アンパンマン考 10 将来の娘と自分へのメッセージ
アンパンマン考10回目にして、最終回。
娘の何気ない質問から始まった「アンパンマン考」ですが、幼稚園児の娘に分かるような内容ではないですね。
でもそのことは自分でもよく分かっています。
しかし、だれかのために、時間を掛けて、努力をし、何かを残す、という事をしてみたかったのです。
これは手編みのセーターを編んだり、手作りケーキを作ったりすることと同じことで、私には書くことしかできないので、こういった形になっただけなのです。
絵が上手ければ、似顔絵を描いていたし、詩が書ければ、歌でも作っていたでしょう。
まあ、時期もクリスマスシーズンなので、クリスマスプレゼントということにしたのです。
でも、こんなクリスマスプレゼントは喜ばないだろうけど……。
勿論、ケーキも買うし、クリスマスブーツやプレゼントは他にも用意はしてあります。
でもモノではない、「何か」形に残るものを娘のためにしたかったのです。
そして、娘からは絵をもらいました。
ひらがなとカタカナがあやふやですが、そこがまたいいんです。
手作りっていうのはいいですね。
やはり、お返しは何か自分で作ったもの(今回は書いたもの)がいいと思った。
そして切っ掛けは、「アンパンマン考の1」に書いたように、5歳の娘からのフトした疑問。
これは、いい。子供の疑問に答えるというプレゼントがあってもいいのでは、と思いついて書き始めました。
思い立ってからは、いろいろ調べて、書き綴ってみました。ただいつものようにどんどん膨らんでまとまりのないものに。
でもそれでもいいと思っているんです。
時間をかけて、頑張った、というのが重要なんですから。
それに、クリスマスまでにというのにも少々訳があります。
クリスマスから年末年始にかけては、どっぷりと仕事に浸かってしまいます。
娘が寝ている早朝には家を出て、娘が熟睡している夜に帰ってきます。だから、この時期は起きている娘の顔を見ることはあまりなのです。
それが毎年続くのです。
だからクリスマス、年末年始のイベントの日は、家族とはほとんど一緒に過ごせないのです。
そんな私に娘は何も言わないですが、きっと寂しい思いをしているはずです。(というか自分が寂しいんですけどね)
クリスマスに家族と過ごすなんて、子供が小さいうちだけでしょうから、(年頃になったら彼氏や友達と過ごすでしょう)いまのうちにそれができないのですから、一生、自分の娘と聖夜を祝えないということになるのでしょうか。
しかも12月24日は私の誕生日!
私の人生にとっても、娘の人生にとっても「5歳のときのクリスマス」というのは、もう二度とないんですよ。
あとになってから「聖夜の楽しい思い出」がないというのは寂しいことです。
そして、いま何気なく送っている月日は、実は「かけがえのない黄金の日々」なのかもしれない。
そんなことを最近思っていたのです。
そんなとき、娘が私のヒザの上に座って「アンパンマン」を見るながらいったのが、あの質問だったのです。
これは、書くしかない。自分の出来る限りの労力を使って、という思いで書いたのです。
だから「アンパンマン考」はある意味娘への手紙みたいなものです。
「じゃー、ブログなんかに書かないで、内々でやってろよ」って言われそうですね。
でも、ブログはただの日記でない、新しい記憶貯蔵装置みたいなものだと思っています。
いま家族や子供の写真を載せ、家族の出来事をブログに載せている方かなり多いですよね。あれは、きっと後になって読み返したときに、きっといい思い出となっているはずです。
それは、家族にとってものすごい価値のあるものとなるはずです。
そして、そのときになって、「あーあの時こんなことを考えていたんだ」と思い起こすことになるんです。
だから、「アンパンマン考」はいま幼稚園児である娘には分からなくてもいいんです。将来、娘が大きくなり、ここに書かれている内容が分かるようになったら、そのときに「そんなこと考えていたんだ」と分かってくれればいいということなのです。
映画「マディソン郡の橋」では、死んだ親の手紙と日記を、成人した子供達が見つける、というところから物語が始まります。そのときに初めて、親に起こった出来事を知ってゆくという話の設定でした。
(趣向としてはこんなものにしたかった)
そして、いつかは、娘も「アンパンマン」を卒業していく。
(画像は、お気に入りのアンパンマンの茶碗。きれいに食べると、底からアンパンマンが見える、そんなことでも喜んでいました。)
