やPCBによるカネミ油症など、今なお続く日本での問題をも連想させる写真でした。それを被害者の一人、すでに亡くなってしまったクリーゼルという女の子の書いた絵が飾ってありました。鮮やかな色彩で描かれているのが印象的でした。このNGOは、フィリピンの国内および海外へ向けて被害を訴え続けてきた事で、メディアに知られるようになり、ここ最近でだいぶ発展してきたそうです。話を伺ったMyra(ミルラ)さんは、とてもパワフルな女性で、「草の根運動のつながりから世界規模へと活動を発展させ、アメリカへ訴えて行きたい!」とおっしゃっていました。

A,はじめに 船上で学んだこと

http://ameblo.jp/peaceboat/entry-10003367638.html

1, 沖縄からの出発 AHPT(Asia History Project Team)によるセミナー

第34回ピースボート南北コリアクルーズの参加者の若者が中心になってAHPTが結成されました。それまで年代と出来事を暗記するものとしてしか捉えていなかった「歴史」をいままでの学校教育できちんと教えてこられなかった当事者や体験者の生の声に基づいた東アジアの人たちと共有できる「歴史認識」としていくために現地調査を踏まえて学び続けていこうという熱い思いで。そして、2002年に「歴史航海 私たちが伝えたいこと」2004年に「歴史航海 沖縄編」を発刊しました。わたしたちは「沖縄を通して自己を見つめ、日本を考える。」ことが必要だとおもいます。そのきっかけとして沖縄にある米軍基地を取り上げたいと思いました。「沖縄の闘いは終わっていない。」この言葉を沖縄では何度も聞きました。戦後、日本本土から切り離され、本土が経済成長を遂げる一方、沖縄はアメリカ軍統治の下へ。1972年に本土復帰を遂げてから現在にいたっても在日米軍基地の3/4が沖縄に集中しています。2001年9月11日の米同時多発テロの際も沖縄にある米軍基地では厳戒態勢がとられ、その年に予定されていた本土からの観光や修学旅行は相次いでキャンセルされました。「危ないから行かない」と本土の人は簡単に言えます。しかし、では沖縄の人はどうなるのか。なぜ沖縄は危ないのか。その状況を生み出しているのは誰なのか。そして、そんな危ない状況の中で沖縄の人々のいつもと変わらない生活があるということをきちんとうけとめていかなくてはと思います。とくにいま辺野古で起こっている米軍基地移設に反対するおじい、おばあの闘いはあまりマスコミで取り上げられていませんがしっかり注目して支援していきたいと考えています。 

2, 越田清和さんによる講座と地大ゼミ

*歴史をどの視点から見るか 

 歴史というものはどこに視点をおくかで大きく変わってきます。

たとえば、マゼランはヨーロッパでは探検家としてたたえられていますが、フィリッピン民衆の視点で書かれた初めての歴史書レナト=コンスタテーノ著「フィリッピン民衆の歴史」によればスペインの侵略の象徴であり、そのマゼランと闘って彼を殺したラプラプというセブ島のリーダーは侵略に対して抵抗した英雄と捉えられています。これは、日本の北海道でのアイヌの人たちの歴史においてもいえることで侵略者の立場から「シャクシャインの乱」「コシャマインの乱」「クナシリ・メナシの乱」といわれているものもアイヌの人たちにとっては「シャクシャインの乱」「コシャマイン戦争」「クナシリ・メナシの乱」という民族の誇りをかけた抵抗の闘いだったということがあるのです。また、朝鮮半島での伊藤博文と彼を暗殺して死刑となった安重根の関係においてもいえることです。フィリッピンという国の名前の由来からして当時のスペインの王子の名から取ったもので以下に屈辱的なものだったかといえるかもしれません。また、フィリッピンはカトリックの信者の多い国ですがカトリック協会は侵略の先兵としてスペインの支配を広げることに一役買ってきたのです。ホセ・リサールというフィリッピンの国民的英雄は小説「ノリ・メ・タンヘレ」(私に手を触れるな)で修道院の神父の酷い状況を告発しスペイン軍に殺されたのですが、なんと東京の日比谷公園に彼の碑があるのです。彼は日本に来て学んでいたわけです。また、スペイン人はイスラム教徒を嫌がりモロという差別的呼び方をしていました。ミンダナオ島はイスラム教徒が多いのでスペインの支配は受けず自治的だったのですがアメリカの攻撃で支配されてしまいます。これは、日本における北海道や沖縄と似た雰囲気があるようです。

*フィリピンの歴史と米軍基地 

 フィリピンは、スペイン・アメリカ・日本に次々に占領されてきた歴史を持っています。日本の占領については、オプショナルツアーでマパニケ村を訪れ、かつて従軍慰安婦をしていた方からお話を聞き、ショックを受けた方もいると聞いています。

