注意※

妊娠6ヶ月で中期中絶という選択をしました。

その記録となります。

どうしてブログに記録するのか


不安·不快に感じられる方もいらっしゃるかと思いますので、これ以下については

ご自身で、読み進めるかのご判断をして頂ければと思います。



















126 21w0d


再診の日。

今後の事を、病院に伝える日です。



産科部長の先生が、外来担当している曜日で


午後は「何かしらのリスクを抱えた妊婦さん」の時間にしてるんです。

なので、おひとりおひとりの時間を少し長く取っています。


と、言われて予約を入れて頂いた。


そうだったんだ

自分がそうならなければ知る事無かったな



この日も、夫と一緒に。

行ってみると、いつもは混みあっている

待合室が、私たちだけでした。



余計に緊張する



と、思っていたら、1組、診察室から出てきて。

思わず、「この人たちも、なにかあるのか」

と思って見てしまいました。




あとは、新生児をつれた方が2組ほど。

こちらは退院診察なのか、はたまた1ヶ月検診のタイミングだったのか


冷静に周りを観察していました。




少し待って、エコー室に呼ばれ。

経腹エコーの準備に。



準備をしながら、産科部長の先生に

「お2人で、今後の事、話し合われましたか?」

と聞かれました。



私は何も言えずにいると、夫が

「中絶する事にしました。染色体の検査はしません」

と言ってくれました。





「解りました。それでは、診断に間違いがあってはいけないので、本当に間違いが無いのか確認をしていきますね」



先生は淡々としていて、感情が読めなかったけど

それが私にとっては良かったです。





最後かもしれないエコーを見て

今日も元気に動き回る次男を見て

泣く資格なんか無いのに、泣いてしまいました。

ひとつひとつを丁寧に見て

この2日で、左心が大きくなることも無く

内反足気味·指の軽度な奇形(オーバーラッピングフィンガー)が、やはりみられるという事。

ただ、染色体異常は検査をしなければ解らないことだから、確定では無い事。

心臓と胃が逆だということ。



診断は変わりませんでした。




変わった事がひとつ。

最初の診断日、たった4日前から比べて

ほんの少し大きく成長していました。



この日も、元気に母ちゃんのお腹でドコドコ

動いてます。



決断は変わらない、後悔しない。

だけど、これが正しい事なのかは解らない。


泣く資格なんて無い

泣く資格なんて無い


呪文のように唱えても、

エコーに映し出される次男をみて

涙は制御出来ませんでした。



エコーの後は診察室で話を。


元々、この病院はHP上で

「中絶は取り扱っていません」

とあったので、他の病院を探さなくてはいけないかと思っていました。

(ネット上の経験された方の話でも、

中期中絶はやってなくて、その為に

別の病院を探したという話も見掛けました)



そうしたら、

「最後まで、こちらで責任をもってやらさせていただきます」

と、言って頂きました。



後は、中絶をするにあたっての説明や同意書

入院の説明等。





最後に

「他に何か質問などありますか」

と言われたので、予め夫と話していた事を。




ひとつは

産まれる時、次男は痛かったり苦しかったりするのか教えてください。


この時期は痛みとかの感情はまだ無いと言われているので、恐らく痛いとか苦しいと感じるのは、「解らない」でしょう。

との事でした。




もうひとつ。

最後のエコーを動画に撮影したい。

と、伝えました。



驚かれましたが、

「いや、それ、凄く良いですね。

やりましょうやりましょう。

いや、てか、何で今まで思い付かなかったんだろー!いや、それ、良いですね!」

と、良いですねーを連呼されました



今までこんな申し出はなく

どうやら変な人たちだったようです



入院後も撮影出来るかもしれないが

もしかしたら、バタバタして

撮影できないかもしれないからともう一度、

エコー室に行って、撮影する時間を設けていただきました。



じっくりと、病気の話抜きで、

コレは手で、足でと、解説まで入れて頂きました。

生きた証をひとつ、残せて、とても感謝しています。



そして、先生から最後に。

「うちでは、みなさんにお願いしている事があります」

「赤ちゃんに、名前をつけてあげて欲しいんです」

人によっては辛い事かもしれません。

でも、私たちは元々考えてあげたいと思っていたので

はいと答えました。


その後は、入院前の検査(採血、心電図、レントゲン)をし、

入院の手続きをしてから病院を後にしました。