2010年、私はワーホリビザを持って東京に行った。今でも一番親しい双子の友達二人と一緒だった。

 そこで過ごした6か月は私の人生で一番幸せな時間だった。

 

  

 

 最初に日本を訪れたのは2007年のことだった。私が通っていた大学が、東京のある大学で2週間、日本語を勉強しながら文化体験もできるプログラムを作り、参加希望者を募集していたのだ。参加者は飛行機代だけ払えば良いということで、申し込み、参加することになった。その頃はあまり日本語が話せなかったが、実際の日本の大学で授業を受けるのも、東京の色んな観光地を巡るのも楽しかった。その時既にワーホリビザを取って、また日本に行こうと思っていた。

 

 

 

 それから3年後、ビザ取得に2回失敗した末に、やっと日本に行けた。以前のプログラムで知り合った日本大学の職員に頼んで、私達3人は学生寮に住めるようになった。一人に狭い部屋が一つあるだけだったが、その中にベッドも、エアコンも、キッチンもお風呂も全部備わっていて、なんの不満もなかった。一人部屋ということも個人的に助かった。一番仲が良い親友とは言え、二人は掃除には向いてない方で、一緒に暮らしていたらかなりきつかっただろう。光熱費付きで月に5万円の家賃は、お金のない学生達には安くはなかったが、部屋探しも面倒だったし、清潔で安全な所だったので最後までずっとそこで暮らした。

 

 

 

 最初から働いて、お金が溜まったら旅行をするつもりだったから、早速バイト探しを始めた。近所の駅にある求人誌を取り、バイトを募集している食堂やカフェ等に電話をし続けた。当時私はバイト経験が余りなくて、仕事が見つかるかどうか凄く不安だった。幸い、韓国人だというのを打ち明けたにも関わらず、何か所かで面接を受けることになった。

 

 

 

 そう言えば、ユニクロで面接を受けたこともあった。ネット応募ができたから、履歴書と簡単な自己紹介を書いて送ったら、何日後、面接に来いと連絡があった。その時点で2、3か所で面接を受けたが、大抵の質問は働ける時間帯とか、バイト経験等、簡単なものだったので、ユニクロも気軽に行って見たら、なんと、本格的なインタビューだった。私以外に日本人の応募者が二人もいて、どうしてユニクロで働こうとしたのか、ユニクロの長所は何だと思うのか等を聞かれた。私はその冷静な雰囲気に圧倒され、質問に旨く答えられず、当然ながら落ちた。その時もっと準備してきちんとできたら、卒業後にユニクロに就職できたかも知れないのに…と思うと惜しいけど、仕方ない。

 

 

 

 結局、私はある懐石料理屋で働くことになった。東京に着いてからほぼ1か月後のことだった。