そんな娘も小学校に入ったら、アンパンマンも見なくなってしまうでしょう。
それは成長したという証でもあるわけです。
嬉しくもあり、ちょっと寂しいような気もします。
でも、将来いつの日にか、娘も結婚して、子供ができたときに、その子と一緒に「アンパンマン」を見ることになるでしょう。
そう、いまの私と同じように。
そのときに「アンパンマン考」の真の意味が伝わればいいんです。
では、最後に「アンパンマンのテーマ」の歌詞を掲載して終わります。
アンパンマンは自分の心の中の善と悪の戦いである、というのを思いながら読むと、かなり心に響きます。
女優の柴咲コウさんが、ある番組で辛い時に勇気づけられた曲として「アンパンマン」の曲を紹介していました。
この歌詞の深い内容に共感できるということは、彼女の感性は鋭いということですかね。
「アンパンマンのマーチ」
【作詞】やなせたかし
【作曲】三木たかし
『 そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ!
今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため
なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!
忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも
そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため
時は はやく すぎる
光る 星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため 』
実に「深い」歌詞です。
歌詞の中にある「アンパンマン」を自分や自分の子供、または大切な人などに置き換えてみてください。そうすると、わたしたちへの「応援歌」のように聞こえてくるから不思議です。
ということで、これで「アンパンマン考」はおわり。
以上が、2007年のクリスマスに考え、思ったことでした。
娘の何気ない質問から始まった「アンパンマン考」ですが、幼稚園児の娘に分かるような内容ではないですね。
でもそのことは自分でもよく分かっています。
しかし、だれかのために、時間を掛けて、努力をし、何かを残す、という事をしてみたかったのです。
これは手編みのセーターを編んだり、手作りケーキを作ったりすることと同じことで、私には書くことしかできないので、こういった形になっただけなのです。
絵が上手ければ、似顔絵を描いていたし、詩が書ければ、歌でも作っていたでしょう。
まあ、時期もクリスマスシーズンなので、クリスマスプレゼントということにしたのです。
でも、こんなクリスマスプレゼントは喜ばないだろうけど……。
勿論、ケーキも買うし、クリスマスブーツやプレゼントは他にも用意はしてあります。
でもモノではない、「何か」形に残るものを娘のためにしたかったのです。
そして、娘からは絵をもらいました。
ひらがなとカタカナがあやふやですが、そこがまたいいんです。
手作りっていうのはいいですね。
やはり、お返しは何か自分で作ったもの(今回は書いたもの)がいいと思った。
そして切っ掛けは、「アンパンマン考の1」に書いたように、5歳の娘からのフトした疑問。
これは、いい。子供の疑問に答えるというプレゼントがあってもいいのでは、と思いついて書き始めました。
思い立ってからは、いろいろ調べて、書き綴ってみました。ただいつものようにどんどん膨らんでまとまりのないものに。
でもそれでもいいと思っているんです。
時間をかけて、頑張った、というのが重要なんですから。
それに、クリスマスまでにというのにも少々訳があります。
クリスマスから年末年始にかけては、どっぷりと仕事に浸かってしまいます。
娘が寝ている早朝には家を出て、娘が熟睡している夜に帰ってきます。だから、この時期は起きている娘の顔を見ることはあまりなのです。
それが毎年続くのです。
だからクリスマス、年末年始のイベントの日は、家族とはほとんど一緒に過ごせないのです。
そんな私に娘は何も言わないですが、きっと寂しい思いをしているはずです。(というか自分が寂しいんですけどね)
クリスマスに家族と過ごすなんて、子供が小さいうちだけでしょうから、(年頃になったら彼氏や友達と過ごすでしょう)いまのうちにそれができないのですから、一生、自分の娘と聖夜を祝えないということになるのでしょうか。
しかも12月24日は私の誕生日!
