つぶやき等でも書いていて、コメントもいただいておりますが改めてご報告

去る9月12日に母が他界しました
享年77歳でした
診断書上での死因は悪性リンパ腫による病死で、元々このリンパ腫自体は10年以上前から患っているもので、一時は寛解して7~8年は落ち着いていたのかな
その後、再発してそのときもある程度まで寛解に近い状態まで治ってきていました
しばらくして腫瘍マーカー等で正常ではない値がみられるようになったのですが、元々進行の遅いタイプのリンパ腫と言うことと年齢による放射線や抗がん剤使用による副作用・他の病気の併発の恐れもあり、身体に影響の出にくい効力の抗がん剤で様子見をしていました

そして昨年末に下半身のむくみが目立つようになり病院へ
利尿剤などの服用で一時的に元に戻ってはいたのですが、今年1月末に再度むくみが出てくるようになり、むくみの進行が早くなってきたので病院へ
そのまま緊急入院
この入院でだいぶ痩せてしまったものの、どうにか自分で歩けるかなぁ、と言う状態ではあったのですが
そして4月に退院

約1週間ほど自宅で過ごしていたのですが、自分の力で寝返りを打つことも起き上がることもできない状態に
ちょうどホームヘルパーさんとの顔合わせの日だったその日に、ヘルパーさんの判断で再度入院
2ヶ月ほど入院していましたが、いちおうは歩けるけども、ほぼ車いす状態でしたね
ここの病院は救急病院なので急性期病棟と言うことで、転院を薦められて療養型病棟の病院へ

次の病院は着るものやタオル、おむつ類まで病院指定のものを使用するところ(全額自腹)
まぁ洗濯の心配がいらないのでその辺りは気楽でしたね
そこも2ヶ月ほどかな
一月くらいしたあたりで食事をしても飲み込まないで、口の中にため込むことがしばしば発生しているとの指摘があり、点滴→鼻から管を入れてのペースト供給へ
この頃は既に酸素マスクを付けることが多くなっていましたかね

以前にほこりっぽいところで仕事をしていたこともあり、過去にも肺が弱っているねとかかりつけのお医者さんからも指摘はされていたのですが
しかもたばこも好きだったというのもありますしね

そして8月末に次の病院へ転院
ここは衣類関係は持ち込みが可能なところ
1週間くらいは落ち着いていたのかな
多少の変動はあったのですがね
6日だったかな、病院から電話があり脈拍の増加(170以上)・血圧の低下(上が70以下)・血中酸素濃度の低下(70代)とのこと
脈を抑える薬と、血圧を上げる薬を点滴で注入、酸素は供給量を増やすことで脈は120前後・血圧も100前後・酸素は95以上まで回復
7日は薬の効き目もあって落ち着いていて、8日の午前中に病院へ行った時も落ち着いていましたが午後になって病院から電話があり、また病状が悪化したとのこと
8日から9日にかけてはそのまま病院に泊まり込み、9日は落ち着いている感じだったのでいったん帰宅

10日は朝は普通に会社に行き、終業後に病院へ
この時点では点滴の量も酸素の供給量も増やしてはいなかったのですが、23時過ぎに病院から電話があり、また病状が悪化してきたとのこと
すぐに病院へ行き、そのまま泊まり込み
この時で酸素供給量は最大量、点滴も一番早い量になっていましたね
翌11日は落ち着いているところを見計らって会社への休みの電話と回収作業を実施
夜20時くらいまで付き添っていましたが、不安定になることもなくいったん帰宅

12日は朝はそのまま会社へ
10時45分くらいかな、病院から電話があり脈・血圧・酸素が不安定になったとのこと
急いで帰宅、病院に着いたのが12時になる少し前かな
この時点で既に母は息絶えていましたね
手足は既に冷たくなっていましたが、頭の辺りはまだ熱が残っている感じでした
12時過ぎに先生が来て、状況の説明、死亡の確認をしました
死亡時刻は12時10分

モニターのデータを見せて貰ったのですが、電話を貰った10時45分頃までは比較的安定していたのですが、ここから2~3分で一気にストンと落ちていましたね

一昨年に父が亡くなり、だいぶ早く連れて行かれたなぁと言う思いもあったりしますが、父の時も思ったのですがいい息子でいたのかなぁと言うのが正直な思いですね
父が亡くなってからは日中は母一人でいることが多く、あまり話を聞いてあげられなかったこととかがねぇ


その母の葬儀も15日に無事終えることができ、四十九日法要の日取りも今日決めてきました
とりあえずは法要までしっかりと終わらせることかなぁ