ようこそ広島へ!(*^-゜)v | がけっぷち人生向上ブログ

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2019年12月にYahooブログから引っ越してきました。
キャンプにカメラに雑学に。

がけっぷちがブログを初めて、早6年。
 
そんな日々の中、今日は特別な一日。(^▽^)
 
 
 
ブログで長くお世話になっている方が
彼女さんと一緒に、遠く広島まで遊びに来てくれました。(*^-^)
 
 
 
愛知県から自動車で来ていただけるとのことで、
事故や渋滞がとても心配でしたが、無事に広島に到着されたとのことで、
安心しました。(´▽`)
 
待ち合わせは広島そごうの時計台の下。
 
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待ち合わせの時間まで、この時計の下でこの時計に関する思い出にに浸ってました。
 
 
高校時代に訪れたディズニーランドで、
高い遊具には乗ることが出来ず、イッツアスモールワールドばかり何度も巡ってた事や、
20年前に部活の同窓会を立ち上げた時、
この時計の下が飲み会の待ち合わせだったことなど。
 
とにかく、この時計台が大好きでした。(*´∇`*)
 
そうそう、この広島そごうの時計台は6年前に老朽化などによって
からくり時計としての役目を終えました。 いまでは時計としての役割と、時報の鐘が鳴るだけです。
 
以前はこんな感じで動いていたんですよ。
 
からくり時計の動きと、大音響で流れる音楽がとても大好きで。
この時計の下で待ち合わせをしている方々や、通りすがりの方、
ベビーカーを押してるママさんたち、学生さんなど多くの方の心を癒してくれたからくり時計でした。
 
交差点に面しているので、信号待ちなどで偶然見れたら「ラッキー♪」な気分にも。
 
 
今では「からくり」は動かない時計の前にはこんな案内板が。
 
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よく見てみると・・・・
 
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未だに広島市民球場が描かれたままでした。
 
この球場は無くなって何年になるのか。(^^;
 
ちなみに、広島市民球場はこんな感じの球場でした。
 
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今回は愛知県から広島まで来られたとのことで、
話を合わせて広島カープvs中日ドラゴンズの試合の写真でご紹介。
 
2008年8月のこの試合の選手はこんな感じでした。
 
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広島カープはこんな感じです。
 
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中日ドラゴンズはこんな感じでした。
 
両軍とも2014年8月現在、主力選手として活躍されている方が何名残っている事やら。
中日の和田選手は現在も大活躍中で、同じ40代としては感心してしまいます。
 
話を元に戻しまして、
集合時間まであと15分。
 
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交差点を行きかう車を眺めながら、恥ずかしさ・照れくささ全開のがけっぷち。
 
無事にお会い出来て挨拶も終わり、
僅かな時間ですが広島観光のご案内♪
 
「広島そごう」からまずは、平和公園へ。
 
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(写真は2014年8月6日 雨の中の原爆ドーム)
 
台風の影響もあって、どくどくなジメジメ感と熱さの中、
本日も原爆ドームには多くの方がいらっしゃいました。
 
愛知県から来られたお2人にはツタナイ日本語でツタナイ説明を。(;^ω^A
 
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。
 
上空600mで炸裂した一発の原子爆弾によって、広島の町は壊滅しました。
 
熱線に爆風、そして放射能。 
 
今日に至るまで20数万人の方が亡くなられました。
 
原爆の事、平和公園の案内は時間が足りなかったので、
平和記念公園のホームページのURL先で確認してみてくださいね。
広島平和記念資料館 ホームページ http://www.pcf.city.hiroshima.jp/
 
 
平和公園を後にして商店街に。
 
朝ごはん&お昼ご飯てきな時間でしたが、
観光者向けの1000円を超えるお好み焼きではなく、
サラリーマンや学生さん向けの500円~いただけるお好み焼き屋さんへ。
 
その後、広島城へ向かいました。
 
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この広島城は毛利輝元時代のお城。
 
戦国時代も終盤。 織田信長が本能寺の変で亡くなった1582年。
その7年後の1589年に毛利輝元の祖父、毛利元就の四男穂井田元清たちに築城を命じ、
1591年には毛利輝元もこの地に入り、1599年にすべての工事が完了しましたが、
翌年の関ヶ原の戦いにおいて、西軍の石田三成側の総大将が毛利輝元であったこともあり、
敗戦の結果、広島城には岐阜城攻めや関ヶ原の戦い本戦で活躍した福島正則が入城。
 
その福島正則も大阪の陣で豊臣家が滅んで4年後の1619年、
水害で崩れた広島城の石垣の無断修築を武家諸法度違反として咎められ、領地没収。
 
その後浅野長晟(ながあきら)が入城。 
浅野長晟は豊臣時代の五奉行の一人、浅野長政(秀吉の姻戚)の次男。
浅野長政は浅野長勝の養子。 同じく養子として来ていた「ねね」が木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)に嫁いだ事、
長男の幸長は若くして病死、その後を継いだのが次男の浅野長晟。
浅野長晟は徳川家康の三女振姫(ふりひめ)の夫。
 
なんて説明も歩きながらで上手く説明出来ず・・・ (A゜∇゜)
 
 
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残念ながらこの広島城は鉄筋コンクリートの建物です。
 
建築当初からその姿を保っていた広島城(一代目)は原爆によって全て倒壊。
その後2代目の広島城が作られ、改めて当時の姿をほうふつとさせる姿として建築されたのが、
現在の広島城です。
 
って事で、こんな感じで「跡」としての石碑が。
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ここ数日の長雨と台風のお陰もあり、広島市内上空の空気はとても澄んだ状態。
 
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蒸し暑かったけど、良い天候に恵まれて本当に良かったです。
 
 
僅か3時間でしたが、人生に残る良い出会い、思い出になりました。
 
 
何せ恥ずかしくて上手くお話出来なかった事と、
重たい話がメインで・・・・すいません。
 
ちなみに、合流前日に訪れられた「縮景園」との位置関係はこんな感じです。
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中央の小さい赤丸は集合場所の広島そごう。
 
1620年、同じく浅野長晟によって藩主の別邸として作られたのが始まりで、
1940年、昭和15年浅野氏から広島県へ寄贈。
1945年、昭和20年に原子爆弾の被害を受けました。
 
現在では梅や桜の花見の名所でもあり、菊の花の展示などで多くの人たちが訪れてます。
がけっぷちも子供の頃は毎年祖父母に連れられて訪れていました。
 
そうそう、最後に話に上がった、宮島(世界遺産)との位置関係はこんな感じ。
 
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広島市中心部の西側に見えるのが宮島。
東側に見えるのが大和ミュージアムなどがある呉市です。
 
また広島を訪れる機会があれば、もみじの紅葉が綺麗な季節の宮島をお勧めしますね。(^▽^)/
 
 
最後に紹介するのが、がけっぷちが頂いた愛知県のお土産。
 
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41才になったがけっぷちには、ういろうの味はぴったり♪
美味しゅうございました。r(^ω^*)
 
残りの2品はまた後日いただきますね。
 
 
最後の最後にお詫び。
 
愛知県からわざわざ車で来られ、もっと何か準備出来たらって思いながらも、
結局まともな準備が出来てなくて申し訳なく。
 
その上、10時に広島そごうの時計の下で集合ね!って言ったのですが、
広島そごう新館にも、時計があったんですね・・・。
 
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すいません、新館の時計をすっかり忘れてました。(ノ_-;)
 
 
人生良い思い出がまた一つ増えました♪(*゜▽゜)ノ