キリスト教神学の頂点に立たれた三代目も「20ドル紙幣のデマ」継承!! | peaceのブログ

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「天の父母様聖会」とは、政治、宗教、経済、学術、メディアなどのの壁を超えたコミュニティーです。
人類の父母である神様の元に人類が一つの家族となり、平和世界の建設という理念を掲げているのが、「天の父母様聖会」です。

 

自称ルポライターtomy4509からは諸星くると氏夜昼の神様論や彼の記事群には「20ドル紙幣のデマ」のオンパレードを書き続けているとの警鐘を鳴らしていますが、その彼からは「20ドル紙幣のデマ」でないといった根拠が何一つ挙がって来ず、これまでのそれらを繰り返すばかりです。

 

「夜昼の神様論」そのものがお父様み言に根拠を置くものではなく、今回記事でも亨進氏メッセージの「夜の神様、昼の神様」からであることを明言していました。

私たちは「メシヤの為の基台」について、どのような理解をしてきたのでしょうか。二代王様が2012年1月29日に「夜の神様、昼の神様」の解釈について語られましたが、夜昼神様の様相を知ることによって、初めて真のお父様の生心に夜の神様が臨在されていることが明らかにされました。

 

その亨進氏が紹介されたTWJ(2012.天暦1月号)P.22~ からは真の父母様をお迎えして、第二十九回「愛勝日」でムンフンスク様のメッセージも掲載されていました。その中にもお父様が語られていた「夜の神様、昼の神様」にも触れた内容を語られていました。

 

 

同じ号のTWJを見れば、2012年の愛勝日でのムンフンスク様のメッセージ(P.22~)からもまた、お父様が語られた「夜・昼の神様」についても語られていた。以下に引用。

 そのみ旨を成し遂げてさしあげるために、死生決断、全力投球の人生を生きてこられました。

​​ 真の父母様は、神様を中心とする生涯を通して、無形の神様でいらっしゃる夜の神様と有形の神様でいらっしゃる昼の神様を一体となるようにされ、夜昼の神様、天地人真の父母様の実体として私たちの前にそびえ立たれました。
 天地人真の父母様は人間の体をまとってこの地に送られましたが、人間としての人生を放棄されたかたでいらっしゃいます。真の父母様は、神様を最もよくご存じのかたでいらっしゃり、神様が好まれる方法で神様を愛されるかたでいらっしゃいます。

 神様が願われる道を開拓してこられた真の父母様の生涯路程は、あまりにも険難な茨の道であったため、迫害していたサタンは逃げていき、反対する人間たちもだんだんと姿を消しています。

 天地人真の父母様の実体の中には、神様と真の父母様が共にいらっしゃいます。それゆえ、私たちは、神様と真の父母様をこれ以上区別しません。いや、これ以上区別する必要がない時代に生きています。

 今世の中は、昼夜の神様、天地人真の父母様を中心に回っています。世界は本当に大きな変化を遂げていくでしよう。

​​ このような時代を開いてくださった天地人真の父母様の九十三聖誕と金婚および禧年、古希を記念する昨日、真の父母様のみ言どおり、神様は、夢にも現れ、ヘリコプターで太陽を運び、月を移してでも、空中で喜びの稲妻を走らせ、歓喜の雷を轟かせたかったことでしょう。いや、すでに歓喜の雷を轟かせられたでしょう。私たちがその音を聞くことができなかっただけです。

 皆様、神様も称える天地人真の父母様に心からの賛美をおささげいたしましょう。(把手)

-----<引用終わり

 

亨進氏メッセージからは2012年1月にお父様み言「夜の神様、昼の神様」について初めて語られた衝撃的なものだったかのようなメッセージを語られていましたが、その2年ほど前からもお父様み言「夜の神様、昼の神様」はありました。それに関しては自称ルポライターtomy4509は下記の付箋紙にて確認済みでした(「諸星くると氏の【20ドル紙幣のデマ】--4月23日、三台目も!!」)。

ところが、諸星くると氏の「夜昼の神様論」は亨進氏メッセージからのみの解釈あって、お父様み言とは合致しないことを何度も報告したりしていました。サンクチュアリ教会は、お父様み言葉によるそれではなくこの亨進氏メッセージから生れたものであったことの指摘もしていました。

「夜の神様、昼の神様」はお父様み言から出てきたものであって、亨進氏や諸星くると氏が語る「夜昼の神様論」、特には、神様本体が「夜の神様(男性格)」であり、これまでのキリスト教でも議論されてきた「三位一体”論”」を取り出しては、これもまた「男性格」のみで原理講論に書かれた「聖霊=女性神」までも否定して原理講論・キリスト論は間違った低級なものだと蔑む有様です。

これをサンクチュアリ信徒の方々は当然のこととして受け止めて、「二代王(?)」が語ることだから…。

八大教材教本の永遠の価値と意義を引き出すための、必要不可欠な鍵こそ、「夜の神様、昼の神様」の正しい解釈なのです。「夜の神様」と「昼の神様」の様相から、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストが理解できるようになると、この天聖経のみ言の次の部分が、より深い本質的意義を持って解釈できるようになるのです。

 

「救援摂理歴史は、カイン、アベルが一つになって母を取り戻し、父を取り戻す歴史です。」

 

このみ言が次のようになるのです。

 

「救援摂理歴史は、カイン、アベルが一つになって母を取り戻し、そして神様と父と聖霊を取り戻す歴史です。」

 

聖霊とは「お父様の聖霊」であって、原理講論が解説する女性神としての聖霊ではないのです。

とまことしやかに書かれていますが、これは

明らかなみ言(原理)の改ざん「20ドル紙幣のデマ」

 

ともいうべきもです。

「聖霊≠女性神」というのであれば、お父様がそのように語られたみ言の根拠があって然るべきです。どなたかそれを見られましたか?

自称ルポライターtomy4509からは諸星くると氏にはその根拠の提示も求めていましたが、「お父様の聖霊」に通じないモノにはそれを理解することは出来ない、の一点張りでした。彼こそは、非科学的な「妄信」としか言いようがありません。

キリスト教神学の頂点とは、「聖父・聖子・聖霊の三位一体」のキリストのことです。つまり、そのキリストこそが、夜の神様が生心に臨在された真のお父様です。その聖霊は女性神ではなく、お父様の聖霊です。

 

キリスト教神学においては、父と子と聖霊の三位一体は、信仰によって成り立つものでした。しかし、私たち王王妃にとっての「聖父・聖子・聖霊の三位一体」は、父と息子として対話できる関係であり、理論において明確に解説できるものです。それだけではなく、神様が真の愛を顕現させるために、何ゆえに「聖父・聖子・聖霊の三位一体」の様相を構築したのかを明確に説明できるのです。

三代目も原理講論から離れては、キリスト教神学の頂点に立たれたとの自慢話までされたのが今回の諸星くると氏の記事でした。

 

サンクチュアリ信徒の皆様、いつまでお父様と関係しない「荷台王」、「三代目」に従っていかれるのですか?