My way.
風邪がまったく善くならぬ。。
絶賛鼻声に、耳がつまって音がようわからぬし。
食欲はあるから元気ですが、
鼻詰まりからか味覚なしです。
おもろいやんけ~。
てか、最近じょじょに胸のモヤモヤさんがスゥーっと抜けてく感じがする。
インディーズデビューから数えて、
音楽を仕事にしてもう十数年。
さらにさかのぼると、
ピアノを三歳から習い始め、
小学三年から街のブラスバンドでトランペット、
中学三年間はほぼ休まず吹奏楽でトロンボーン。
十代後半は寝ても覚めてもバンド活動。
もう人生そのものが音楽のみで、
音と共に生きてきたような気がします。
そんな三十年になる音楽と共に過ごす生活は、
僕にとってたくさんの出会いと、
変化を与えてくださいました☆
そのほとんどが良い変化で。
でも、ほんの少しだけ、
音楽が重く感じることもあったり。
本来の本質的なモノが見えなくなったりもしたし、
考えすぎて頭ガッチガチになったり。
常に楽曲へのアイデンティティに結びつける為のアンテナを全開にしておかないといけない、ってか勝手にそうなってしもてる気もするし。
朝起きて夜寝るまでずっと。
もう呪縛ですよ(笑)
もちろん、ちゃんとありがたくも思っております。
そんな中でいつからか自分の心との会話に、
聞かぬふりをしていたような。
あと、ある意味、信じるという事が重荷になる気もするんです。
どんなに努力を重ねても、結果が思ったような形にならないとき、
それは自分の努力がたりないんだ、
と頑張る先にあるモノを信じさらに負荷をかけ。
結果が出ない、と、さらに負荷をかけて。
誰のせいでもなく、すべてが自分自身に足りない部分があるせいで、
と、自分を変える事でのみ歩みを進めれるというそんな思い込みかもしれない哲学の形が、いつしかイージーに考える時間を殺してしまっていた気がします。
自分で、自分自身の心へ家庭訪問してるイメージw
救い出すつもりが追い込んでしまって。
居留守するつもりはないけど、そんな気になる。
追い込まれた先に見る景色は、どんなモノなんでしょうか。
判断力を奪う音楽の圧力をいつからか感じ。
そうすると、正しいものとは何でしょか。
と、尾崎豊様的な発想に結びつくわけです。
中には同じように考えてはる人もいるのかな。。。
時に向上心と探求心は、
本来人間がもつべきゆるーい余白を犠牲にしてしまうとこがありますね。
そんな時間をこの十数年、
特にここ数年は頭の中にずっと、
勝手に居座られております。
追い込むのも自分。
負けるのも自分。
変えるのも先へ向かうのも、
すべて自分のみ。
そんな「自分」という概念が、
重い。
すると向上心とやらは、
「ケッキョク キミハ サイノウナシ」
と自分へ電報を送るんです。
じゃあ才能を身に付けるべく努力をしようと。
心の調子が良いときは前を向く。
あとはさきに述べたループですよ。
でも、
もうどうでもよくなった(´・ω・`)笑
「本当の」気持ちを漏らせば、
弱音はくなと諭され、
成功すれば自分の力じゃないと諭され。
いつしか僕は誰だと中身が聞いてくる始末。
そんな鉄格子から出るのは、
自分なんすよね。
だって鍵開いてるんですもの。
誰も扉に鍵はしていない。
そう思ったとき、
僕の中で、
スファーって音が聞こえてきまして。
何を悲劇のヒーローぶってるん?
ってどこかで聞こえても、
何を甘えてるの?
と後ろで囁かれても、
真実を見つめていきたいこれからは。
正しいものなんて、
もうすでに求めていない。
誰かにとって正しいモノは、
誰かにとって間違いで。
そう考えだした頃から、
音楽について真実は色々なプランを提案して来はりましてん。
まぁこの先、
ちゃんと冷静に考え、
身体と相談して、
40歳を迎えるその時を、
濁りのない視界に伸びる一本道を、
そこをゆっくりと裸足で歩いて行くのが理想です。
何かに夢中になって進んでる時が、
きっと一番幸せなのかな人は。
僕はそう思う。
決してネガティブで投げやりになってるわけじゃない。
あくまで前向きだからこそ、
この人生をより良く続ける方法を見つけたい。
最後まで読んでくれてありがとう。
何の為の人生か?
誰の為の人生か?
