「みのもんたの日本ミステリー」第4回目放送分の感想  その1 | 「物語を物語る」案内サイト アメーバ版                          

「みのもんたの日本ミステリー」第4回目放送分の感想  その1

「みのもんたの日本ミステリー」第4回目が、テレビ東京で2008年3月21日放送された。

番組宣伝では
「日本の歴史や事件の裏に隠された様々なミステリーを解明する知的バラエティ第4弾。我々の住むに住む国、日本。この科学の発達した国にも、まだ解き明かされていないミステリーは数多く存在する。次々と解明されていく日本ミステリーという壮大なロマンに隠された謎!みのもんたを司会に、知的好奇心を満たしてくれる衝撃の事実盛り沢山でお届けする。」とある。

いわゆる「歴史ミステリー」ということで、番組を見てみた。過去に「家康、信玄親子説」というトンでも説を出した番組。
まあ真偽はともかく番組内容と解説を書き出してみます。

『佐々木小次郎はキリシタンだった。巌流島の決闘は暗殺だった!?』

巌流島では、小次郎の霊が祟るという、その理由はなぜか、という問題提起から始まります。(すでに怪しい)

1612年、宮本武蔵と佐々木小次郎が対決したとされる「巌流島の決闘」。決闘の立会人は細川藩の家臣だった。
だがここで大きな疑問があるという。①細川藩剣術指南役の小次郎の記述が、細川藩の公式記録に残っていないということ。②武蔵の著書「五輪書」の中に巌流島の決闘の記述はないこと。③武蔵は決闘後、細川藩に匿われていた。鉄砲隊までつけて領地の外に出されていたこと。(沼田家記)

ここで小次郎キリシタン説が出てくる。
長州藩の記録「防長風土注進案」には、小次郎の妻の墓があるという。場所は山口県阿武町の太用寺。この近くの山麓にあるというのだ。
記録では、妻の墓と書かれているが、実際は「小次郎の墓」だった。
言い伝えによれば、小次郎の妻が、遺髪をこの地まで運び、墓にしたということだ。この周辺には隠れキリシタンの墓が多くあり、小次郎の墓とされる横には、6角形の墓がある。これは神父の墓を意味するというのだ。また墓に刻まれた文字は「佐々木古志らう」とある。「古」を分解すると「十」「口」となり、「十」は十字架を意味する。こういったことは、隠れキリシタンが密かに行ったことである。(これは確かにあったことだ)
よって、小次郎=キリシタンとなる。(?)

ここでキリシタンである小次郎を殺すために、細川藩が決闘という名目で「暗殺」を行ったという説を出す。

小次郎は豊前佐々木一族、福岡県の添田の豪族の子孫であったという。
1587年に佐々木一族が中心となったキリシタンらが起こした豊前一揆があった。
このことから、佐々木一族の一員である小次郎を密かに抹殺すことが目的であったというのだ。
キリシタンらを押さえ込み、一揆の誘発を恐れた細川藩が武蔵を使って小次郎を殺した、という結論だ。

巌流島はもともとは船島という名前だったが、決闘後、小次郎の剣の流派の名前「巌流」から取っているという。祟りを鎮めるため、恨みを残して死んだ者の名前を付けたという。(これは正しいと思う)
武蔵のこの後の行動も不自然であり、多くを語らなくなった。これは真相を語りたくなかったのではないのか、ともいっている。

解説は、歴史家・杉山光男氏が行った。

個人的意見
たとえ、佐々木小次郎がキリシタンだとしても、細川藩が小次郎を殺す意味が結局分からない。小次郎がキリシタンを扇動して一揆をおこすような力があったとも思えない。小次郎が殺されたからといって、一揆が起こるほどの人物であったとも思えない。また豊前佐々木一族の一揆にしても、時代は秀吉であり、実際にキリシタンの一揆だったのか。たとえ、そうだとしても、のちの江戸時代である、ここで小次郎、キリシタン一揆、細川藩などがどうも結びつかない。つまり肝心な点が曖昧なのだ。この説を考えた人は、1612年家康のキリスト教廃止の命令、1637年の島原の乱など、一連のキリシタンの事件があって、それを小次郎=キリシタン一揆の首謀者であるというのを念頭に置いてして論を進めたような感じがする。

