いわゆる「平成の大合併」で、全国の市町村の数は、半分近い1700に減った。ひらがなやカタカナ、あるいは地理的な実態に合わない、名前の市が生まれて、物議を醸したものだ。同時に、いくつかの由緒ある自治体名がなくなった。
地名は「土地の精霊」だとする民族学者の谷川健一さんは、「ほしいままの命名が横行している」と嘆いたものだ。もっとも、地名に対する日本人の関心が高まった事も事実である。
東日本大震災の後、地名が改めて脚光を浴びている。大災害を経験した先人たちが「ここは危ないぞ」とのメッセージを後世に残したというのだ。
例えば、地図情報コンサルタントの遠藤宏之さんは、岩手県の釜石や宮城県の塩竃にみられる「カマ」に注目する。「古語の【噛ま】に通じ、湾曲型に侵食された地形を意味する」(「地名は災害を警告する」)技術評論社)
広島市北部の土砂災害で、とりわけ被害が大きかったのが、安佐南区八木地区だった。フジテレビの「とくダネ!」はきのう、この地区が「八木蛇落地悪谷」だと呼ばれていた事実を伝えていた。
蛇が降るような水害が多かったので、悪い谷の名前がついたと、古くからの住民は説明する。やがて「
八木上洛地芦谷」と改名され、現在は地名に八木だけが残った。
遠藤さんによると、確かに蛇をあてることが多い「ジャ」は土砂の流出を表す、「崩壊地名」の一つである。ただ、八木の「ヤギ」だけでも、岩石が流されて転がっている場所を示している。
「土地の精霊」たちはちゃんとヒントを残し、警告をしてくれていた。それを聞き取り、共有できる知恵が我々に備わっていれば、悲劇は避けられたかもしれない。
―8月27日産経新聞「産経抄」より
今回の豪雨による土砂災害により、犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り致します。また、災害に遭われた広島の皆様にお見舞い申し上げると共に、1日も早い復興と安寧を取り戻されますよう願って止みません。
テレビの報道などを観るに付け、自然災害の恐ろしさ、人間の無力さを痛感します。また、同時に今回の災害が、如何に”人災”であるかが、露呈されております。
広島市は元々平野部が少なく、少し内陸に入れば、すぐ山にぶつかります。
1960年代の高度経済成長期には、人口の増加とバブルに伴い、飛ぶように土地が売れ、それに伴い徐々に山を切り開き、遂には蛇(土砂)の通り道に入り込んでしまった。
不動産業者などは、宅地に相応しくない地名は伏せ、または、商業の妨げになるような(購買意欲の減退になる)地名は変え、安全面は二の次になってしまった。
そんな中、1999年にも広島の同じ地区で土砂災害が起こっている。
しかも、多数の被害者を出したのに関わらず”警戒区域”に指定されていない地域が多い。
”警戒区域”に指定されれば、宅地開発にブレーキがかかり、土地代が下がり、家も売れなくなる。まして、それを聞かされず購入した方にとっては賠償問題になりかねない。
こういった思惑や利権がからみ、中々防災対策が進んでいないのが現状だろうと思います。
そして、今回の土砂災害。防ぐことはできなかったのでしょうか?
上記のように、人間のエゴが妨げになったことは明らかだと思います。
前述の「産経抄」でも「土地の精霊」と仰っておりますが、”先人に学べ”ということです。
土地には先人のメッセージが込められている。
他にも、7月に土砂災害のあった長野の南木曽町でも、代々土砂災害には悩まされており、地域では「蛇ぬけ」と呼ばれ、警戒することへの言い伝えがある。
東京でも「蛇崩」という地名があると報道されておりましたが、やはり、水害がかつてあったという。
方丈記に至っては 「時が経つと人々は(自然災害を)忘れてしまう」という記述があり、わざわざ人間の弱さをも指摘してくれています。
それらを踏まえれば、決して防げないものではない、人命を落とす事はないと思います。
しかし、それら”知恵”に学べていないのは、地政、業者、政府、ひいては、しっかり伝えてこなかった我々、そして業者を信用してしまった購入者、地区選出の議員を選んだ市民、それぞれに責任があると思います。
また、少し余談ではありますが、広島市では、災害のつい10日ほど前には、原爆の追悼式が行われておりました。
正直、私は、この厳粛であるはずの追悼式を見るに付け、違和感を禁じ得ないのですが。
まず、この式典は自虐史観満載の県外からの反日運動家(団体)の集会にしか見えない。
彼らは「違憲の自衛隊は要らない」と豪語しておりますが、その数日後には、その自衛隊が土砂災害の被害者の捜索や瓦礫の撤去、街の復興など、昼夜を問わずのフル回転には、本当に頭が下がる思いです。
それを見ても”まだ言うか!”
きっと15年前の災害時にも同じ光景はあったはずです。
広島市民は自衛隊のありがたみを痛いほどわかっている。
その意味からも、本来ならば広島市民の犠牲者の追悼式であるはずの式典が、単なる県外からの”反日運動のプロパガンダ(政治宣伝)の場”にすり替わっている。
市民の代表であるはずの広島市長も、まったくどこの馬のホネだ!
この事は、沖縄の”辺野古移設反対”や”米軍出て行け”や、ちょっと前の”オスプレイ反対”などの運動と全く同じ図式です。
本末転倒甚だしい!
少し、話が逸れてしまいましたが、日本は元来、”災害大国”です。
地震や水害、火山の噴火、飢饉など歴史的にも多くの悲劇が繰り返されてきました。
しかし、その都度、日本国民は不屈の精神により復興して来ました。
それは、東日本大震災の際も、阪神大震災の際も同じでした。
その復興の際の支え合う姿、暴動が起きないモラルの高さは、海外から見れば”奇跡的”であり、高く評価されております。
世界的に稀有であるようにも思われる”日本人の精神”は一体どうやって、培われて来たのか?
その答えが、少し垣間見えた気がします。
日本は島国であり、確かに外敵から、侵略され難い環境であり、比較的平和であったこともありますが、それでは、英国や、ニュージーランド、フィリピンも同じ島国です(それらの国を否定する意味ではありません)。
しかし、それだけではないように思います。
日本は災害が多かったことからも、地域の助け合いにより、危険の回避や情報交換などが当たり前になっていました。
留守の人や付き合いが苦手な人でも回覧板という形で、情報交換が出来、一種のコミュニティにいる事が認識出来た。
そうした、人と人との結びつきのある社会では、決して、泥棒や犯罪がはびこることはありません。
良い意味でも、悪い意味でも、みんなが見ている訳です。楽しい時も辛い時も、”おすそわけ”出来ることが、事件や犯罪防止にも繋がっているのです。
時には悲劇的な災いをもよおす天災が、くしくも、日本人の言わば「和と結いの精神」を形成してゆくのに、大きな役割を担って来たのかもしれません。
もしくは、日本人のその精神があるからこそ、幾度も幾度も天災に見舞われながらも、不死鳥のように復興することが出来た。
日本という国家が2600年続くのも、
「和と結いの精神」の賜物だろうと思います。
これは、どんな天災や戦争があったとしても、決して侵す事は出来ないし、この精神がある限り、何度でも立ち上がることが出来る!
我々日本人はこの精神を未来へ継承してゆかなくてはならないのです。