原罪のない「真の父母」(独り子、独り娘)を証しした”原理講論” | peaceのブログ

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さて、

  前置きの宣伝はこのくらいにして、本論です。

 

そのほかにも

  • み言検索

は優れもので、今回はそれを利用して検索ワード「真の父母」を拾ってみました。

 

 

それぞれのヒット数はみ言の小見出しごとの件数であり、個数ともなればさらに多くなります。

その中で今回取り上げるのは ”「原理講論」(16)” です。16件、24個の「真の父母」を確認することが出来ました。

 

「原理講論」は1966年に韓国語で初版が出版され、その翌年10月には日本語版が出版され永く親しまれてきましたので、一度は「原理講論」を手にされた方であれば、その「真の父母」の記述を目にされてきたということになります。

 

統一原理(「原理講論」)では、本来は天の父母様(神様)が創造された人間始祖アダム・エバが人格完成をして結婚したならば、人類の「(実体の)真の父母」となるはずでした。しかし、聖書が書き記した如く「失楽園」によって「真の父母」となることは出来ませんでした。故に、人類歴史が探し求めてきたものは何かというと、その失った「真の父母」を再び捜し出すために流れてきたということです。

 

ところで私の過去記事「原理講論、お父様の「独生女」み言を信じていたならば!!」(2019.08.12)でも書いていましたが、この「原理講論」に記載された「真の父母」を忘れては神様の創造理想を破壊する、「独生子」「独生女」が喧嘩をしているかのような存在しない「独生女(批判)理論」で右往左往されることに何の意味があるのでしょうか?

 

さて、お父様が最初に語り始められた独生女のみ言は1959年10月にさかのぼる。
今回の検証(​
こちら​)からもお分かりのように、お父様の元祖「独生女論」から言えることは真のお母様だけを指してのそれではなかったということに帰結する。
つまりは、

​お父様が語られている「独生子・独生女」とは、堕落していない時のアダム・エバであり、2000年前のイエス様、そして、彼が十字架に架からなければ「子羊の婚宴」をすべきであった相対者。こんにちにあっては、第三アダムとその相対者が「独生子・独生女」である、ということだ。つまりは、(人間的考えからではなく)神様から見て原罪のない最初の息子・娘を意味していた。​

ということ​であった。

「独生女理論」や「独生女論」などは実存しない机上の空論であり、実のところはそのお父様の「独生女」み言を隠蔽してはお母様を貶めるため、批判のための批判をする通俗用語(俗語)であったことが判明した。

自称ルポライタイーtomy4509自身、2年間にわたり郭グループへ行かれた元牧会者の「独生女批判」の説教を聞いてきた一人である。その批判の結論は何であるかは理論理屈ではなく、「信じられない」を連発していたに過ぎず、どこかの教授の論文とかを信じられないと語っていたものだ。

 

彼の最後の説教は「原理講論は正しい(信じられる)」、「お父様も正しい(信じられる)」、ところが、「お母様・独生女は間違っている(信じられない)」というものだった。

「正しいこと、間違っていること」ということだが、原理講論を信じるとするならば、

 

ところで、​​父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。​​

 
 

これらも受け入れることが出来るであろう。
それのみならず、
成約時代は雌牛の時代(女性の時代)だという預言まで講論には書かれており、お父様自身のみ言からは「原理講論の主人は真のお母様」とまで語っておられた。み言『「原理本体論」について』(ファミリー2009.1月号、P.44~)に書かれていたものであるが、

 
原理講論は故・劉孝元教会長が執筆されたものであるが、その相対者の史吉子女史に対して「かかしのようなことをしている」言われながらもその実体(本体)の真のお母様、原理講論の「主人」が来れば、行き来する鳥も逃げていかなければならない、と。

このお父様のみ言も信じるとすれば、お母様「独生女」も信じることが出来るであろう。
 
現在、支流人の方々はお母様「独生女」を信じられないとするのは、誰の言葉を信じてのものか?
そこにはお父様がおられるかどうか、考えて見られよ!!

洗礼ヨハネが再臨エリヤであったと、イエス様は言われたが洗礼ヨハネはじめとしてイスラエル選民はそれを信じることが出来なかった。

こんにち、お父様は堕落していないアダム・エバは「独生子・独生女」であり、第二アダムとしてのイエス様が「独生子」と語られたのも十字架で亡くなるためではなく、「独生女」を探して結婚するためであったし、再臨の約束をされたのもまだ果たされていない「子羊の婚宴」を成すためであったと明言しての、1960年4月の「聖婚式」がされた。

「独生子」×「独生女」=「真の父母様」、この時点から36家庭に始まる祝福結婚式をされていかれた。
 
このように、原理講論の記載の24個の「真の父母」は文鮮明総裁・韓鶴子総裁お二人が「実体」を以て教えて来られたものでした。
 
こんにち、ブログ村を見れば、存在しない「独生女(批判)論」を信奉されては韓鶴子総裁「独り娘」を否定される方も少なからずいます。「にくい Nickさん」、「yosia621さん」もその中の方たちのなのですが共通することといえば、お父様が語られたみ言一つのみを後生大事に抱え込んでは、それを打ち消すようなお父様み言に対しては頑なに心を閉ざしてしまっているということです。
自称ルポライターtomy4509からは、「三人目のアダム(再臨主)が堕落前のアダムの立場出来て、堕落前の(無原罪)エバを捜し出して、子羊の婚宴をしては『人類の父母』となるのです。」といったお父様み言も紹介していましたが、
 
 
存在しない「独生女論」に固執するあまりにそれを受け入れることは、なかなか出来ないでいるようです。
 
「新しいぶどう酒は新しい革袋に」とあるように、「統一原理講座 第1講「序論 新しい真理の必要性とその使命」」についてもう一度目を向けられることをお勧めします。
2000年前の律法学者やパリサイ派になってイエス様「独り子」を十字架に架けられた歴史の反復はされないように、願いながら……。
 
 

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