ラージャヨガとは「般若の智慧」のことを言います。
「絶対」の智慧と、「空」の智慧と、「無」の智慧
この3つを知ることを「般若の智慧」と言います。
それを記した262文字、「般若の智慧」を最小限にした言葉の羅列を般若心経といいます。
これがラージャヨガです。
あなた自身が、自分の名前を語ることが出来ずに、自己紹介を行うとしたら、
「大阪の〇〇に住んでいるものです。」
「男性です。女性です。」
「〇〇という仕事をしています。」
「父はこういう人で、母はこういう人です。」
という風に自分の周囲の情報を一生懸命羅列して自分を定義しようとするときに、気がつきます。
自分の情報はありません。
自分の情報を伝えたいはずなのに、自分以外の情報ばかりを伝えていることに気がつくと思うのです。
周辺の環境ばかりを言ってしまうのです。
そう考えると、
「自分って一体何なんでしょうね?」
アイデンティティは嘘なのです。
自己概念、セルフイメージ、
自分が自分をどう知っているのか?
これがアイデンティティといいます。
それは、情報入力されてきた集大成からなんとなくそうではないかなとしゃべっているだけなので、
アイデンティティは嘘なのです。
アイデンティティが嘘なら持ちうる信念も嘘です。
信念も嘘なら持ちうる能力も嘘です。
人間は
「環境」「行動」「能力」「信念」「アイデンティティ」と5つのレベルで定義できるといったのがロバート・ディルツです。
これを心身論理レベルといいます。
もっと簡単に言うと、
どこにいて、どういう身体の使い方をしていて、どういう能力を特に使って、どういう信念をもっていて、自分をどのように知っているのかを知っているとき、
一応定義できるということです。
僕たちは、名前を語ったら、全部の情報が内包されていると思うかもしれませんが、そんなことはないです。
自己紹介をするとき、どこにいて、どういう身体の使い方をしていて、どういう能力を特に使って、どういう信念をもっていて、自分をどのように知っているのかを伝えないと自己紹介にはなりません。
それを名前を言ったら完了して、そういった情報が相手に伝わると思いますか?
伝わるわけがないです。
アイデンティティは嘘であり、単にプログラミングによってある程度固まってきた一応仮の世界とのつながり方だとわかる。
これをラージャヨガといったわけです。
これが、般若の智慧です。
ラージャヨガの境地に行くと、ストレスが無くなります。
なぜなら、当該状況に自分がこだわらないということになるからです。
それはあるアイデンティティがその状況にストレスを感じているだけです。
つまり、自分という視点から何か物事が起こった時、そこに何かしらの反応をしているのは「自分」であって、
自分という概念にこだわらなくなれば、そこの反応は違ってくるからです。
こういうこだわらない状態をプロコミュニケーションモデルではメタ、鑑賞者と言っています。