遠く神楽の音が聴こえてくる。
秋祭りの夜神楽の太鼓の音だ。この地に移住してから聴く3回目の音色。出雲神話を演目とする岩見神楽がルーツの神楽の舞い。神楽ファンの友人の話だと、人気の神楽団には推しもいるほどで海外のイベントにも招かれているみたいだ。
その神楽が舞われる秋祭りの夜に私は生まれた。母の話だと当時は産科医ではなく「産婆さん」と呼ばれる助産師さんに自宅に来てもらって出産していたとのこと。
母の陣痛が始ったのは夜の9時過ぎ。携帯などない時代だから、慌てた父は産婆さんを迎えに家へと向かった。だが家は留守。「神楽を観に行ってるのかも」と勘のはたらいた父は神社へ。大勢の見物客が押しかけ神楽は真っ最中だった。
事情を察して気を利かせてくれた神楽団の舞い手が、神楽を中断して産婆さんを呼び出してくれた。それを知った観客が大きな拍手で産婆さんを送り出したのだという。
拍手に照れながら神楽の神社を後にした産婆さんと父だった。そんな神楽の夜のハプニングシーンを想像してみると、情緒ゆたかで気のいい故郷が映ってくる。
一方、母は5度目の出産ということもあって、バタバタと慌てた父とは違い、近所の女性たちに手助けしてもらいながら、産婆さんが来る前に自力で出産した。
母の私への鉄板ネタで、「生まれたあんたをコタツで暖がとれるように寝かせて産婆さんを待ったんよ」と笑いながら誇らしげに話してくれていた。
そんな時代だったとはいえ、なんとも実に頼もしい。母は強しだ。