パニック障害発症の回想 その8

それからは、カウンセリングを受けて内科で診察&薬の処方と言うのが定着した。
でも肝心の症状はというと、どんどん悪化していった。
それで、なんとか行けてた会社だったけど、着いたらパニック発作。
点滴、早退。そんな毎日。それが早退する時の帰りの電車でも動悸が出るようになり、もう本当にどこに行くのも何をするのも怖くて怖くて、、、
しかも、その頃は実家の両親も仕事が上手くいかず、家庭の中も本当に居心地が悪く何より母がパニック障害のことを全く理解してくれなかったのが本当に辛かった。
彼氏のお母さん(今の姑)のほうが、よっぽど親身になってくれて診察の時に同行してくれて、母にも来るように話してくれて母と一緒にカウンセリングの先生のところへ行き、先生から母にパニック障害のことを説明してもらったりした。
怠けているわけでも、弱いわけでもないこと。
ゆっくり心を休ませてあげてほしいこと、、、
あんなに反抗心で受けてた私ははじめてカウンセリングで泣いた。
母も神妙な顔で聞いてて、良かった、、、って思った。
のが間違いだった。
さぁ、終わって退室ってときに母は信じられないことに
『聖マリアンナとかに行った方が治りますよね?』と言ったのだ。
正直そっから、あんまり記憶がない。
覚えてるのはその後カウンセリングの先生と2人で話をしてお礼をいって待合室に行ったら義母だけがいて、母は帰ってしまっていた。
とても悲しくて、もう絶望感でいっぱいだった。
ちなみに私と母は昔から折り合いが悪かったとか、毒親だったとかではない。
普通の本当にごく普通の家庭で兄弟もいて分け隔てなく愛情を感じて育ってきた。
だからこそ、パニックに関しての母の無理解が悲しかった。

母だけでなく兄弟もストレスなんて、誰にでもあるんだから。気持ちの持ちようだって言われることが辛かったし、そんな自分を弱い人間だと思って毎日泣いてた。
救いだったのが親友や彼氏(旦那)だけが

あなたは、世間のために、社会のために生きているんじゃない。
じぶんが幸せになるために生きているんだ。
誰の目を気にすることなく自分が幸せだと思って生きていけるようにすればいいんだ。
あなたは、あなたで、そのままでいればいいんだ。

と言ってくれていたことだけが救いだった。