答えは今見つけるモノじゃないと思う。
一生懸命に生きた先に、
その答えが待ってる気がする。
いつも支えてくれてありがとう。
愛してます。
NAO
絶賛鼻声に、耳がつまって音がようわからぬし。
食欲はあるから元気ですが、
鼻詰まりからか味覚なしです。
おもろいやんけ~。
てか、最近じょじょに胸のモヤモヤさんがスゥーっと抜けてく感じがする。
インディーズデビューから数えて、
音楽を仕事にしてもう十数年。
さらにさかのぼると、
ピアノを三歳から習い始め、
小学三年から街のブラスバンドでトランペット、
中学三年間はほぼ休まず吹奏楽でトロンボーン。
十代後半は寝ても覚めてもバンド活動。
もう人生そのものが音楽のみで、
音と共に生きてきたような気がします。
そんな三十年になる音楽と共に過ごす生活は、
僕にとってたくさんの出会いと、
変化を与えてくださいました☆
そのほとんどが良い変化で。
でも、ほんの少しだけ、
音楽が重く感じることもあったり。
本来の本質的なモノが見えなくなったりもしたし、
考えすぎて頭ガッチガチになったり。
常に楽曲へのアイデンティティに結びつける為のアンテナを全開にしておかないといけない、ってか勝手にそうなってしもてる気もするし。
朝起きて夜寝るまでずっと。
もう呪縛ですよ(笑)
もちろん、ちゃんとありがたくも思っております。
そんな中でいつからか自分の心との会話に、
聞かぬふりをしていたような。
あと、ある意味、信じるという事が重荷になる気もするんです。
どんなに努力を重ねても、結果が思ったような形にならないとき、
それは自分の努力がたりないんだ、
と頑張る先にあるモノを信じさらに負荷をかけ。
結果が出ない、と、さらに負荷をかけて。
誰のせいでもなく、すべてが自分自身に足りない部分があるせいで、
と、自分を変える事でのみ歩みを進めれるというそんな思い込みかもしれない哲学の形が、いつしかイージーに考える時間を殺してしまっていた気がします。
自分で、自分自身の心へ家庭訪問してるイメージw
救い出すつもりが追い込んでしまって。
居留守するつもりはないけど、そんな気になる。
追い込まれた先に見る景色は、どんなモノなんでしょうか。
判断力を奪う音楽の圧力をいつからか感じ。
そうすると、正しいものとは何でしょか。
と、尾崎豊様的な発想に結びつくわけです。
中には同じように考えてはる人もいるのかな。。。
時に向上心と探求心は、
本来人間がもつべきゆるーい余白を犠牲にしてしまうとこがありますね。
そんな時間をこの十数年、
特にここ数年は頭の中にずっと、
勝手に居座られております。
追い込むのも自分。
負けるのも自分。
変えるのも先へ向かうのも、
すべて自分のみ。
そんな「自分」という概念が、
重い。
すると向上心とやらは、
「ケッキョク キミハ サイノウナシ」
と自分へ電報を送るんです。
じゃあ才能を身に付けるべく努力をしようと。
心の調子が良いときは前を向く。
あとはさきに述べたループですよ。
でも、
もうどうでもよくなった(´・ω・`)笑
「本当の」気持ちを漏らせば、
弱音はくなと諭され、
成功すれば自分の力じゃないと諭され。
いつしか僕は誰だと中身が聞いてくる始末。
そんな鉄格子から出るのは、
自分なんすよね。
だって鍵開いてるんですもの。
誰も扉に鍵はしていない。
そう思ったとき、
僕の中で、
スファーって音が聞こえてきまして。
何を悲劇のヒーローぶってるん?
ってどこかで聞こえても、
何を甘えてるの?
と後ろで囁かれても、
真実を見つめていきたいこれからは。
正しいものなんて、
もうすでに求めていない。
誰かにとって正しいモノは、
誰かにとって間違いで。
そう考えだした頃から、
音楽について真実は色々なプランを提案して来はりましてん。
まぁこの先、
ちゃんと冷静に考え、
身体と相談して、
40歳を迎えるその時を、
濁りのない視界に伸びる一本道を、
そこをゆっくりと裸足で歩いて行くのが理想です。
何かに夢中になって進んでる時が、
きっと一番幸せなのかな人は。
僕はそう思う。
決してネガティブで投げやりになってるわけじゃない。
あくまで前向きだからこそ、
この人生をより良く続ける方法を見つけたい。
最後まで読んでくれてありがとう。
何の為の人生か?
誰の為の人生か?
答えは今見つけるモノじゃないと思う。
一生懸命に生きた先に、
その答えが待ってる気がする。
いつも支えてくれてありがとう。
愛してます。
NAO