History of Taiwan | 地球一周の船旅 『たびログ』

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台湾の歴史


1.台湾は昔から中国の一部だと思っている人もいると思いますが、台湾にもともと住んでいた先住民がいました。 高砂族という人もいますが、実は多くの部族にわかれています。泰雅族・排湾族・賽夏族・布能族・雛族・卑南族・魯凱族・阿美族・平浦族・雅美族などの先住民です。


 この人たちも古い時代に東南アジアから移住してきたとみられています。16世紀以来、ヨーロッパ諸国が進入しはじめます。 ポルトガル人はこの島を「うるわしの島」という意味の「フォルモーサ」と名付けます。 今でも英語で台湾島を意味する言葉は「Formosa」です。 17世紀半ばにオランダが台湾の支配をはじめます。しかし、このオランダ支配とほぼ同じ時期に中国大陸では、明から清に王朝の交代があります。 清王朝は満州族の支配だったことや、大陸の人口が増大したこともあって、大陸からたくさんの漢民族が台湾に流入します。これは福建省や広東省からの移入が多く、今「台湾語」と言われているものは福建・広東のことばが変化したものです。 明の家来として活躍していた鄭成功(母親は日本人)が反清復明の基地にもしました。しかし鄭成功の死後、漢民族は次第に「台湾化」していきました。


2. そんな中1894~95年の日清戦争がおこります。その結果「下関条約」で台湾は日本の植民地になります。 はじめ「台湾民主国」を宣言するなどして日本の支配に抵抗した人もいましたが、すぐに鎮圧され、日本の植民地支配がはじまります。 日本の支配は「アメとムチ」の政策で、日本化をすすめ、学校での日本語教育を重視しました。 このため、今でも年輩の人の多くが日本語を話すことができます。 台湾は米やさとうきびなどの資源を日本のために供給する基地とされ、日本の軍国主義が南方へ進出する時の基地になっていきます。 この支配に反対して、先住民が台中の霧社で1930年10月27日、日本の警察署を襲い、学校で開かれていた運動会も襲い、日本人を数百名殺しました。 これに対して、日本軍が出動し、この村の住民を襲い、1400名いた人口が500名になったといいます。 「霧社事件」です。


 しかし、日本の植民地支配が50年という長い期間に及び、この間に台湾に工業化をすすめたり、鉄道建設をすすめたりしたことも事実としてありました。


 そして、日本の軍国主義が無謀なアジア・太平洋戦争にむかっていくと、台湾は南方進出のまさに前進基地になっていくのです。 その中で、海南島やインドネシア・ビルマなどに連行され「慰安婦」にさせられた女性の悲劇もうまれてきます。


3.日本の軍国主義の敗北(1945.8.15)後、台湾も中華民国に戻されます。 しかし、この時、多くの人が大陸からやってきて(外省人)台湾の支配をはじめます。 1945年10月25日、台北で日本軍の降伏を祝う式典をおこないます。 だから今でもこの日は「光復節」とよばれています。 しかし、それまでいた中国人(内省人)は外省人の横暴にしだいに反発していきます。 翌々1947年2月28日、台北でささいなことから、内省人が大陸からの支配に反発して暴動がおきます。 これを徹底的に弾圧した当時の行政府は、この事件があったことすら隠し続けてきました。

 
 そして、1949年12月、大陸で内戦をしていた中華民国政府軍(国民党軍)は蒋介石とともに台湾に逃げ込んでくるという状況になります。 この時、南京にあった故宮博物館の宝物を軍艦で台湾に運び、今ある故宮博物館として公開されるようになりました。 北京の故宮の展示物より内容が豊富です。それからは中華民国の正当性を主張し、「大陸への反攻」を国是にし続けてきました。 首都は南京で今は臨時首都として台北においている、というわけです。 大陸にできた中華人民共和国との軍事的な対立は今も続いています。 台湾本島だけでなく、福建省の海岸近くの島・金門島と馬祖島をアメリカ軍の助けで確保しています。 台湾海峡が軍事的対立の最前線になっています。 国連が中国の代表権を蒋介石政府に認めていた1971年までは日本も台湾の中華民国を中国の正統政府と認めていましたが、国連の代表権が1972年に中華人民共和国に認められると日本政府は台湾と断交し、それまで結ばれていた日台条約(日華条約)も無効とされます。 このことが「戦後補償は解決済み」という日本政府の言い分が通用しないというわけで、「慰安婦」の方の日本政府提訴は他の国の状況と少し違うということになります。


 台湾の「中華民国」政府は1949年以来、戒厳令をしきっぱなしで、国民の自由な活動を保障してきませんでした。 しかし、1987年ようやく38年ぶりに戒厳令が解除され、国民の市民的自由が行使できるようになったのです。そんな中、台北市婦女救援社会福利事業基金会がうまれ、1993年から元「慰安婦」の支援活動をおこなっています。


 さいきんになって、学校の歴史や地理の授業で、これまでは「中国の歴史・地理」を教えることを基本としていた方針を変更し、「台湾の歴史・地理」を基本に教えるということに変更された。 現状を追認する方向での「教育の変更」しました。 これまでは「甲骨文字から始まり、秦・漢・・・随・唐・宋・・・などと中国の歴史を学習していたのを「台湾の歴史」(まだ漢民族である内省人がやってくるところからだが・・・)を基本とするようになっています。


この間の台湾の経済発展もめざましく、一時は韓国・香港・シンガポールとともにアジアニーズ(NIEs)とよばれたほどの工業化がすすんでいます。 資本の東南アジアをはじめ、世界各地に進出しています。