本日も朝から強い雨音とともに目覚め、相変わらずの雨模様の津山で、桜もやはり蕾のままです。
ということで、本日は津山城を築いた森忠政についてお話します。
津山城を築いた森忠政は、森家の六男として生まれながら、森家の家督を継いでいます。
忠政や蘭丸の父、森可成は織田信長の家臣で、美濃金山城主でした。
「姉川の戦い」で、長兄 隆が亡くなり、その半年後、父 可成が「浅井、朝倉連合軍との戦い」で討死、その後、次兄の長可が信長に認められ、大名として家督を継ぎます。
その頃、三男 蘭丸も小姓として信長の寵愛をうけていました。
蘭丸が大名になる頃、下三人の弟、坊丸、力丸、千丸(忠政)が小姓として、信長に仕え始めます。
でも、千丸はまだ13歳で精神的にも幼く、同僚の小姓達に軽くあしらわれ、ある日、先輩小姓を扇子で殴り、信長に千丸だけ母の元に返されてしまったのです。
でもこれが、森忠政の運命の分かれ道
3カ月後、「本能寺の変」で、蘭丸、坊丸、力丸の3人の兄たちは討死してしまったのです。
そして、この2年後、家督を継いでいた次兄の長可も、「小牧、長久手の戦い」で戦死。
ここに、5人の兄と父、皆戦死してしまい、忠政15歳の時、森家の家督を継ぐ事になったのです。
美濃兼山城、信濃国川中島城を経て、
1603年、美作一国18万6500石の大名となり、翌年から13年かけて、この津山城を築きあげたのです。