伊藤 禎高 -26ページ目

伊藤 禎高

たまに書きます

両陛下、慰霊碑に深々と礼=遺族ら万感の思い-海外メディアも現地に
 【カリラヤ(マニラ近郊)時事】フィリピンを訪問中の天皇、皇后両陛下は29日、カリラヤに日本政府が建..........≪続きを読む≫

第二次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争、
いくつか呼び名がありますけど、
あの、戦争について、
まだ日本もフィリピンも引きずられているのですね。

あの戦争は何だったのかと言うと、
その前からずっとそうですけど、
欧米の白人が有色人種を征服する、というものです。

だから、日本がフィリピンをせめて犠牲を出した
のではないんです。

フィリピンについてだけ言うと、
アメリカがフィリピンを侵略しに来ていたので、
日本が戦った、わけです。

他にも、イギリスやフランスが、アジアへやって来て、
侵略しようとしていたので、
日本が戦った、わけです。

決して日本が侵略しようとして
ロンドンやパリへ攻め入ったのではありません。

欧米がアジアへ進出して来て、非常に状況が悪化していたので、
アジアを解放できるのは日本しかないじゃないか、と言って、
唯一立ちはだかったのが、日本だったのです。

なに言ってんだ、真珠湾に先に攻めたのは日本じゃないか、

そうです、
これはアメリカに計画通りに仕向けられて、
予定通り、攻撃させられたのです。

彼らは、どうやって日本から戦争を仕掛けさせるか、
色々な手を打っていたのです。

戦争さえできれば、金がもうかるので、
それで良いのです。

今にしてみると、彼らの関係するほとんどの
戦争や紛争のきっかけが、
こういった誘導です。

有色人種の命なんか何とも思っていません。

イギリスはビートルズを産み、
フランスはランボーを産み、
アメリカはジェームズディーンを産み
さぞご立派かと思うでしょうけど、
えらい差別主義です。

ぜんぜんジェントルマンなんかじゃないです。

現代では平等主義だろう、なんて、
思いがちでしょうけど、
しかし、
ちょっとしたことで、
彼ら白人が有色人種を下に見ていることは
すぐにわかります。

ま、あまりそういう話は面白くないので
やめましょう。

ただ少なくとも我々は、長く欧米のカモにされてきて、
いまでも根本的には変わらないのだ、
ということは、
気を付けていないといけないですね。












◎甘利担当相、辞任を表明
甘利明経済再生担当相は28日夕、内閣府で記者会見し、自らの金銭授受疑惑に関し、現金が甘利氏側に渡った..........≪続きを読む≫いやあ、安倍さんずいぶん露骨なやり口ですね。

TPPの交渉にわりと男気を見せていた
甘利大臣ですが、
それ故にハメられてしまいました。

ま、潔白であったら問題なかったのですがね。

小沢一郎の問題の時には、
ハメられたけど、
何も出てこなかった。

甘利さんの場合は、
もらっちゃった。

しかたないですね。

小渕さんの時もそうでしたね

放射能の件でしたか、
なにか小渕さんが安倍さんと違う意見を持っていたので、
かんたんにハメられました。
しかも、事実、ダメなことをしていたので、
これも仕方ないや、ですた。

その小沢一郎さんは、
ハメられたとしてももらってたんならダメだ、
みたいなコメントしていましたね。

自分はハメられたけど、
さんざん調べられて、
なにひとつ出てこなかったじゃないか、
という、
今となっては誰も聞いてくれませんが、
悲痛な叫びがあるのでしょうね。

ま、
今の状況では、
小沢一郎が真っ白だったのは
それとして、
もう彼が復権することはない。

あるとすれば、
いま安倍政権をあやつている勢力が、
倒れた時ですね。

たぶん、
菅直人とか野田とかを支えてたのも、
同じ勢力でしょうから、

自民か民主か、という問題ではないですよ。

でも、
世の中変わってきていますから、
私より下の若い世代が、
そういう人たちにダマされないで、
きちんと日本の国をどうすべきかということに
日々向き合い、
スポーツやお笑いなんかに時間を殺されないで、
ちゃんと自分で考えて、
自分で行動できるようになれば、
あっと言う間にひっくり返ることでしょう。

期待しています。




投稿写真

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秋に大きな実をつけていた柿はどうなっているのかな、萎んでいるけど、まだ木にぶら下がっていて、時々鳥につつかれているみたいでした。
春に白く咲き乱れていた水仙は、新しい芽がにょきにょき生えて出て来ていました。僕はアロエの実をつまんで少し離れた土に埋めてみました。