私の人生にとっても、娘の人生にとっても「5歳のときのクリスマス」というのは、もう二度とないんですよ。
あとになってから「聖夜の楽しい思い出」がないというのは寂しいことです。
そして、いま何気なく送っている月日は、実は「かけがえのない黄金の日々」なのかもしれない。
そんなことを最近思っていたのです。
そんなとき、娘が私のヒザの上に座って「アンパンマン」を見るながらいったのが、あの質問だったのです。
これは、書くしかない。自分の出来る限りの労力を使って、という思いで書いたのです。
だから「アンパンマン考」はある意味娘への手紙みたいなものです。
「じゃー、ブログなんかに書かないで、内々でやってろよ」って言われそうですね。
でも、ブログはただの日記でない、新しい記憶貯蔵装置みたいなものだと思っています。
いま家族や子供の写真を載せ、家族の出来事をブログに載せている方かなり多いですよね。あれは、きっと後になって読み返したときに、きっといい思い出となっているはずです。
それは、家族にとってものすごい価値のあるものとなるはずです。
そして、そのときになって、「あーあの時こんなことを考えていたんだ」と思い起こすことになるんです。
だから、「アンパンマン考」はいま幼稚園児である娘には分からなくてもいいんです。将来、娘が大きくなり、ここに書かれている内容が分かるようになったら、そのときに「そんなこと考えていたんだ」と分かってくれればいいということなのです。
映画「マディソン郡の橋」では、死んだ親の手紙と日記を、成人した子供達が見つける、というところから物語が始まります。そのときに初めて、親に起こった出来事を知ってゆくという話の設定でした。
(趣向としてはこんなものにしたかった)
そして、いつかは、娘も「アンパンマン」を卒業していく。
(画像は、お気に入りのアンパンマンの茶碗。きれいに食べると、底からアンパンマンが見える、そんなことでも喜んでいました。)
そんな娘も小学校に入ったら、アンパンマンも見なくなってしまうでしょう。
それは成長したという証でもあるわけです。
嬉しくもあり、ちょっと寂しいような気もします。
でも、将来いつの日にか、娘も結婚して、子供ができたときに、その子と一緒に「アンパンマン」を見ることになるでしょう。
そう、いまの私と同じように。
そのときに「アンパンマン考」の真の意味が伝わればいいんです。
では、最後に「アンパンマンのテーマ」の歌詞を掲載して終わります。
アンパンマンは自分の心の中の善と悪の戦いである、というのを思いながら読むと、かなり心に響きます。
女優の柴咲コウさんが、ある番組で辛い時に勇気づけられた曲として「アンパンマン」の曲を紹介していました。
この歌詞の深い内容に共感できるということは、彼女の感性は鋭いということですかね。
「アンパンマンのマーチ」
【作詞】やなせたかし
【作曲】三木たかし
『 そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ!
今を生きる ことで
熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため
なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!
忘れないで 夢を
こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ
どこまでも
そうだ おそれないで
みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため
時は はやく すぎる
光る 星は 消える
だから 君は いくんだ
ほほえんで
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ どんな敵が あいてでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ! みんなの夢 まもるため 』
実に「深い」歌詞です。
歌詞の中にある「アンパンマン」を自分や自分の子供、または大切な人などに置き換えてみてください。そうすると、わたしたちへの「応援歌」のように聞こえてくるから不思議です。
ということで、これで「アンパンマン考」はおわり。
以上が、2007年のクリスマスに考え、思ったことでした。