退院から3日経ち今日は火葬の日でした。





入院中はやはり病院だからか
ずっと落ち込んでしまい泣いてばかり
でしたが退院して日常に戻ったからか




比較的元気に前向きに過ごしています。でも寝る前や1人でボーッとしてる時に涙は出てきます。




でも元気です!




長男を保育園に入れて働こう!
夏までに痩せよう!など前に前に
進もうとしています。




前に進んでいないと
やってられないからでしょうかね。




今日はタイトルの通り火葬をしてきました。




退院した日に火葬場の安置所に
預かって貰っていて久々の対面。
元気に泣かずに最後のお別れを
言えて良かったです。




空と過ごした日々、本当に宝物の様に
思い出すとキラキラしています。
妊娠が分かった時、心拍が確認できた日、母子手帳を貰った日、初めての胎動。




…本音を言ってしまえばまだ一緒に生きたかった。
お腹の中で元気に動いていて欲しかった。




入院してる時、今ならやっぱり辞めますって言って引き返せるんじゃないか?本当にこの決断は正しいのかなって思っていました。



あんなに重度の症状でそれでも
必死にお腹にしがみついててくれてた我が子、本当は外の景色見たかったのかもしれない、私達に囲まれたかったのかもしれない、本当は生きたかったのかもしれない。




だから必死になって
生きていてくれてたのかもしれない。
エコーの時や胎動でこんなに元気だから大丈夫だよ!って伝えていたのかもしれない。




生きていたのに中絶を選んだ、その後悔は一生背負っていかなければならないと思ってます。






話は戻りまして
仏具?などでがっつり仏壇を
作ってしまうと重々しいかなと思い
なるべく可愛く飾り付けようと
思っています。




納骨は今の所考えていません。
いつかはしたいと思っています。





ここからまた過去の話になります。
産まれてから知ったのですが
息子は単眼症でした。



全前脳胞症の中で最も重度の症状。
病名の通りお目目が1つしかない症状です。




大学病院の先生には顔が隠れてて分からないけど目は2つあって寄ってるかもねと言われていてまさか単眼症とは思っていなかったので最初に見た時はかなりショックを受けてしまいました。




けれどなぜ単眼症なってしまうのかを私なりに調べてみて腑に落ちたのですが




赤ちゃんの脳が作られる過程で頭の前当たりから作られてそこから大きくなっていってだんだん右脳と左脳に分かれて行くらしいです。




右脳と左脳に分かれるまでは脳は1つの塊みたいな感じでしょうか。




そして右脳と左脳が少しでも分かれていれば目が2つ出来ていたのですが私の息子の場合全く右脳と左脳に分かれておらず脳が1つしかなかった為体が本能的にこの子は目が1つで大丈夫なのかな?と判断して目が1つで形成されたのかなと。(あくまでも私の解釈です。)




全前脳胞症は軽度だと目も2つあり出産して生きていく事も可能?みたいでその場合は右脳と左脳が成形できて来てでも途中で脳の成長が止まってしまった状態?




息子の場合は脳の成長がかなり早い段階で止まってしまった為全前脳胞症の中でも重度だった。と言うことでしょうかね。(本当に私の解釈でしかないので嘘かもしれません。)





でもそう考えるあぁそれじゃお目目が1つなのもしょうがないかと思えてそれから息子の事を受け入れられる様になりました。




最初は知らなかっただけに本当に
ショックで…単眼症と口にするのも
怖くて…なんか…あの時の感情は表現できないですね。




前々から言われていれば良かったかな…




それから中期中絶についての体験を
またブログに書いていきたいなと思っています。




実際に体験した話を聞かないで手術に挑むのと実際に体験した話を聞いて手術に挑むのとでは不安がだいぶ違うと思います。




もちろん体験談を読んでも不安は不安です。けれど読まなかったら漠然な不安のままだったと思います。




少しでも私の体験を読んで不安を軽く出来て頂けたら嬉しいです。





子供についてもう子供はいいかな…と前のブログで言っていましたがやはり欲しいです。すぐにでも!出来れば男の子が良いな…




その子が空じゃない事は分かってるし
空と名前をつけるのは違う気がするので
つけるつもりはないですが戻ってきてくれたような気がするので…




でも女の子も欲しい!どっちも欲しい!笑




まだまだ悲しむ事も多いですがこれからの人生、空を含め家族みんなで前向きに進んで行きたいと思います。