「つくられる民意」 どういう意味でしょう?
これはちょっと難しいテーマです。
今日は私の体験を紹介します。
私は仕事柄、よく地域のまちづくりの会合やワークショップなどに参加します。
コーディネーター役であったり、ワーキングチームであったり、その時々に応じて様々なポジションがあります。
昨年1年間、ある地域のまちづくり研究会のサポーター的な役割で資料作成などを行ってきましたが、その後のその地域での意見交換会席上で次のようなことがありました。
元研究会役員の一人が地域全体の意見交換会の終盤でいきなり、
「昨年の研究会の成果は私たちが作ったんじゃない。コンサルタントが勝手に作ったものだ。」
こんなことを言い出したのです。
当然、関係者はびっくりです。
(オイオイ、ソリャ当時ノ研究会ノ議論デモ賛成モアレバ反対モアッタシ、ソレヲヒトツノ意見ニマトメタノガコノ研究会ノ成果デアリ、モット言エバ、マトマラナカッタ案ハ複数案ノママ地域住民ニ提示シテルジャナイノ。)
こんな場で、突然、元研究会役員自らが自分の考えと違うと言って研究会そのものを否定するって、完全にルール違反でしょう。違うなら違うで、研究会で徹底的に議論すべきだし、すべてが終わってから、あれは自分とは関係ないなんて無責任も甚だしいですよね。
そう声を大にして言いたかったですが、そこはサポーターとして入っていた立場としては、その人を個人攻撃するような意見は言えず、もう完全にヒールに仕立て上げられてしまいました。
すると、また一人べつの役員が「そうか、そうやったんや」というような乗りで、
「ほんまや、もうちょっとでわしらの意見にされるとこやった。」
(オイオイ、オ前モカヨ!)
(アンタラノ研究会提案トイウコトデ市長ニマデ正式ニ手渡シタンデショウガ!)
腹立つどころが、段々あほらしくなってきて、その後は完全にしらけモードです。
(コノ意見交換会ノ日《3日間連続デ開催シマシタンノデ》ハ、タマタマコノ2人以外ノ元役員ノ方ハ出席シテイマセンデシタ)
しかし、役員でない地域住民は研究会での議論の経緯は知らないわけですから、この隣近所の超むかつくおじさんたちの意見を身近なものとして盲目的に受け入れてしまっています。
こうなると、我々コンサルタントや行政は完全に相対する存在となって、批判ばかりが次々に出てきます。
「お前らはいつもそうや。住民をだましてばかりや。」
こういう乗りです。
たった一人のルールを無視した意見というか、もしかしたらその人は本当にそう思い込んでいるのかもしれませんが、この幼稚な意見のため、この地域の将来はもしかしたら10年は他の地域に遅れたのかもしれません。
こういうほんのチョットしたボタンの掛け違いで大きく民意は左右されてしまうものです。
本当に恐ろしいと思いました。
行政を批判するという行動は、すごくたやすいことですし、それが正義だと思い込む人も日本ではまだまだ多いのが現実です。
批判するのではなく、互いに立場を理解し合い、建設的な将来に向かうという姿勢をつくるために気が遠くなるような年月をかけないといけないのが、今の日本の地域の現状です。
(ソノ行為スラ、税金ノ無駄遣イトイッテ批判ヲ受ケル有様デス!!)
本当に自分の意見を持つということが大事なことなんですが、そのためには自分自身の人生のビジョンを持つという深い自己認識に至る過程を経ることが不可欠です。
「つくられる民意」と最初に書いたのは、そういう過程を経ていない、そういう教育を受けずに大人になった人が日本には余りにも多くて、たやすい意見にどうしても流されてしまう、一人の大きな声につい流されてしまう、そんな腹立たしい現状を意味したことです。
経済大国となった日本ですが、残念ながら、まだまだ国民レベルは幼稚と言わざるを得ません・・・(T_T)。