いつも考えてばかりで行動力のない僕。
行動力のない者というのは僕のことである。
こんな僕にさえ、松陰先生は僕に行動力を与えてくれる。
断じて之れを行えば、
鬼神も之れを避く。
大事を断ぜんと欲せば、
先ず成敗を忘れよ。
*本文はこちら → 「近代デジタルライブラリー」 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1048665
(コマ番号69 7,8行目)
迷いやためらいを断ち切り
決断してこれを行えば、
鬼や神でさえ
邪魔することはできない。
大きな事をやろうと思うのなら、
まず、成功や失敗ということを忘れなさい。
いつもこの言葉に助けられている。
人間には喜怒哀楽がある。
あることに挑戦しようと思い、やる気が勝手に奮い起こされることもあるが、
一晩寝ると、勇気や自信がなくなっていて、挑戦できるはずがない。
と、真反対の人格になる時だってある。
そんな時に僕はこの言葉を思い出します。
全く、松陰先生は真の教育者だよ・・・。
もう一つ、上記の言葉の少し後にこういう言葉もあります。
為さざるなり、能わざるに非ず。
*本文はこちら → 「近代デジタルライブラリー」 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1048665
(コマ番号71 1行目)
やろうとしないだけだ、
できないことはない。
どんな人間から教育され、
どんな書や本を読み、
どんな人間と会い思想を交わせば、
このような人間に少しでも近づけるのだろうか・・・。
とにもかくにも、
行動力は必要である。
ここより下は、より学びたい人への参考です。
史記 李斯伝にこのような言葉がある。
断じて敢行すれば、鬼神も之れを避く。
思いきって行えば、鬼神も道を避けるように、どんなことも乗り越えられる。
孟子 梁恵王章句 上 7章には、
為さざるなり。能わざるに非ざるなり。
できないのではない。やらないからである。
この孟子の章句は非常に有名であり、
仁の政治とはどんなものか、論じ合う場面もあり、
恒産なければ、因って恒心なし。
これもこの章句にあります。
衣食足りて礼節を知る。
と同じような意味で、
この章句は現代にも当てはまる事は多いと思います。
*詳しくは、「管子 牧民」
倉廩(そうりん)実(み)ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱(えいじょく)を知る。
倉の品物が満ちて、人ははじめて礼節を知ることができ、
十分な衣食があって、はじめて名誉と恥辱を知ることができる。
最後まで、読んで頂きありがとうございます。