サウジ裁判所「手術で体まひさせよ」、同害報復刑を適用
[ドバイ 3日 ロイター] サウジアラビアの裁判所は、知人を刺して体に障害を負わせた罪で収監されている24歳の男に対し、外科手術によって被害者同様に体をまひさせるよう同害報復刑を適用する判決を下した。.........≪続きを読む≫
人が人を裁くのは間違いだ。
だれに他人を裁く権利がある?
人を裁く能力を持つのは神だけだ。
私はそういう考え方です。
私が影響を受けた
埴谷雄高さんの考え方を
もう一度反芻しましょう。
彼の小説に
ひよこ豆が登場する場面があります。
俺はいつぞや
貴様にスープにしてかじられた
ひよこ豆だ!
と、キリストに向かって
恨みの言葉を吐くのです。
一般的に言って、
例えキリストさまでも
何か食べないと
死んじゃいますから、
豆のスープくらい食べて
当たり前ですが、
じゃあ、
食われる方の身に
なってみたらどうなのよ、
というのですね。
しょせん豆だからいいじゃん
というのであれば、
ひょっとして
宇宙人が地球に来て、
おお、人間の踊り食いは美味いな、
ってんで好んだとしたら、
宇宙人からしたら
所詮人間だからいいじゃん
ということになるが良いのか?
良くないですよね。
だから、結局、
生きるためには食わないわけにはいかない
という理屈が正義なんですよ。
宇宙人に人間を食うな
と言うときには、
他に食うものがあるだろう
という代替案を提示すべきです。
単に人間には知性があって
感情があるからとか
言っていたら
彼らから見たら
我々の知性なんて
ないに等しい程度かもしれない。
もしも彼らに
地球人以外に食うものがない
のであれば、
戦うか逃げるか、
それだけ。
戦えず、逃げ切れなければ、
食われるべきです。
ひよこ豆は食われて恨んだわけですが、
その気持ちはわかりますが、
逃げ切れないのですから、
食われるのですよ。
もっと生きて、
いろいろなことをしたかった
ですけど、
生きるということは、
それだけで
いくつもの障害を背負っているわけです。
ヘレンケラーみたいに
口がきけない
耳が聞こえない
目が見えない
というわかりやすい
障害もありますが、
そこまで顕著でなくとも
だれにでも
ちょっとした障害は
必ずあります。
それに悩んで
死ぬ人もいます。
私にしてみたら
私の神経の細さが
生死に関わるような
障害でした。
具体的に
不安神経症という
病名を付けられたのは
成人して何年も経ってからですが、
幼稚園の頃から、
自分の過剰なまでの
繊細さ
というのには気づいていました。
生まれてこなければ
こんな恐ろしい目に
あうこともなかったろうに
と思ったところで、
実際に生きていて
死ぬのが怖いのですから
どうしようもないです。
あえて言えば、
自分が子供を産まない
ことによって、
そういう思いをする
人間の数を増やさない
という抵抗手段はあります。
埴谷雄高氏自身は、
それをやりました。
だが、私は生んだのです。
産みたかったのですね。
そうなると
私は自分の子は
命を懸けて守ろうじゃないか
と思っていますよ。
毎日話しかけて、
聞き出して、
万が一のことがないように
気をつけています。
それと、経済的にね、
裕福でいられるように
してあげようかと
思っています。
世の中お金じゃないですよ。
私の尊敬する空手家の
マス・大山は、
何をやるにも損得ぬきでした。
しかし、
道場運営については、
これはあくまでも経営という
視点が必要だ
と、強調していました。
必要以上に儲けることはないが、
ただ厳しくやって
生徒が集まらず
道場がつぶれたら
まるで意味がない。
道場を開いて
空手を広めよう
という信念があるなら、
ちゃんとお金が回るように
しなくてはならない。
生まれてきた以上、
人生でこれを成し遂げよう、
という目標があるのなら、
そしてそれが直接
収入に結びつくのであれば、
その経営をうまくやることです。
それが空手だったら、
道場経営ということですね。
自分の人生の目標が
直接収入とならなくても、
私のように
ライジング・デヴァイス
を使えば良いわけです。
もちろん、ライジング・デヴァイス
に限らず、
簡単に自動で所得を産んでくれる
装置があれば
それで良いと思います。
金銭面での悩みがなくなるだけで、
人生の障害のほとんどが
吹っ飛んでなくなります。
それでもなお残る障害が、
その人に固有の
本来の障害だったんですね。
そいつとこそ、
正面から取っ組みあって
戦うべきなわけです。
お金がないことくらいで
たいそうな悩みを抱えているような
顔をしないでくださいね。
そんなの
ライジング・デヴァイスがあれば
吹き飛んでしまいます。
あなたの本当の敵は
あなたが倒すべき相手は、
あなたが裁くべきものは、
本当は誰なんでしょう。