お久しぶりです。夏以来の更新ですね……。

 今回呼んだのは、早見和真先生の「イノセント・デイズ」です。

 書店で見かけたとき、帯コメントを見てずっと気になっていたのですが、ようやく読むことができたので、感想と考察を投稿しようと思います。

 

【あらすじ】

元交際相手の妻と二人の子供、三人もの尊い命を放火によって奪った死刑囚・田中幸乃。裁判において、一切の弁明をしない幸乃。なぜ、彼女は死刑囚となったのか。彼女とかかわった人々の視点から、彼女の孤独と絶望に満ちた人生を綴った長編小説。

 

以下、ネタバレ注意です。未読の方はブラウザバックを推奨いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_________________________

【感想及び考察】

 

 幼少期の経験は、時に当人の人生に大きく影響を与える。私自身、幼少期の経験が今の生き方に表れていると感じることが何度かあった。

 

 本書の主人公、田中幸乃の人生はどこで狂ってしまったのだろうか。幸乃の生き方は常軌を逸したものだ。誰かに必要とされることに執着し、誰かの人生にかかわることでしか存在できない。例えるならば物語の小道具のような存在だった。自分自身の物語に意味を見出せず、誰かの物語に縋ることでしか生きられない。その生き方を形成したのは、幼少期に二人の人物に言われた言葉であろう。大好きな父に言われた「必要なのはお前じゃない」そして、初めて会った祖母から言われた「私にはあなたが必要である」という言葉。これが幼い少女の価値観を歪め、生き方を決めてしまったのだ。

 

 それからの絶望と孤独は、彼女自身の生き方が招いたものだ。よく「優しい人は損をする」と言われるが、損をするのは優しい人ではない。損をするのは都合のいい人だ。「貴方が必要」という甘言に憑りつかれ、都合のいい友人や恋人として、利用され見捨てられる人生を送る幸乃に、救いの手を差し伸べる人物はいなかった。最後の希望として縋った敬介にも、身勝手に振り回された末に捨てられ、彼女は壊れてしまった。絶望と孤独にもがき苦しむ幸乃が、最後に選んだのは”復讐”などではなかった。彼女が選んだ道は、「いちばんダサイ」自殺だったのだ。理不尽に連れていかれた先は、幸乃にとっては都合の良い自殺の方法に過ぎなかった。

 

 その後、慎一が、幸乃が無罪であるという証言を得るが、時すでに遅く彼女はその生涯を終えてしまう。

 

 しかし私は、幸乃の最期が不幸だったとはどうしても思えなかった。実際、読み終えた後も「悲劇的」だとか「救いがない」とは思えなかった。言葉にならなかったその感情は、おそらく、幸乃が人生を終わらせることができたことに対する安堵であろう。幸乃は刑が執行される直前に、刑務官が持病の発作を意図的に起こそうとしたことによって失神しかける。あの時気を失っていたら、おそらく慎一が間に合い、彼女の人生は続いていたことだろう。しかし、彼女は病気に抗い、自分の意思でその生涯を終えたのだ。ずっと他人の物語の付随物として生きてきた幸乃が、初めて自分の物語を紡いだ。その死はきっと意味があるものだ。

 

 では、彼女の生に意味はなかったのだろうか。「イノセント」には「無実の」という意味のほかに、「無邪気な」という意味がある。陽子曰く、彼女が9歳の時、妹は死んでしまったという。慎一と翔、二人の中に残っていたユキちゃんという無邪気な少女との日々は、田中幸乃に課せられた罪を二人に否定させ、彼らを突き動かすに至った。きっとそれは、幸乃が生きた確かな証だ。