例えば、統合失調症患者について言えば、
対人および内面コミュニケーションにおいて、「地図」と「土地」とを全く区別できない、或いはそれらを区別するという発想を全く持たない状態にあると言うことができます。
実際にあった話を紹介します。
『統合失調症患者のX さんがレストランに行きました。メニュー表を見ています。レストランのウェイターが注文をとりに来ると、X さんは、「ハンバーグ定食にします」と言いました。「承りました」ウェイターがそう答えると、次の瞬間X さんは、ハンバーグ定食のイメージ写真が載っているメニュー表にガブッとかじりつき、食べ始めてしまいました。』
いったい何が起こっているのでしょうか?
ここでは、メニュー表が「地図」にあたり、「土地」はウェイターが後で運んでくるはずのハンバーグ定食ということになりますが、X さんにはこの区別が全くつかないのです。X さんは決してふざけているわけではなく、メニュー表に写っているハンバーグ定食のイメージ写真を、本気で“食べ物”であると認識しながら食しており、この時「地図」と「土地」は完全にイコールの関係になってしまっているのです。
さらに、統合失調症患者の研究で明らかになったこととして、ある人の内的世界でちょっとしたエラー(マイナーエラー)が起こると、その後、外的世界のすべての情報がマイナーエラーのフィルターを通るようになるので、自分のハードディスクとしての大脳にそれらの情報を保存しようとするとき、重大なエラーをともなった記憶が保存されるようになってしまいます。この重大なエラーが起こっている状態をよく表しているのが、「草の三段論法」です。
一段目:「人間は死ぬ」これは正しく、
二段目:「ソクラテスは死ぬ」これも正しい。
三段目:故に「ソクラテスは人間である」
と、論理的に正しい記述が可能です。
もう一つは、
一段目:「ソクラテスは人間である」これは正しい。
二段目:「人間は死ぬ」これも正しい。
三段目:故に「ソクラテスは死ぬ」
となり、ここでもエラーは起こっておらず、正しい記述がなされています。
しかし、統合失調症に代表される症状を抱える人は、「草の三段論法」によると、
一段目:「人間は死ぬ」
二段目:「草は死ぬ」
三段目:故に「人間は草である」
という致命的な論理エラーを起こしたまま、本人にとってそれが完全に真実であるという状態にアクセスしてしまう頻度が、一般の人よりも著しく多い人であると言えるのです。
この論理エラーの何が恐ろしいかというと、上記のように「人は草である」ということが完全に真実となっている人にとっては、やはり人は草なのであって、人と草を区別する余地は全くありません。仮にそのような人(Y さんとします)の前を通りすがった誰かが、道端に生えている草を踏んでいき、Y さんにとってその始終が楽しそうに見えたとすると、次の瞬間Y さんは、周りにいる人たちを踏んで歩こうとします。Y さんにとっては「人は草」なので、本人にしてみれば、ただ草を踏んで遊んでいるだけなのです。それを健常者と言われる人が「異常者」だと呼んでいるのです。
踏むくらいならまだ良いのですが、例えば、Y さんの目の前に生えている雑草を、美観を保つという善意の気持ちで誰かがむしりとってしまったとしたら、そしてその善意の行為をY さんが素晴らしいと感じたとしたら、次の瞬間何が起こるでしょうか?そう、周りにいる人たちの首を次々にもぎとってしまうことでしょう。救急車も駆けつけるでしょう、人の首がたくさん飛んでいきますから。。
彼らにしてみれば、純粋に「当たり前」の行為を真似したに過ぎません。でも、これでは健常者と言われる人達が構築した「社会」の中では適応していけないのです。そしてその危険性ゆえ、Y さんのような人は、現実に外界との接触が不可能なオリの中に完全に隔離されているのです。もとは、ちょっとしたマイナーエラーが発生しただけなのですが。
続きは次回。