遠く神楽の音が聴こえてくる。

 

秋祭りの夜神楽の太鼓の音だ。この地に移住してから聴く3回目の音色。出雲神話を演目とする岩見神楽がルーツの神楽の舞い。神楽ファンの友人の話だと、人気の神楽団には推しもいるほどで海外のイベントにも招かれているみたいだ。

 

その神楽が舞われる秋祭りの夜に私は生まれた。母の話だと当時は産科医ではなく「産婆さん」と呼ばれる助産師さんに自宅に来てもらって出産していたとのこと。

 

母の陣痛が始ったのは夜の9時過ぎ。携帯などない時代だから、慌てた父は産婆さんを迎えに家へと向かった。だが家は留守。「神楽を観に行ってるのかも」と勘のはたらいた父は神社へ。大勢の見物客が押しかけ神楽は真っ最中だった。

 

事情を察して気を利かせてくれた神楽団の舞い手が、神楽を中断して産婆さんを呼び出してくれた。それを知った観客が大きな拍手で産婆さんを送り出したのだという。

 

拍手に照れながら神楽の神社を後にした産婆さんと父だった。そんな神楽の夜のハプニングシーンを想像してみると、情緒ゆたかで気のいい故郷が映ってくる。

 

一方、母は5度目の出産ということもあって、バタバタと慌てた父とは違い、近所の女性たちに手助けしてもらいながら、産婆さんが来る前に自力で出産した。

 

母の私への鉄板ネタで、「生まれたあんたをコタツで暖がとれるように寝かせて産婆さんを待ったんよ」と笑いながら誇らしげに話してくれていた。

 

そんな時代だったとはいえ、なんとも実に頼もしい。母は強しだ。

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりの出雲大社はいつものように荘厳で心地よかった。

 

窓を全開にして秋晴れの爽やかな風にひたりながら出雲へと走る。来月の9日からが「神在月」の出雲。今月の平日はひっそりなのかなと思いきや、参拝へと続く通りは大勢の観光客で賑わっていた。

 

駐車場には遠く関東ナンバーの車も並ぶ。目砂利の上を歩き鳥居をくぐる。本殿へと進み二礼四拍手一礼の習わしで挨拶。ちょっと違う空気感が心地よい。神殿正面からの挨拶も欠かさない。それにしても社は今日も堂々たる佇まいだ。

 

出雲に入った頃から、八雲立つ出雲らしく青かった空を雲が覆ってきた。その雲の切れ間から幾筋かの光が差し込んでいる。それと社の大屋根のシルエットとが重なる。なんとも言えない厳かさを感じた。

 

その昔、「天空の神殿だった」とする言い伝えがあった出雲大社。26年前の発掘調査で埋没した巨大な柱が発見され、伝説の高さが裏付られた。その大柱を示す跡に立ち、50メートルもの上空にそびえる神殿をイメージして古代へ想いをはせる。

 

出雲詣でのもうひとつの目的は出雲蕎麦。食べるなら”平和そば”と決めている。

店先につくと行列。店の外で対応されている店員さんが「もう蕎麦はここで売れ切れました。ご飯物のみになります」と告げる。13時までに辿り着けば大丈夫と踏んでいたのだがミスった。新蕎麦は逃し店長にも会えなかった。

 

無言なのだが、「起きるのが1時間ほど遅かったよね、君が」・・・とパートナーの心の声が聴こえてくるようで、痛い。いやはや。

 

そうだよ、出雲にきて新蕎麦を食べ逃すわけにはいかない。がっかりしきりの心を奮い起こし、もうひとつのお気に入り店をめざす。出雲空港近くにある”鶴華 波積屋”に到着。やっと新蕎麦に巡り会えた。美味しかったのだ。

 

新蕎麦を求めすぐさま出雲大社を後にしたので、稲佐の浜へも寄れなかった。

 

食べ逃した蕎麦と稲佐の浜へのリベンジを神在月にするかなぁ、いつものように源泉かけ流しの湯村温泉でまったりしながら、そんなことを想っていた。

 

 

 

 

 

 

間違い探しのゲームがある。

 

