パニック障害経験お持ちの方で、初めの発作が


起きた時の事は、生涯忘れる事の出来ない体験に


なっているのではないでしょうか?私自身も


この体験が後に人生を大きく左右するものだった


と痛感しています。




ここから私自身の赤裸々な体験談を書きます。


生々しい体験談が苦手な方、体調の良くない方は読まないで方が


よろしいかと思います。下の方の★の部分まで飛ばして下さい。



 あれは忘れもしない1996年6月25日の事です。


いつもの様に仕事から帰り、娘をお風呂に入れ終わり食事を


済ませ自室でくつろいでいた時の事でした。


急に胸が圧迫され喉を絞められた様に呼吸が苦しくなり、


手足の感覚が無くなり目眩、動悸耳鳴りが襲ってきたのです。


そうです。過換気症候群という発作です。今では良く耳に


する言葉ですが、当時はあまり知られてなかったと思います。


何の前触れも無かった為に、恐怖のあまり藻掻き苦しんでしまい、


必死に手を使ってジェスチャーで妻に何とか頼んで救急車を


呼んでもらいました。その時の映像は今でも良く覚えています。


泣きながら感覚の無くなった手で何とか妻の手を握り


「もう俺は死んでしまう!後の事は任した」などと


心の中で念じながら走馬燈の様に昔の映像が蘇っていました。


知識の無い私にとっては完全に「死の瞬間」(推測ですが)だったのです。


この事が後に多大な事態を招くとは・・・。



 搬送中、救急隊の方は何も出来ない様子でした。私に一生懸命、


話しかけてくれていたと思います。強烈な発作でしたので、意識が


飛びそうになっていたのです。視界はコイン1枚ほど耳は聞こえない


手足の感覚がない状態です。病院に着き医師達の元へ辿りついた


時も発作真っ直中でした。しばらくすると、一人の医師が私の口に


紙袋を乗せてこう言いました。


「しばらくすると治まります。」しかし、不幸にもその後


30分以上治まりませんでした。合計1時間以上も


過換気状態でしたので、発作が治まってから何時間も手足が


真っ青だったのを良く覚えています。


この時、医師が家族には原因を話してくれていたとは思いますが、


私にはこう言っただけです。


「疲れが溜まって発作が起きただけです。」・・・?


私はその時にもっと医師に質問するべきでした。


長く患うか早期に治るか、すぐに忘れていたか


ここが大きな分かれ道だと思います・・・。


実際は質問する元気もなく、強烈な疲労感でした。


まるで何日も眠らないでずっと登山でもしていたか


という疲労感で、一週間寝込んでいました。


発作の翌日は全身筋肉痛でした。


目が覚めていた時は、常に


「何故、あんなに苦しい発作?実は本当は病気では?」


という疑問を持ってしまったのです。


これがこの病気の序章です。ここから


「予期不安」「広場恐怖」が大きく人生を揺すぶる事になるとは・・・。




★前途は私の場合ですが、こういった「はじめの発作」の直後


も非常に大事でなのですが、実はこの前の出来事に沢山の


原因が隠れています。そしてこの「何故?」「病気?」といった


疑問を持ち続け「症状を考え込む癖」をつけてしまったのです。


やっかいな「取り越し苦労」と「悪循環」・・・。



実は、この「何の前触れも無かった」という発作でしたが、


予兆はありました。この発作の数ヶ月前から内科に通っていました。


そして、その頃様々な環境変化やストレスもありました。




続きはまた