外国人から、あなたの宗教は何ですか?
と聞かれることがある。その度に
「私は無宗教です」
と答えているのだが、はたしてこの回答が正しいのだろうか?
最近までこの質問に対する、明確な答えが出せずに思い悩んでいた。私なりの考えではあるが、ようやく整理することが出来た。
そもそも日本人は無宗教であると私は考える。こう言うとじゃあ神社へ行って手を合わせたり、葬式の時にお経を読んでもらうのは何だって考えるかもしれないが、それは日常生活の中で古くからの習慣であり、宗教や信仰心といったものとは無縁のものである。
それじゃあ信仰心とは何かを考えてみると、それはいわゆる道徳である。たとえばキリスト教やイスラム教はその教えを通して道徳心を学ぶ。
人道的道徳、社会的道徳、善悪の判断、いわゆるモラルを身につけるのである。
日本人にとって道徳とは何か?
どこで、誰から学ぶのか?
もちろん両親や、学校の先生、また先人から教えを請うのだが、かれらは宗教の話などは一切しない。
なぜなら信仰心を必要としない日本人としてのスピリッツを受け継いでいるからである。
正確に言えば、日本人は四つの教えを上手にミックスさせ、独自の精神を築いていった。
まず、一つめは仏教である。
これは先祖や故人を大事にし、敬うといった事に対して非常に有効的である。また死に対する恐怖心の軽減や輪廻転生に代表されるような子孫に対する思いやりの心を育てさせる。
二つめは儒教である。
日本人の多くの道徳心は儒教の教えから来ている。善悪の判断、友情、反省、義理人情、これらの考え方はすべて儒教がルーツである。
三つめは神道である。
辛いとき誰かにすがりたいという気持ちや、癒し、精神的助けとしての役割を果たす。
日本にはたくさんの神様がいる。水の神様だったり、学問の神様だったり、多種多様である。私たちはこの神様たちを用途に応じて使い分けている。
四つめは武士道である。
この武士道が日本人が持つフェアプレー精神や、潔さを美徳とする精神を築き上げた。男らしさ、女らしさという発想の基準は武士道が伝える考えそのものであるし、「美学」という概念が現すように、内面的な美しさを本質とするような概念はここから生まれた。
日本人はこれら四つの教えをを上手に使い分け、それぞれの長所を生かすことによって単一の信仰心に頼らない、フレキシブルで穏和な性格の道徳心を持っているのである。
だから私が最初に言った日本人は無宗教という意味はこういうことである。
もちろん日本人の中にもキリスト教徒もいるだろうし、仏教徒だっている。すべての人がこうだとは言い切れないが、日本人固有のスピリッツは宗教を超えて存在しているはずだ。