【ピンチは続く】
「今日のサービスランチはなかなかイケタじゃない。」
レストラン“西”から外に出たところで話しかけてきたS夫に向かって、
「だって、あれは理恵ちゃんの特別サービスなんだよ。」
とY男が応えると、
「なんだよ、特別サービスって。第一、理恵ちゃんって気軽に呼んでるけど、
おまえ彼女のこと知ってるのかよ?」
「初めの質問は、エビフライが他の客より大きかっただろう。あれは、理恵ち
ゃんが俺たちのために特別に頼んでくれたものさ。2番目の質問は、実は先
月から、俺たち付き合い始めたんだ。」
「おい、おい、そんなの聴いてないぞ。ちゃんと、初めから説明しろよ。」
「また今度、詳しく話してやるよ。」
「きっとだぞ。 、、まったく、ひとりで抜け駆けは許されないぞ。 ちょっと、コ
ンビニによってくるけど、お前も行くか?」
「いや、先にオフィスに戻ってるよ。」
「ああー、わかった、じゃーな」
S夫と別れたY男は、ひとりでエレベータに乗り4階のオフィスの入り口付近
まで来ると、携帯のバイブレータが振動した。
「あれ、誰かな?」
Y男が携帯を見てみると、理恵からのメールだった。
「あっ、どうしよう。」
オフィスだと、すぐのぞきに来るヤツがいるため、ヤバイと思ったY男はトイレ
の個室に駆け込んだ。ここなら誰にも邪魔されないと思い、座ってゆっくりメ
ールを読み始めた。
「Y男君、今日のエビフライ大きかったでしょ。店長に頼んで、一番大きいのを
出してあげたよ。また来てね、チュッ!!」
デレー、、と鼻の下を伸ばしてメールを読んでいたY男は返事を出そうと入力
を始めた。と、その時。
「ちょっとー、良枝って昨日彼とデートしたんだってー。聞いたわよ。」
「えっ、もう伝わってるの。ヤッダー、、。」
大きな声で奇声を発しながら、数人の女性の声が聞こえてきた。このビルは
4階のフロアーだけでも5社ほどが入っているため、当然トイレでは他社の社
員とも出くわすことになる。
「うるさいなー、どこの会社の女子社員か知らないけど。」
こっちは、一所懸命メール作成中である。気が散ってしょうがない様子である
が、Y男は神経を集中させて入力作業に没頭していた。やっと、理恵への返
信メールを作成し終えたY男は、
「やっとできた。へへへー、これで完璧。あとは送信ボタンを押すだけ。それ
にしても、うるさい女どもめ。まだ、大きな声でしゃべってるよ。こっちは個室
にいるから顔は見えないけど、周りの迷惑も考えろよな。だから、女の集団
は嫌いだ。女の、、、女、、、、、、 ??!!」
「あぎゃーーー!!! ありゃー、りゃりゃーー。」
思わず、叫びだしそうな口をしっかと押さえて、Y男は突然飛び上がった。
女の声、、、ということは、ここは女性トイレなのだ。そう、紛れもなくY男は
、間違えて女性トイレの個室で、返信メールを作成していたのだ。
理恵からメールをもらって、思わずにんまり喜んで、携帯の画面を見ながら
トイレに入ったので、ろくに確かめもせず、間違えたしまったようだ。
「どうしよう、どうしよう、どうしたらいいんだ。 しかたない、みんな出て行く
まで待ってるしかないようだ。 そう、みんないなくなれば、大丈夫。」
女性が出て行くのを待つしかないと決めたら、やや冷静さを取り戻し、Y男は
また閉じた便座のふたの上に腰を下ろし、ふーっと、ため息をひとつついた。
「待つのはいいんだけど、そういえばさっき女性陣がドヤドヤって入ってきて
から、かれこれ10分近く経つけど、長いなー。化粧でもしてるのかなー。女
性のトイレは余分なことまでしてるから長いんだよなー。」
と、いらいらしながら、携帯にふと目をやると、
「そうだ、まだ送信していないんだっけ。早く送信ボタンを押そう。」
と、その瞬間、
「失礼しますよ。掃除の時間ですよ。」
「あら、おばさん、今日は早くない?」
「そんなことはありませんよ。私は時間には正確だから。あんたたちが、
いつもより念入りにお化粧してたんでしょ。大して変わらないのにね。」
「やーだ、おばさん。 言うわね。」
「早く、行きましょ。もうすぐ、お昼休みも終わりよ。課長に怒られちゃう。」
そう言い残すと、女性社員たちはクモの子を散らすようにオフィスに戻ってい
った。
「あらまだ一人残っているようね。お掃除始めさせてもらいますよ」
「おーーっと、ヤバイ。掃除のおばさんが入ってきちゃった。最悪のパターン
だ。」
Y男は安心したのもつかの間、この場面はどう乗り切ったらいいのか。また
また冷や汗が出てくる状況に追い込まれた。
「そうだ、この場面でも、掃除が終わるまで待とう。その後で出て行けばいい
んだ。でも、掃除ってすぐに終わるのかなー。」
Y男の心配は的中した。掃除はなかなか終わりそうもなかった。
「あれっ、まだ入ってるよ。もうかれこれ、20分は経ってるのに。
大丈夫ですかー。」
「ヤバイよ。いくらなんでも、そろそろ出て行かなくちゃ。どうしよう。」
Y男はまたもピンチに追い込まれた。
「そうだ、気分が悪いから誰かを呼んできて、とか何とか言って、おばさんが
出て行った隙に、ここから脱出すればいいんだ。」
Y男はわれながら名案だと思いながらも、
