【間抜けな男】


「アー、今日も雨降りだな、ジトジト、いやだなー」

梅雨の真っ只中なので分かっているのだが、つい口に出てしまう一言である。

駅に着いたY男は傘をたたむと、周りに人がいないのを確かめてから、勢いよく傘をくるっと一回りまわして、しずくを落とした。幸い小降りだったので水滴はきれいに落ちて、傘にはほとんど残らなかった。これから満員電車に乗るのであるから、最低限のマナーとして、傘のしずくはきれいに落としておこうという、Y男の心遣いであった。


電車がホームに入ってくると人の流れに押されて、そのまま電車の中ほどに入った。いつもの時間に、いつもの電車の、いつもの車両の同じドアから乗るという平凡な毎日ではあるのだが、なぜか雨降りはいつもより込み合うのであった。


「どうして込むのかなー」

まだ、半分しか目覚めていない頭では、かなり難しい問いかけであり、到底回答は得られるはずも無かった。


“半起き”状態のY男の肩に、突然大きなスポーツバッグが横から当たった。


「いてっ、」

思わず手で押し返そうとしたが、右手に傘を、左手にカバンを持っており、両手がふさがった状態では何もすることができず、かといってこの満員の状態では体をよけることもできなかった。しかも、自分の前方は女子高生のリュックでふさがれ、身動きができない状態であった。


「込み合っておりますので、大きなお荷物、リュックサックなどは肩からおろして、手でお持ちください。車内では快適に過ごせますよう、皆様方のご理解とご協力をお願い申し上げます。」

いつもと同じ内容のマニュアル棒読みの車内放送が流れたが、誰一人としてそれに従うものはおらず、

「何が、快適だよ、不快この上ないよ」

Y男は思わず心の中で叫んだが、ただ、むなしく時間が過ぎ、5分後に電車は次の駅に滑り込んだ。


「この駅が問題だな」

Y男はもうひとつ先の駅で降りるのだが、この駅ではさらに大勢の乗客が乗ってくるのであった。


「おっ、うわっ、、、あっと」

Y男は悲鳴とも、うめき声ともつかない、声にならない声を発したが、乗客は容赦なくなだれ込んできた。車内の混雑は最高潮に達した。

「あと8分間の我慢とはいえ、今日は大変な込みようだなー」

相変わらず、両手をふさがれたY男は、ただ押されるままに奥へと進んでいった。そのときである。先ほどの女子高生はリュックをお尻のあたりにまで下げて背負っていたため、こともあろうにY男の股間にピタッとはまり込んでしまった。


「えっ、、何で、、、これはまずいぞ」

いくらなんでも、股間に女子高生のリュックを挟み込んだポーズは、さまにならなかった。

「これは何とかしなければ、、、」

あせるY男であったが、この“超すし詰め状態”では、なんとも体の動かしようが無かった。


幸いなことに、目の前の女子高生は後ろ向きだったため、この状態にまったく気づいていない様子であった。左は、例のスポーツバッグでふさがれ、右も後方の人も後ろを向いているようで、このY男の哀れな姿を見届けている乗客はいなかった。


「せめてもの救いだな」

だれも気づいていない様子にやや安堵感を覚えたY男だったが、悲劇はこの後すぐにやってきた。


「おっとっとっと、、、」

この辺はカーブが多く、足を踏ん張っていないと体が左右に揺れてしまうのだ。しかし、そんな余裕の無いY男は電車が揺れるたびに、自分の体も大きく揺らしていた。


「えっ、ええーーー、、、」

自分だけでなく、乗客全員が体を揺らしているため、決して不自然ではないのだが、なぜか微妙に、自分の股間と女子高生のリュックの間にわずかな隙間ができたり、できなかったり、、。そして、その揺れのリズムが3度ほど続いたとき、、

「ううっー、、、ムムムッーー、、、」


「これは、ヤバイ、」

そう、リュックが股間をこすり上げているのだ。

「なんとなく、、、その、、、気持ちイイ、、、」


そのとき、絶妙のタイミングで、これまたいつもと同じ内容のマニュアル棒読みの車内放送が流れた。

「車内での犯罪行為、痴漢行為を見つけられましたら、駅員へご連絡いただくか、乗務員までお知らせください。犯罪行為、痴漢行為の無い明るい車内づくりに、皆様のご協力をよろしくお願い申し上げます。」


「今、この状態は痴漢行為だろうか、、、」

「いや、俺は何もしていない、、、だって、両手がふさがっているのだから、、」

「彼女のリュックが勝手に俺の股間に、、、」

「ううーー、また揺れだした、、、」


もう、ヤバイのか、ヤバクないのか、痴漢なのか痴漢ではないのか、気持ちいいのか、気持ちよくないのか、訳の分からなくなったY男は、今度は自ら電車の揺れに合わせて股間を上下に動かし始めた。


「あっ、これはいけない。そうだ、これをしては痴漢行為だ。自ら動いてはいけないのだ、そう、能動的行為は痴漢的行為に繋がるのだ」


冷静なのか、冷静ではないのか、よく分からないまま、電車は次の駅に滑り込んだ。とにかく、この状態から脱することができるとあって、Y男はひとまず安心したような、もうちょっと長くしていたかったような、複雑な心境であった。

「いや、こんなことしててはいけないのだ、早く駅についてよかった」

そう自分に言い聞かせて、ちょっぴり残る未練を断ち切って、毅然としてY男は乗客の流れに従って、電車から降りようとした。


そのとき、周りの乗客が一気にドアの方向に動いたため、Y男の周りには小さな空間ができた。目の前の女子高生もドアに向かって歩き始めたが、なにせ、リュックがY男の股間に挟まったままである。女子高生は動けず、思わず後ろを振り向いた。


「キャー、、、」

周りの乗客が全員、Y男の方を見た。女子高生は一段と甲高い声で、

「痴漢ヨー」


Y男はあわててふさがった両手を上にあげて、

「何もしてません、できません、、」

女子高生がリュックをぐいっと引っ張ると、股間から抜けて、Y男は一言、

「抜けました、、、」



(END)