この杉山光男氏は「家康、信玄親子説」を唱えている人で、ほかに「本能寺の変の首謀者は秀吉だった」といった奇説、珍説を唱えている方。
まあ、これもちょっと怪しい説ですね。(お前が言うなって言われそうですが……)

『聖徳太子は大予言者だった。』

これは、聖徳太子が未来のことを予言して書いたといわれる「未来記」のことを指している。
番組では、
①日本書紀には、聖徳太子を「兼ねて未然に知るろしめす」と書いている。聖徳太子は未来のことを知ることができたと記している。
②楠木正成は、四天王寺にあった「未来記」を見たという。(ただし今は現存しない。)
③京都・大谷大学に写本として「未然本紀」が残っている。これをもとに話を進めていた。
(立教大学教授 小峰和明氏が紹介していた。)

ここで、秋山眞人の解説が入る。(怪しい)  本能寺の変や秀吉の天下統一などが的中していたことを解説。そして、第二次世界大戦やアメリカの9.11テロ事件まで予言していた、語っている。こうなるとかなり怪しくなる。

ここから将来の予言を紹介。

2020年ころ 埋蔵金発見
同じころ   首都移転。北東の方角に移転するという、番組では「那須阿武隈あたり」としている。
2030年地球崩壊。地球に小惑星「アポフィス」が激突か、NASAの観測を紹介。
とここまでが番組内容。


私的感想。
「ムー」か!それだけです。
まあ面白いんですが、あまり「恐怖心」を煽らない方がいいと思います。ノストラダムスの予言が外れたので、次は「これか」って感じ。

さて、楠木正成が「未来記」を見たというのは、「太平記」巻六 正成天王寺未来記披見事 に出てくる。
元弘2年(1332年)9月 楠木正成は天王寺を参詣、そこで長老の僧に「聖徳太子がその昔、百代の帝の治世の安危を慮られて、日本国の未来記を書き置かれたといいますが、それは本当でしょうか。もし差し支えなければ、当代に相当する巻だけなりとも、ひとめ拝見させてください」と頼んだ。僧は「聖徳太子が逆臣物部守屋を討たれ、はじめてこの寺を建立されてから、仏法を日本国中にひろめられたのちに、神代から持統天皇の御代までのことを記した書三十巻は、先代旧事本紀といって、卜部家が代々伝承して有職の家となっております。しかし、それ以外にも一巻の秘書を残されました。これは持統天皇以後末世にいたる代々の帝の御治世および天下の治乱のことを記しております。この書を安易にひもといて見ることはできないのですが、特別のお計らいでひそかにお目にかけましょう」といって正成に見せた。そこに皇朝九十五代目のときに天下が乱れるが、動乱が治まると国は本来の治世に戻る……。などと書かれていた。九十五代目は後醍醐天皇のことであったので、これは天下の動乱も長くはあるまいと正成は確信したという。

ここにもあるように、「未来記」は天皇の治世について書かれたものである。よって、外国のテロ事件なんて全く関係のないことが分かる。「未来記」を使って「ノストラダムスの予言」的にいろいろとこじつけていくのは、どうも無意味である。
だが、「未然本紀」「未来記」を全く否定することもよくない。これらは歴史的な史書としてみるべきであって、そこに書かれている内容や、成立背景を調べたり、なぜ書かれたのか、本当に聖徳太子が書いたものなのか、といった学術的研究がされるべきなのです。

次回に続く。「関ヶ原の戦いの黒幕はエリザベス女王だった」「邪馬台国は四国にあった」など。