「でも、どうやって気分が悪いって、おばさんに伝えるんだ。
声は出せないし。」
「そうだ、何かに書いて文字で伝えよう。
、、でも何に書いたらいいんだ。
、、ん、紙はある、確かに、大量にある。トイレットペーパーだけど。
でも、ペンがない。ボールペンでも持ってれば良かったのに。」
「どうしよう。だめだ、ポケットにあるのは、サイフとハンカチと、
ティッシュとそれから携帯か。これじゃ文字は書けないや。
文字の入力はできても、紙には書けないか、、、。
、、ん、待てよ。文字入力はできる。メールは送れる。
そうだ、なんでこれに気がつかなかったんだろう。これは名案だ。」
Y男はまたまた、自分の考えた案に酔いしれながらS夫へのお助けメール
を入力し始めた。
「S夫、ピンチだ。頼む助けてくれ。今、間違って女子トイレの中だ。掃除のお
ばさんを引き付けておいてくれ。その間に脱出するから。」
そこまで入力すると、すぐにメールを送信した。
「プルルッ、プルルッ」
誰からだよ、今忙しいのに。S夫は携帯を取り出すと、めんどくさそうに画面
を見た。
「なんだ、Y男からだよ。そう言えば、あいつ、どこに行ったんだ。昼休みに
分かれてから顔を見てないな。」
「理恵ちゃん、さっきはありがとう。大きなエビフライとってもおいしかったよ。
今夜もいつもの時間に、いつもの場所に愛に行くから、待っててね、、、。」
「ばかやろう! あいつ、彼女に出すメールを間違えて、俺宛に送ってらー。
しかも、愛に行く、だなんて、ニヤケてらー。あっほくさ。」
S夫はそこまで読むと、メールを削除してしまった。Y男はあわてて
S夫へのメールを入力したため、理恵へのメールの文章のあとに、
そのまま続けて入力してしまったのだ。そんなことも知らずに、
「きっと、S夫が助けに来てくれる。頼りになるのはあいつだけだな。」
「大丈夫ですか、気分でも悪いんですか?」
さっきから、ブツブツ言いながら、メール入力をカチャカチャやってた
ものだから、掃除のおばさんも気になり、さかんに問いかけてくる。
しかし、S夫は一向に助けに来てくれる気配がない。
「S夫のヤツ遅いな。メール見てくれてないのかな。
これは、ますますヤバイな。」
これ以上引き伸ばせないと思ったY男は、ちょっとキーを上げて応えてみた。
「すみません、、エヘン。 ちょっと気分が、、、ゴホン。
すぐに出ますので、、、、」
そこまで、話したが、声が裏返ったせいか、のど元がいがらっぽくなり、
思わず、
「へえっくしょん」
と、大きな声でくしゃみをしてしまった。
「えっ、誰、男なの?」
「ヤバイ、今度は本当にヤバイ。男だってばれてしまったようだ。
さーー、どうしよう。」
「男が入ってるの、どうして、どうして、出てきなさいよ。」
と、おばさんの声。とうとう、最悪のピンチが来てしまった。
もはや、逃げられない。万事休す。
と、その時、遠くで誰かが呼んでいるような気がした。
「なんですかー。ちょっと待って、今行くから。」
おばさんが、トイレから出て行ったような雰囲気である。どうしたんだろう、
誰かに呼ばれて出て行ったようだけど。
「待てよ。今がチャンスかも。」
Y男はそーっとドアを開けると、誰もいないのを確かめて、トイレの入り口まで
来た。そっと廊下をのぞき込むと、少し離れた階段付近でおばさんは
こちらに背を向けて誰かと話をしていた。
「やった。千載一遇のチャンスとはこのことだ。」
Y男はすばやくトイレから出ると、廊下に出ておばさんとは反対方向に
足早に歩き始めた。あるきながら、そっと振り返ると、おばさんと話して
いるのはなんと、理恵ではないか。
「えっ、理恵ちゃん。どうしたんだろう。」
おばさんと話しながらも、わずかに右手を上げてY男に向かって手を振った。
「どうして、理恵ちゃんが、、」
不思議に思いながらも、オフィスに戻ったY男は自分の席に着くと、
携帯の送信記録に目をやった。
「あーーーっ。なんだ、そうだったのか。」
先ほどの、S夫へのお助けメールは、S夫と、理恵の両方に同時送信されて
いた。
「理恵ちゃん、このメールを見てくれて、助けに来てくれたんだ。」
「おい、Y男、どこに行ってたんだ。お前、間違えてメールを送っただろう。」
「初めの質問は、ちょっと気分が悪かったんで、トイレで休んでた。
2番目の質問は、スマン。間違えたみたいだ。ところで、そのメールどこまで
読んだ?」
「どこまでって、お前のいちゃいちゃメールなんて読んでられるかよ。
途中で消去したよ。」
「あっ、そうか、消去したんだな、確かに消したんだよな。」
「あたりまえだよ。なにか、もっと他に書いてあったのか。」
「いや、別に。ただ、今日は、ピンチの連続だったから、、、。」
「なにを訳の分からないことを言ってるんだ。ちゃんと仕事をするんだぞ。」
「わかったよ。お前はいつから俺の上司になったんだ。」
S夫と軽口をたたきながらも、ほっと胸をなでおろしたY男は、
「それにしても、理恵ちゃんは機転が利くなー。感謝感謝だな。」
その時、携帯が、ブルルッ、ブルルッと振動した。
「このピンチの救済代は高くつくわよ。私、指輪が欲しかったのー。」
理恵からのメールだった。Y男は思わず、
「今度は、サイフがピンチだー。」