 フィリピンの歴史の中で、フィリピンに米軍基地がやってきたのは、アメリカの占領が始まった1899年です。

 基地は多くの雇用を生み出しましたが、その一方で、有害物質による環境汚染や米兵による犯罪、売春などの社会問題を引き起こしました。それらの問題を何とかしようと1970年代から市民運動が起こり始めました。運動の甲斐あって、フィリピンの議会でも基地使用を認めないこととなりました。また、東西冷戦の終焉によるアメリカの対アジア政策の変更もあり、ついに!1992年、米軍基地は撤退。しかし、なんと、約100年もの間、米軍基地はフィリピンにあったのです。それまで、米軍基地があることによって、精神的なストレスを受けていたフィリピンの人々は、やっとそれから解放されることが出来ました。

 現在、基地そのものは無くなっていますが、VFA(随時中流協定)という基地は置かずいつでも自由に港を使える特権を持つというアメリカとの軍事的な協力関係はいまだに続き、それは、アメリカ側にとても有利なものです。それだけではありません。基地撤退後も環境汚染は続き、残された有害物質によって、水・土地など、人々の生活に直接関わる大切なものが脅かされています。この問題は、フィリピンの人々を苦しめ続けています。

フィリピンと日本はアメリカとの関係において独立国だが本当にそういえるのか?という疑問があります。ある意味で変形した双子ともいえるのではないでしょうか?たまたま経済成長がうまくいった日本がフィリピンを下に見ていますが民主主義に対する民衆の意識という点では、1992年に米軍基地撤退を勝ち取り、1986年のエズサ革命を成功させ人々が立ち上がれば国の歴史を変えることができるということを世界に示したという自信と誇りが日本よりはあるのではないでしょうか。

* ナボタスのODA問題との共通点

ナボタスの日本によるODAの問題も地元の人たちにとっては米軍基地による汚染問題と共通した点があります。

まず、地元の人たちに正しい情報が知らされていないという点、そして、移転後の土地の環境が住民の現実とかみ合っていないという点です。

フィリピンの先住民族アエタの人たちは精霊の力を信じています。ピナツボ火山の噴火も山の神が発電所建設の為にボーリングしたことによって怒り、

その怒りによって起こった現象だととらえています。これからの環境問題を考えるときもこのような感性を大切にすることが必要ではないかと思います。


バルセロナ

芸術の都として、ガウディのサグラダ・ファミリアを代表として、数々の美を極めた建築物が街中に点在しており、世界中から観光客が訪れます。ピカソやミロなどの美術館も多く美術遺産の宝庫です。



時差 GMT+1 (日本より8時間遅れている)
 サマータイム(3月最終日曜日から10月最終土曜日)はGMT+2(日本より7時間遅れている)
        ※GMT : 世界標準時 (日本 GMT+9)

 ■詳細はこちら  http://www.tour.ne.jp/country/

http://www.arukikata.co.jp/country/spain.html
 
 
地球の歩き方編集室
地球の歩き方 ガイドブックA20 スペイン 2004~2005年版

 

 

世界遺産から田舎の小さな街まで、スペインは見所が多い。本書は、そんなスペインの魅力を余すところ無く堪能できる1冊です。
大地を鮮やかに彩るひまわり畑、情熱的なフラメンコの舞、昼時のひっそりとした白壁の町並み……。広大なスペインには、さまざまに姿を変える万華鏡のように美しい風景が広がっています。イスラムの影響を色濃く残したアンダルシアや、独自の文化・芸術を育んだカタルニア、バスクなど興味はつきません。本書は旅情あふれるスペインをまるごと紹介したガイドブック。さあ、ピレネーを越えて、スペインの大地へ旅立ちませんか?

 

●本書に掲載されているおもな都市・観光地
【カスティーリャ・ラ・マンチャ】マドリッド、プラド美術館、アルカラ・デ・エナーレス、エル・エスコリアル、トレド、アランフェス、ラ・マンチャ地方、クエンカ、レアル・マドリッド
【カスティーリャ・イ・レオン/エストレマドゥーラ】セゴビア、ローマの水道橋、ラ・グランハ、アビラ、ソリア、ブルゴス、バリャドリッド、レオン、サマランカ、カセレス、グアダルーペ、トルヒーリョ、メリダ、サフラ
【ナバーラ/アラゴン】パンプローナ、サラゴサ、テルエル
【カタルーニャ/バレアス】バルセロナ、サグラダファミリア(聖家族教会)などガウディの建築物、モンセラット、シッチェス、タラゴナ、ジローナ、フィゲラス、バレンシア、ペニスコラ、アリカンテ、マヨルカ島、イビサ島、F.C.バルセロナ、エスパニョール  【アンドラ】アンドラ公国
【アンダルシア】コルドバ、メスキータ、ウベダ、バエサ、セビーリャ(セビリア)、カテドラル、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ、カディス、グラナダ、アルハンブラ宮殿、ロンダ、マラガ、コスタ・デル・ソル、アルヘシラス、ジブラルタル、タリファ
【バスク/カンタブリア/アストゥリアス/ガリシア】サン・セバスチャン、ビルバオ、ゲルニカ、ビトリア、サンタンデール、サンティリャーナ・デル・マル、オビエド、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、ア・コルーニャ、ビーゴ、ポンテベドラ


