おはようございます( ˙꒳˙ )
昨日、娘に誘われ、仕事終わりに、岡山シティミュージアムで開催中の特別展「深堀隆介展 水面のゆらぎの中へ」を観覧してきました。
でも、ご本人は、『金魚絵師』と言われることに抵抗があると、作品の中に書かれていましたが、、、。
上の写真の説明文にあった、3年生のときの課題作品。会場に入った直ぐに、この『自己像』が有りました。
“学校の裏山で、骨になりそうな枝を採取し、それを組んで、英字新聞を貼って作った”
というような事が書かれていたと思うのですが、初めは、「へ〜(´・∀・`)」くらいにしか思ってなくて、写真も撮らずにほぼ素通りしました。失礼ですみません💦
ですが、この作品↓を見て、「これは、さっきの自己像、撮っとかないかんな〜❗️」と戻って写してきたのが、⬆️の写真です。
キャプションを見たらお分かりのように、これは、畳にアクリル絵の具でペイントされた金魚なんですが、近くから見ても、本当に畳の上に金魚が泳いでいるように見えます。
で、これ↓が、卒業制作の 作品なのかな?本当に大きいです。
『金魚』と言えば、夏の風物詩でしょうか。こちらの作品もキャプションを見つけられず、タイトルが分からないのですが、水没した(?)蚊取り線香から大量の金魚が出てきたりと、不思議な光景。
この作品を見てると、私が、小さい頃によく見ていた、『お風呂に入ってて、そのお風呂の蛇口から金魚が出てきて、「気持ち悪い〜」と思いながら、一緒にお風呂に入る』という、何とも奇妙な夢を思い出します。
こちら⤵︎ ︎は会場の最後に展示してあった作品です。
実は、私は、金魚って、あまり好きではなくて、その理由は、不自然で、気持ち悪いって思ってたんです。背鰭無いでしょう?彼らは。それって、早く泳ぐ必要が無いって事ですよね。って事は、一生人間の観賞用でしかないんですよね。小さい入れ物の中でしか生きれない。
でも、そんなこと、金魚は気にしてないし、分かってもいないって、深堀氏は思うのだそうです。
深堀氏の死生観を、“水の中を優雅に泳ぐ金魚”や、“次々と人の手によって綺麗な形に作られ続けた金魚”をモチーフにすることで、人とは?人間社会とは?を問いかけ続けてあるのかな?と思った展覧会でした