ディベート、討論というものは勝敗に重点を置きすぎているように感じます。
一概には言えないけど、過去の様々なデータをぶつけて勝ち負けを決めているようにも見える。

データを共有して現状よりも、常にやってくる未来へ向けてもっと良い答えを導き出すことも選択肢のひとつであっても良いと思います。

そろそろ一方が生き、一方が消えるという二者択一の考え方には別れを告げなければなりません。
理由は、双方が生きる道にこそが道理であるからです。

また、現在の世論の動向はどうでしょうか。
相手を責めて、刃物のように鋭い言葉でプッシュして答えがパッと出るのでしょうか。
「どうしてだ!」「責任を果たせ!」「辞職しろ!」などと責めれば責める程に相手は逃げ道を探し、心を閉ざします。

今の世の中に響く言葉は憎しみや怒りでしょうか。
或いは愛や優しさが染み込んだ心のこもった言葉でしょうか。
私は後者であってほしいと切に願います。

どんな状況下でも相手の言葉に耳を傾け、目標が同じところにあるならば協力していくべきです。

愛や正義の名の下に人を傷つけることがない世界にしていきたい。

せっかく耳が2つある、対立している環境があるなら両方の意見を聞いてどうにか和解に持ち込みたい。

研究テーマでもあったアフガニスタンに関係するアルカイダのオサマ・ビン・ラディンについて思いを巡らせてみた。


当事者ではないから推測ばかりだが、書いておきたい。


世論では殺害の是非が問われているが、アメリカとしては生きて捕まえたかったのであると推測できる。

理由としては、殺害するのであれば無人爆撃機や爆撃ヘリを投入し人的リスクを負わずに一気にオペレーションを遂行すればいいだけの事であり、爆撃後に現場に入る方が安全であるからだ。


わざわざ米軍のシールズという特殊部隊を投入したということは明らかに捕えたかったという表れで、殺害は誤算ともいえるのだ。


ラディンが何を考えていたのか、思想などはわからないが新たな脅威が出現してくるのは間違いないだろう。

ラディンがアルカイダ、ヒズボ・イスラミなどのイスラムを掲げた武装勢力を焚きつけていたのは間違いない。そういった勢力にとってラディンは永遠の存在、つまり神格化されたわけである。神格化ということは、永遠に戦い続ける理由になる。

アルカイダをはじめタリバンも報復を宣言していることから、短期的に犠牲者100人以下程度の規模テロが起こる可能性が高まるだろう。2001年の9.11レベルの報復は準備に時間がかかることが予測されることから、しばらくは大規模テロは発生しづらいと考えることができる。


パキスタン側はタリバンなどの報復を警戒して初期の段階でアメリカに対し、今作戦は遺憾であるとの声明を出した。しかし、アメリカとパキスタンはアフガニスタンのOEF不朽の自由作戦で軍事協力をしており、パキスタンが知らないというのは有り得ないのである。


ラディンのジェロニモ作戦の前にパキスタン諜報部ISIがアメリカに入って何かしらの報告をしているという点から、ジェロニモ作戦はアメリカとパキスタンの共同作戦と位置づけられる。パキスタン側からしたら、ラディンの殺害だけが事前に打ち合わせられていない事項であったと考えられるのだ。


今後の脅威は、アメリカとパキスタンの軍事協力が加速することからインドの軍備拡大が進む。

印パキ問題が悪化すること、グローバル化され始めたテロを仕掛けるタリバンや過激なイスラム思想の加速であると思う。


誰もひとりじゃない。


比べるから辛いのかもしれない。

オリジナルで良いと言い聞かせながらも比べてしまう。


「どうでもいい」と人の気持ちがわからないと立ち尽くした日々を思い出す。

どうして頑張ってるのに人が離れていってしまうのかと泣いた日々もあった。


全て自分が正しいと正義の仮面を自慢げにかぶって、その正義に当てはまらないと認めない。

自分の周りに自分で線を引いて、結局ひとりぼっち。


一人の方が楽だと強がって、無理に勝気になって。

そんな無理してる自分を認めていなくて。


ひとりになった時、後悔が押し寄せる。

あのとき、もう少し優しい言葉を発せなかったのか、

愛のある手で支えられなかったのかと。


人の心に気持ちを寄せていくのは一定の緊張感がある。

期待していないつもりでも、傷ついたり痛むことがある。

だから難しいのかもしれない。


そう思ってた。


でも言葉は必要じゃないのかもしれない、隣に寄り添うだけでも良い。

そっと肩をたたいて「大丈夫!」という雰囲気を出せば良い。


考えれば考えるほどに複雑になる。

本来の目的が欲で目が霞んで少しでも良く見られたい、愛されたいと欲張りになる。


この関係は短期的には進展するかもしれないが、長くは続かない。

肩に力を入れた関係など偽りであるからだ。


素直に行動して、出会った人に愛をポケットティッシュのように配る。

大勢の人に寄り添ってもらって、手を差し伸べてもらった。

今は国境を越えて心配して連絡をくれる人もいる。


あの日の自分は立ち止まっているのだろう。

その自分を唯一認めてあげられるは自分だけ。


過去の自分へこう語りかける。

もう大丈夫。ひとりじゃない。

繋がっている、十分に寄り添えている。


精一杯の感謝と60億個以上愛で応えよう。


今日も暖かい空気が春はまだかまだかとつぶやいている気がする。