私はある懐石料理屋で働くことになった。東京に着いてからほぼ1か月後のことだった。私の友達も次々とバイト先を見つけた。

 

 

 

 一応日本語で会話はできたけど、接客する程の自身はなかったので、バイトを探す時は主に厨房補助を希望していたが、初日に仕事場に着いたら、接客、つまりサービングをするように言われた。不安だったけど、言われるがままするしかない。ユニフォームを渡されて見ると、本物ではなかったが、着物っぽいものだった。当然どう着れば良いのか分からず、他の社員に教えて貰った。

 

 

 

 出勤したのは夕方の頃で、その日は一組のお客さんしか予約がなかった。コース料理の注文だったので、次々と出る料理を運んだり下げたりしたが、コース料理を食べたことが余りなかったから、最初はお盆ごと下げようとして止められた。幸い、そのお客さん達は元従業員だそうで、怒られたりはしなかった。

 

 

 

 懐石料理屋の隣には同じ会社が経営している居酒屋があり、夕方のシフトだとそこで働くことが多かった。中年女性の従業員が多かった懐石料理屋とは違って、居酒屋でバイトしている仲間は大抵同じ年ごろの大学生だった。一緒に働く人々はもちろん、お客さんも基本優しかったので、楽しく働いた。

 

 

 

 ちょっと驚いたのは居酒屋の閉店時間が余りにも早かったことだ。昔のことで良く覚えてはいないが、確かに10時30分頃には仕事を終え、終電に乗れた。韓国では午前の2時までする所も少なくない。

 

 

 偶に貸し切りの予約があったけど、団体のお客さん達が終了の時間にきちんと一本締めして(これも面白い)帰るのにもビックリした。韓国人だったら、例え10時終了の予約だとしても「貸し切りだから」と言って11時まではのんびりとする筈だ。流石日本人、規則をきちんと守るな、と感心した。100%そういう訳ではなかったけど。

 

 

 

 当時の給料は確か時給800円程で、それが最低賃金だった。シフトが多い時は週に三日程は12時間以上働き、月に約15万を稼ぎ、家賃を払ったら10万円くらいが残った。多くは無かったが、14年前の韓国に比べれば2倍の時給だったし、(因みに今は韓国の最低賃金は東京のそれを少し超えている)物価が安くてそこそこ生活ができた。貯金も少しした。

 

 

 

 毎週の水曜日に一緒に来た友達と休日を合わせて、ショッピングモールで買い物をしたり、色んな食べ物に挑戦したりした。日本は飲食のクォリティーが全般的に高くて、どの食堂に行ってもあまり失敗が無かった。デパート地下の商店は正に天国のように感じられた。

 

 

 

 料理も始めた。東京に来る前は中々料理をする機会がなかったが、一応一人暮らしをしているから自分でなんとかしないといけなかった。食材を安く買うために徒歩で1時間程かかるスーパーまで歩き(交通費が高いから)、お米を炊き、料理本を見ながら麻婆豆腐、焼き魚等を作った。初めてサンマを一尾買って、包丁で頭を切っりながら捌く時は凄く嫌な気がして半泣きしたが楽しかった。時間も、体力も、たっぷりあって、周りは皆親切で、幸せだった。