【大きな画像や動画はこちら】 これまで、私たちは事あるごとにゾンビに襲われた..........≪続きを読む≫
このことについては、ワタクシ、
ものすごく考えてきました。
ゾンビとか吸血鬼とか、
やられたら自分がゾンビとか吸血鬼になっちゃう。
けど、
なっちゃえば逆に楽か?
怖い物ナシか?
でもなりたくない?
不死身だぜ?
でも
ゾンビになってまで不死身はどうだろうか・・・
たぶん4歳くらいから、
何十回となく考えたことだと思います。
例えて言うならば、
プールの水が冷たーい、
と思っても、
入っちゃえば、そっちに慣れるじゃないですか。
だからゾンビも、
なっちゃえばそっちに慣れるんじゃないか、とか、
思ったんだけど、
やっぱりゾンビ来たら逃げるよな。
一番最近のゾンビ物体験は、
前にも話題にした
スティーブン・キングの「セル」です。

セル(CELL)とは、
セリュラーフォウン、つまりケータイのこと。
電波でゾンビ化したのが始まりで、
しかしやはりゾンビに殺されても、
またゾンビになる。
確かラジオ体操の音楽にゾンビが反応するんだったかと
いや、アメリカにラジオ体操はないか、
記憶があいまいですが、
なにか、電波がカギだったんですね。
ぜえったいゾンビ化したくない、
というのは、現代では
ちょっと説得力がなくて、
と言うのはやはり、
なっちゃった方が逃げなくていいし楽か?
っていう面もなくはない、
って、スティーブンも考えたかどうか知りませんが、
奥さんはゾンビ化するんですけど、
この主人公は、
息子に無事に会いたい、
というモチベーションで前進する。
息子になんとか無事でいてほしい。
その為には、
守ってあげる立場の自分が
ゾンビ化するわけにはいかない。
息子を愛している。
もちろん妻も愛おしいが、
息子はもっと愛おしい。
途中で身もだえするような
仲間の死にも直面します。
しかし、
なんとか世界中がゾンビだらけになっても、
息子だけは無事でいてほしい、
そしたら、
何が何でもオレが助けに行くから、
という意志力で、
息子を探し続けるのです。
これはね、
ゾンビってなんだろう、
って思わされるでしょう。
一体、自分は、
いくら堕落してもいいのか?
息子がいない人だって、
子供のころ、
母親が自分に期待してくれていた、
その気持ちを裏切らないで、
生きているだろうか。
小学生の頃、
同級生が自分に期待してくれていた、
そのイメージを裏切らないで僕は
生きているだろうか。
高校生の頃、
先生が僕に期待してくれていた、
その夢をこわさないで、
応えてあげられたと言えるだろうか。
そんなの自意識過剰だよ、
と言うかもしれない。
でもね、
こないだ偶然新宿で出くわした
中学の同級生が、
いやあ、角ちゃんは情熱家だからね、
って言うんですよ、
情熱家??
なんのこと??
だって、ナンにしたって
すっごうい情熱で燃えまくる人じゃんか。
・・・・・(-_-;)・・・・・・・
ということがあって、
この今の冷め切った自分を、
この同級生にはあまり見せたくないな、
と思いました。
確かにね、
その子とは小学生のころから一緒でしたから、
私が小学2年生で一人で広島へ
原爆ドームを見に行ったり、
中学1年で一人でイギリスへ
議会政治を見に行ったりしたのを、
知ってるわけです。
1960年代当時、
1970年代でも、
そういう子供はあんまりいなかった。
ひょっとして角は大物になるんじゃないか・・・
と思わせたのかも知れない、
とは思います。
ま、こんな小者でごめんなさい、
っていうことですが(-_-;)
しかしね、
セルで言うところの、
何がゾンビで、
何が息子か、っつうことがね、
まだまだ結着着いたわけじゃないんだ。
人生50年、だったらそろそろおしまいだけど、
100歳以上、生きる可能性はあるでしょ。
だったら、
まだ折り返し地点にも届いていない。
時々ね、
7歳の天才バイオリニスト、
とか、ニュースで見るでしょ、
7年で天才呼ばわりされるのが可能なら、
今後、50年使って、
7回くらい、
天才になれるかもしれないんだよ。
おじさんは、
ただの助平じゃないんだよ、
ってことを、
天下に知らしめたい、って思うね。
ものごとの初めが1ならば、
国の始まりはやまとの国、
島の初めが淡路島、
泥棒の始まりが石川五右衛門、
助平の始まりは小平義雄、
っていうくらいだからね。
上浦もひょっとすると
名を残すかもしれません。
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