http://www.candle-night.org/

「でんきを消して、スローな夜を」と呼びかける“100万人のキャンドルナイト”。2005年夏至の夜、全国各地のさまざまな施設が消灯し、代わりにキャンドルが灯ります。



でんきを消して、スローな夜を。

私たちは100万人のキャンドルナイトを呼びかけます。
2005年の夏至の日、6月21日夜、8時から10時の2時間、
みんなでいっせいに電気をけしましょう。

ロウソクのひかりで子どもに絵本を読んであげるのもいいでしょう。
しずかに恋人と食事をするのもいいでしょう。
ある人は省エネを、ある人は平和を、
ある人は世界のいろいろな場所で生きる人びとのことを思いながら。
プラグを抜くことは新たな世界の窓をひらくことです。
それは人間の自由と多様性を思いおこすことであり、
文明のもっと大きな可能性を発見するプロセスであると私たちは考えます。
一人ひとりがそれぞれの考えを胸に、
ただ2時間、電気を消すことで、
ゆるやかにつながって「くらやみのウェーブ」を
地球上にひろげていきませんか。

2005年、6月21日、夏至の日。よる8時から10時。
でんきを消して、スローな夜を。
100万人のキャンドルナイト。



 「100万人のキャンドルナイト」のホームページはこちら
 http://www.candle-night.org/

カンボジアを訪れた際、バッタンバン州にあるイタリアのNGO「エマージェンシー」が運営する病院に行きました。


バッタンバンはカンボジアで最も地雷被害者が多い地域。


2004年に治療をした地雷被害者は105人。240~250人がバッタンバン州での毎年の地雷被害数。なんと半数近くをこの病院がフォローしている。地雷被害者だけでなく、交通事故の被害者やポリオの治療、PTSDなどの心のケアも行っている。


「エマージェンシー」は、まだ設立されて10年ほどの若いNGOなんですが、どこの政府からも寄付をもらわずに個人や私的団体からの寄付で運営されており、その組織がシステム的にかなりうまく、まわされているなーという印象でした。


病院として、施設の衛生レベルを高く保つことはもちろん、広々としていて開放感があり、庭にはガーデニングまで施されているという環境づくりが徹底されています。正直、この病院がカンボジアで見た建物の中で一番きれいで清潔感がありました。


治療費はもちろん、患者や付き添い人の生活用品なども全て無料で院内にはクメール語や英語などを学ぶ学校やカフェテリアもある。現在は外国人スタッフと現地スタッフが一緒に働いていますが、将来的には現地スタッフが自立して病院を運営できることを目標にしているとのことです。


支援において、どうやって支援を終わらせるか、つまりいかにして現地スタッフ主導の活動にシフトさせるかということが重要だという考え方です。


支援が無責任にならないように、支援後のフォローをすることも大切ですが、現地の人がNGOや支援をしている機関に依存してしまうことも起こりえます。


この「いかに支援を終わらせるか」という発想はNGOが大切にするべき発想だと思いました。


ここには地雷被害者だけではなく、ポリオや奇形などの患者さんもいました。


「地雷の被害者は赤いファイルがベッドに置いてある人です」と言われて、私は赤いファイルの人を探していたんですが、その自分の行動にすごく違和感を感じました。私は、現地に行く前からP-MACを通じて地雷の被害者の現状などを勉強していました。多分、それだけに、イメージというか先入観が固まってしまっていたんだと思います。想像力を持つことは大切だし、それは間違いないと思うんですが、自分の想像しているものと現実との間にズレがあるかもしれないということは自覚していなければならないと思います。でないと、支援先の人たちに自分のイメージを押し付けてしまうことになりかねません。それは相手にしたらありがた迷惑な話でしょう。


 部屋の隅のほうのベッドに、数日前に地雷を踏んで足を失ったという男の子がいました。


目がうつろで、私は目も合わせられなかった。すごく、距離を感じました。生きる環境とかそういう根本的な距離。どうしたら縮まるんだろうと思いました。気持ちを分かろうとか、そういうことは地雷を踏まない限り不可能だし、傲慢だと思うし、距離があるのは当たり前だとは頭では分かります。でも、その遠さにすごくショックを受けました。


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