地図は土地そのものではない (3) | コミュニケーションを極める実践トレーニングを学ぶスクール

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ひとつ前の記事での事例は、全部「地図=土地」となってしまうことによって起こることなのですが、これは統合失調症患者に限らず、誰にでも起こりうる論理エラーであり、ほとんどの人が少なからず日常でこの論理エラーを起こしてしまっています。

 

人は自身の内的世界に地図を映し出すモニターのようなものを持っており、五感を通して入ってきた情報をすべてそのモニターに映し出し、それを見ながら外界を理解しようとしています。

しかしながら、五感を通して外界から入ってくる情報は、個人の過去体験というフィルターを通る過程で様々な意味付けが施されてしまうので、内的世界のモニターに映し出されるころには、元の情報とは別のモノになっているのです。

つまり、我々人間が知覚し、現実として認識している情報は、外界のありのままの情報を反映しているわけではないということなのです。外界の情報に一切意味付けすることなくありのままを知覚できる人間は基本的に存在しないのです。

 

例えば、何でも良いのですがあなたの周りにある物体を見てみてください。あなたは今その物体を、100%ありのまま外界にある情報として見ていると言えるでしょうか?また、あなたの隣に誰かがいるとして、その人は、あなたが見ているその映像と全く同じものを見ていると言い切れるでしょうか?

少し命題的な話となってしまいましたが、もっと簡単な切り口でとらえるなら、「球状の物体」を見たある人は、それを「ボール」だと言うかも知れませんし、またある人は「部屋の飾り」だと言うかも知れません。また、同じ「犬の鳴き声」を聴いても、日本人には「ワンワン」と聞こえるし、アメリカ人には「バウバウ」と聞こえるといったことからも、人によって見ている「地図」は違うということが納得できます。

 

当たり前のことですが、同じ外界情報に対する意味付けの数は、人の数だけ存在しているということなのです。誰かが現実として認識していることは、どこまでいってもその人の内的世界における“ありのまま”であり、その人が見ている地図であって、土地そのものではないということをしっかりと身体で覚えるということは、非常に柔軟なコミュニケーターであるためにも非常に重要なことなのです。