「消えた二十二巻」名前の由来 | 「物語を物語る」案内サイト アメーバ版                          

「消えた二十二巻」名前の由来

このブログのハンドルネームは「消えた二十二巻」といいます。

なんとも奇妙な名前ですが、その由来は太平記にあります。

太平記は三部構成の四十巻もある大長編で、鎌倉幕府滅亡前後から室町幕府三代将軍足利義満が就任するまでの約50年間に起こった出来事が書かれている軍記物語です。

実はその中間部分である巻二十二が全く存在していないんです。不思議ですね。

いまある太平記には、巻二十二はありますが、それは前後期間にあった出来事をつなぎ合わせ、無理やり作り直して、丸々一巻分を増やしているんですよ。だから元にあった巻二十二には何が書かれていたのか、それに各地にあったはずの太平記の巻二十二がどこに消えたのかが、全く分かっていない。

また一説によると巻二十二には足利尊氏・直義の一代悪逆が記されていたので、足利幕府が回収して焼却させたという説があります。(ということは、かなり早い時代から太平記二十二巻はなかったということになります)

太平記には、血なまぐさいことがかなり書かれていますし、足利直義も護良親王を殺害しているから、それよりも悪逆的なことといっても今さら想像も付きません。

よってこの説に私は否定的です。足利氏が悪逆なことをした、と書いたとしても、回収焼却までするだろうか、と私は疑問に思っています。

いやそれよりも、そこには、もっと、室町幕府を揺るがすようなことが、いや日本を根底から覆すようなことが書かれていたのではないかと、考えているんです。

南北朝時代は天皇が2人いて、年号も2つあったという、特異な時期です。日本が二つに分かれていたということは、後にも先にもこの時にしかありません。この特異性は、境界線を引いて国を2つに分裂していたという単純なことではなく、天皇を互いに立てて、そのイデオロギーで対立していたから、その争点もあいまいだった。しかも昨日の敵は今日の友といった具合で、離合集散を繰り返していた。

だから、太平記巻二十二には、戦や争いや、事件などといった単純なことではなく、きっと天皇や朝廷に関わるような重大なことが書かれていたのはないかと、私はにらんでいます。

太平記「消えた二十二巻」に日本の歴史を覆すような大きな謎が秘められているような気がしてなりません。

その謎に近づけるようにと付けたのが、この名前というわけです。