2つの画面の違いを見つける脳トレゲームだ。写真風のものからキャラクター風のやつなど色々なタイプがある。中にはただ単に情報量が多いだけなのにレベル高そうに装ってるやつも。そんな数々あるひとつにハマってる。

 

これが実に巧妙にできているのだ。一見とても単純で情報量も少ないのに、思い込みや錯覚が起こりやすいように上手く作っていて、まんまとやられてしまう。

 

英語バージョンだから海外の作者なのかな、そこは不明。おそらく心理学的な素養があって錯覚と思い込みをさせるように巧みに作り込まれている。だから、ミスったとしても、「うまく作ってるなぁ」と納得してしまう。

 

それまでのやつは、ミスると「なんじゃこのズルい描き方は!」とカチンと頭にきてストレスになっていた。だけど今ハマっているやつは負けても納得で「そうくるか、やられた」とすっきりして気持ちいい。もちろんクリアーすれば快感なのだ。どうやらこのすっきり感が脳トレ効果みたい。

 

てなわけで、今日もゲームの後はすこぶるすっきり。というのも3問×5パターンが1ゲームを16連勝中。通算勝率が66.7%だから、これちょっとした快挙。もし相撲なら全勝優勝したような気分てところ。

 

そうなのだ。人もゲームも姑息で狡賢いやつよりも堂々として外連味がない方が、やっぱりいいってことだ。

 

 

 

 

 

 

倉本聰さんが逝った。時代を創った本物がまたひとり逝った。

 

代表作となった「北の国から」のシーンが浮かぶ。夏の家族旅行で富良野を訪ねリアル北の国からを楽しんだことがある。この景色からあの名作と名シーンが誕生したのだと納得した。

 

名もなき人たちを描いた倉本作品に心打たれた。それはドラマのソコと自分のココが重なったから。「風のガーデン」もそんな繋がりを感じてよかった。

 

映画やドラマ好きの一人として最近の作品に物足りなさを感じてしまう。「これってテーマは何なの」と奥行きの浅さを想ってしまう。それだけに倉本作品が輝く。

 

ドラマも映画も本が優れてないと刺さってこない。演者のそれが優れていても越えられないものがある。よい本と巡り会ってこそ演者が魅力的な輝きを発する。

 

倉本聰を超える書き手よ出てこい。それが何よりもの弔いだ。

 

 

 

 

どうかなと迷ったときはやめること。

 

プランしていた事なので一旦は実行すると関係者に通知していた。だが、そう決めてから胸のザワつきを覚えた。これまでの経験則からすれば、胸騒ぎを抑えて「まっ、いいか」と勢いでやったことは、後々、ろくなことがない。

 

それで、メンバーの親友に連絡をとる。「決めたけど、どうも気持ちがザワついて」と話す。すると、親友も同じような感覚があったらしい。「やると決めてたから、その流れで賛同したものの・・・」気乗りはしなかったようだ。

 

「実は」と前置きしながら気乗りがしない理由をふたつ教えてくれた。そのひとつはまったく思いもしなかったもの。「このままやってたら」とゾッとした。

 

「なるほど」、この心のザワつきはそういう知らせだったのかと、すっきり。何の迷いもなく、「中止にしよう」と決めた。

 

メンバーへ中止を伝えた。連絡をとった一人からも同じように「妙な胸騒ぎがしてたんだ」とのことだった。

 

「どうかなぁ」と迷ったときはやらない、これ大切。

 

 

 

 

 

親友からの電話はいつもどおり愉快だった。

 

鉄板のお笑いネタを沢山持つ親友。それは古典落語のようで、オチがわかっているのに何度聴いても大笑いしてしまうのだ。

 

笑えるのは生き方も落語のようだということ。

羨ましいほど、実に陽気に気ままに過ごしている。

 

長くなった電話を切って、今日の電話の要件は何だったのだろうと、また笑う。

 

 

 

 

 

がっかりさせてしまった。

 

友人に頼まれて、メジャーなシンガーソングライターを招いてのイベントを企画していた。こちらとのこれまでの深い縁で事務所を通さずに直接折衝し、予算も確保して日程や会場も抑えた。