#にょきにょき #アロエ


一昨日ですが柄谷行人さんの講演を聞きに行って、まず驚いたのは、行きのバスで柄谷さんと一緒だったことですね。
まさかと思いましたよ。
第一私は電車のせいで遅刻してたんですからね。
なのに講義する先生自身が同じバスに乗ってるって⁇
聞いたら、絶対遅刻だけは気をつけてと言われたのに、とかなんとか言ってました。
で、まあ、教室での話は大したことなかったですが、終わって戸塚駅に戻りJRで一気に沼津まで行く予定で東海道線に乗るってえと、ものすごい混み様なんです。
人身事故で二十分遅れだとか。
ぎゅーぎゅーに詰まって乗ったんですが、しばらくしても電車が動き出さない。
1分や2分じゃない。五分やそこらは止まったまま。ぎゅーぎゅーのまま。
あまり混んだんでなのか、人身事故のせいなのか、しかし目を閉じてじっと待っていたら、やがて、ついに動き始めました。
直後にドン‼︎急ブレーキだったので車内は全員将棋倒しです。
私も誰かの上にナナメになってましたが仕方ないですよね。小さい女の子とかかわいそうです。みんなじわじわとまっすぐになっていきました。
やっと動いたかと思ったら急ブレーキなので精神的ダメージがでかいです。
で、ドアも閉まったまま。
またまたさっぱり動きやしない。
ただ、電気は消えてないし、クーラーも止まってないので、いくらか不快を解消されてはいました。あれで真っ暗で暑くて蒸していたら私ダメだったでしょうね。
やっとアナウンスがあって、ホームと電車の間に荷物がはさまっているので撤去作業を行います。というのです。
ああその作業が終われば発車するんだな、とわかったら気持ちが少し楽になりました。
しかしですよ、それにしてもなかなか動き出さない。よっぽど荷物がガッチリはさまっちゃって取れないのか、ちょっとかかり過ぎだよな。と思ったら、
ただいま急病のお客様が出ましたので緊急介護を行っております。今しばらくお待ちください、と来たもんだ。オレが倒れるっつーの。
ペットボトルのお茶でも飲んで落ち着こうと思っても背中のリュックの中だからパックのエノキ茸みたいに詰まって立ってる状況では手が出ない。
それどころかズボンのポケットにパニック発作時の頓服薬が入っていましたけど、これすら手が出せない。
強いて言うと、あーあと二十分電車来ないのか、とわかって、トイレに行っといたのが助かりましたね。熱海に着いたら入ろう、とか考えてたので。
で、まあ、永久に閉じ込められているわけではなくて、やがて動き出したのではありますが、どのくらいの時間だったんでしょうね、30分もなかったのかもしれないですけど、しかしダメージでかかった。
それですんなり熱海で乗り換えて沼津、と思ったんですが、その電車、急きょ行き先を変えて、小田原行きになっちまいまして、折り返し横浜へ帰っちまったんです。
仕方ない。小田原で二十分待って、次の電車で熱海まで行き、乗り換えて沼津まで、なんとか辿り着きました。
もう9時過ぎてました。
予定ではホテルに直行して部屋飲みのつもりだったんですけど、あんまりかわいそうなんで駅前で居酒屋に入って飲み食いしました。北口に出てタクシー乗り場から通りを渡ったところの店ですけど、ここが大当たりでね、何を食っても美味い。
刺身とスジ煮込み、アスパラの豚肉巻き、まあ全て最高でした。
そんなわけで気分直して帰ったってわけです。
憂国忌に行って一番びっくりしたのは、三島由紀夫さんが裏でパネル運んでるのを見たことですね。え?あなたが死んだからこうしているんですけど…
三島由紀夫さんの慰霊祭は2時からでした。そのあと場所を変えて追悼会が6時からです。
どうやっても時間がつぶせなくて4時に会場に行き、待たせてもらうことにしました。
ポスターの準備とか販売する本を出したり、チラシを並べて、そんな横を中へ入らせてもらうところでした。入口で、バンからパネルを出して持ち上げた男と目が合いました。三島由紀夫さんでした。
私も30年以上ファンやってますからね、見間違うわけはないですよ。間違いなく、三島由紀夫さん本人でした。
と思いました。
が、少しやせてるなあ、てゆうか、若すぎるわ、昭和45年当時と変わらない。いやしかしみんなの心の中では彼は歳とらないわけだ。なんてことを一瞬のうちに考えました。が、しかし、次の瞬間にはもうすべてをさとって私は目をそらし、中へと歩きました。
そう、きっと息子さんがいたのでしょう。そっくりな息子さんがね。
なにか彼の私を見る目が、初めて会う見方でなかったので、もしや、と血の気が引く思いをしたのですけど、そんなわけはなかったです。