6月8日のがけっぷち | がけっぷち人生向上ブログ

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2019年12月にYahooブログから引っ越してきました。
キャンプにカメラに雑学に。

梅雨に入って、激しい雨だったり、蒸し暑かったり。
体調を壊されている方、汗を流しながら働かれている方、皆さんご苦労さまです。<(_ _)>
 
 
そんな6月のがけっぷち。
 
いつも以上に、気持ちを入れてお仕事に頑張ってます。
その中で、新たな出来事。
今月に入って4回ほどですが、社内の女性の方と同行でお仕事。(〃∇〃)
 
 
荷物満載で、とても狭くて暑い軽自動車の中で、
普段は内勤の女性の方にとって、初めての外回りで大変だったと思いますが、
色々と男性のがけっぷちが気がつかない目線での発見など、
がけっぷちが仕事をリードしながら同行する予定だったのですが、こちらが大変勉強になった同行でした。
 
また外回りのお仕事柄、
普段のがけっぷちは昼休憩は勿論、食事をする時間なども滅茶苦茶なのですが、
女性の方との同行ということで、なんとなく規則正しいお仕事タイムを経験できて、
普段の勢いだけで仕事をこなす!ってのではないリズム感のようなものも体験できてとても新鮮でした。
 
お客さんの評判も良かったですし♪
 
初日の6月8日には、お昼ご飯を広島県の東広島市にある鏡山城跡の公園で昼食を2人で取ったのですが、
公園なんかでご飯を食べたなんて本当に久しぶり。
 
狭い運転席でエコノミー症候群と戦いながらの昼食とは全く違う、
新鮮、かつとても懐かしい雰囲気も味合うことが出来て嬉しかったです。
 
 
そして本日6月18日。
 
夜遅く修理に向かった同僚さんたちの帰社を待って、会社を出たがけっぷち。
 
雨も止んだので、スクーターに乗って閉店数十分前のスーパーに到着!
 
イメージ 2
 
駐輪場でヘルメットを脱いでたら、軽自動車が真っ直ぐ突っ込んできました。
 
がけっぷち 「ここは駐輪場なんだけど・・・」 
 
運転手の女性の方は、駐輪場って解ってて駐車されてるのは間違いないので、ある意味チャレンジャーだと。
 
お店の中に入って、真っ先に乾物売場へ!
 
 
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目当ての品は売り切れてました。 (T∇T)
 
先日テレビ番組「秘密のケンミンSHOW」で取り扱われてた、田中食品のふりかけ「旅行の友」。
 
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番組の中では、広島県民は白飯に必ず大量の旅行の友を振りかけて食べてるように放送されてましたが、
 
確かにとても馴染みの深い品ではありますが、広島生まれの広島在住のがけっぷちにとって、
「旅行の友」の消費量は年に1~2袋。 
でも、やっぱり懐かしい味です。
 
ちなみに、この「旅行の友」の商品開発のお話が番組の中で取り扱われていました。
 
田中食品さんのホームページより抜粋です。
 
 大正初期、漬物を納めていた陸・海軍より「持ち運びに便利な栄養価の高い保存食を・・・」と新しい食品の開発を要請されました。当時の一般的な食生活は栄養不足気味であったこともあり、また、「軍人である一人息子が戦地で頑張っており、食べるものに困らないように・・・、栄養価の高いものをいつでも美味しく食べてもらいたい・・・」という子を思う親心と愛情から、様々な創意工夫の中で生まれたのが小魚のふりかけ「旅行の友」です。
 
とのこと。 このお話はがけっぷちも何度か耳にした事がありました。
 
時は西暦1916年。
第一次世界大戦は1914年。 太平洋戦争の終戦は1945年。
 
 
 
記事の最後に、そんな世界の中、「旅行の友」と同じ大正時代の1918年に起工した戦艦陸奥の話を。
 
 
会社の女性の方と4回の同行をさせて頂いたのですが、
 
その初日の6月8日。
 
トイレ休憩の為に立ち寄った広島県呉市にある「ゆめタウン呉」
 
その目の前にある「大和ミュージアム」は休館日でしたが、
昼休憩から全然休んでなかったので、徒歩3分くらいで敷地内の展示を2人で眺めていました。
 (写真は昨年撮影したものです。)
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 戦艦陸奥
 
大正時代末期から昭和20年までの太平洋戦争時代の子供達にとって、
日本の軍艦の象徴だったり、連合艦隊旗艦といえば、戦艦長門と、長門型2番艦の陸奥でした。
 
「大和」や「武蔵」は? って疑問に思われる方もいらっしゃると思いますが、
 
「大和」も「武蔵」も太平洋戦争開戦後に竣工した戦艦ということもあって、
一般国民にとって、そのスタイルや性能などを知ることが出来たのは終戦後。
 
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戦艦陸奥の41cm主砲
 
世界のビッグ7と言われた、日本海軍を代表する軍艦として、活躍を期待されていました。
 
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太平洋戦争を通して、12隻あった日本海軍の戦艦。
 
「大和」「武蔵」「長門」「陸奥」「伊勢」「日向」「山城」「扶桑」「金剛」「比叡」「榛名」「霧島」
 
 
その中で、陸奥は昭和18年6月8日。 山口県の柱島付近の泊地において突然の爆発事故で沈没しました。
 
瀬戸内海で沈没したとは言え、1474人の乗組員のうち、生存したのは353人。
 
それだけ大きな爆発と、あっという間の沈没でした。
 
戦後、多くの装備品や遺品が引き上げられ、
日本の各地でそれらを目にする事が出来ます。
 
 
 
陸奥が突然の爆発事故で、沈没したのが1943年6月8日。
 
そして偶然にも、67年後の2010年6月8日に、
 
会社の女性と一緒にこの場所を訪れた事に2人して驚愕した出来事でした。