 

これで一段落と安堵していた矢先、急に事務所の代表がしゃしゃり出て、「ギャラが2倍じゃなきゃ受けられない」と言い出した。まさに、ハァー⁉の展開。口約束であっても契約は成立していたのだから、名の通っているプロなのにちょっと酷すぎる。

 

改めて今日、本人に確認をとると、代表と同じ物言い。先方にどんな事情が生じたのかも聞く気にもならなかった。

 

友人とは、「ギャラの変更をどうしても言い張られるのならイベントを断念しよう」と打ち合わせていたので、その旨を伝え、終了。

 

その結果を友人に伝える。「大丈夫です」と仲介役のこちらを気遣って軽やかに応じてくれるたので余計にイタい。電話を切る際の声がちょっと沈み気味だった。友人をがっかりさせてしまって、気分が重い。

 

先方の瑕疵が招いた結果とはいえ、気持ちだけで他者の世話をしただけに、一番嫌なパターンの結末になってしまった

 

辞世の句は「後悔、後悔、また後悔」と、そう決めている。

 

それほど愚かすぎる人生を過ごしてきた。あれもこれも、あの時もこの時も、愚の骨頂のような判断と誰もが呆れる醜態を晒してきた。

 

もし、あの時の自分に遭いに行けるなら、怒鳴り散らして、ぶん殴って𠮟り飛ばす。もし、あの瞬間に行けたなら「おまえバカか、勿体ないことするな」と諫める。

 

ふとした瞬間、愚かで無様なあの時のことが脳裏に浮かぶことがある。

思い込みの怒りで大切な友を手放してしまったあの時。もう一手先を読めばよかったのに浅い思考のせいで重大な判断をミスってしまったあの時。人生に3度の幸運ありと自分に言い聞かせていたのにその好機を手放してしまったあの時。感情まかせで愛する人を失ったあの時。決してやってはならない喧嘩で自己嫌悪に陥ったあの時。度量の狭さで人を赦せなかったあの時・・・。

 

そんな醜態ぶりを挙げればきりがない。思い起こすその度に生汗をどっとかいてしまう。恥ずかしくて、恥ずかしくてたまらない。

 

今も、こうしていて気持ちの悪い汗でびっしょりになっている。

 

 

 

 

 

人生はとても短い。

ほんの一瞬にすぎない。

 

まばたきほどのあっという間の人生だ。

 

だから、他人の人生を生きてはならない。

人生の時間の無駄遣いになるから。

 

他人の人生を生きるとは、世間体なるものに惑わされること。

 

とても、つまらない、もったいない生き方のことだ。

 

 

 

 

 

情報を共有するために立ち上げていたグループLINEがある。

 

友人たちに呼びかけて集まった会合を受けて立ち上げたのだから、もう8年くらいになるだろうか。結構な人数の気の置けない仲間たちの集まりだ。有難い有益な情報やそれぞれの近況などがアップされている。

 

そのメンバーのひとりが先日、「退会しました」になっていた。来るもの拒まず去るもの追わずの会なので私はなんとも思っていなかったのだが、何人かのメンバーは「えっ、なんで辞めたの」と気にしていたようだ。

 

「アップされた記事にムッとして辞めたのでは」とか「〇〇さんへのあてつけで退会したのでは」と、一部のメンバーで話題になっていたのだという。

 

そのザワつきぶりを、別の要件で電話をかけてきた友人が面白おかしく話してくれた。事の顛末は、本人に「なんで退会したの?」と連絡したところ、「退会した覚えはない」とのことだったらしい。それで改めてその友人がグループLINEに招待して再加入させたとのことだった。

 

電話を終えてLINEをみると再加入のメッセージがアップされていた。

 

ちょっとした操作ミスから、いろいろな詮索や憶測で勝手にザワついたという笑えるオチだった。結局は周りが勝手な憶測でザワついただけで、なんら意思の存在しない操作ミスが引き起こしたハプニングだったというわけ。

 

SNS上で悪意のフェイクがヒト社会を歪める昨今。そっちのやつは笑えない。