驚いたNEWS
今朝、目にとまったNEWSでした。
過去インドでは、夫の火葬中に炎に身を投げ自殺する
「貞節な妻」を意味する「サティ」という慣習があったそうです。
このような行為が、献身的な愛情行為とみなされて
いたというのですから驚きです。人は忘却の中にいるから
生きていけるのだと思いますが、そのマインドの呪縛から
まだ解かれていない方がいらしたことが衝撃でした。
悲しみのあまり・・・という気持ちは想像できなくもないですが。
インドの老女、夫の火葬中に炎に身を投げ自殺
[ライプール(インド) 12日 ロイター]
インドのチャッティスガル州にある村で、71歳の女性が現..........≪続きを読む≫
話は少し脱線しますが、
人は必ず死ぬのですから・・・
予測できずに突然降りかかる死への恐怖に囚われると
出口のない迷宮に足を踏み入れることになってしまいます。
私は子供の頃、戦争映画やアニメ「はだしのゲン」などの
衝撃的な映像やストーリーから、人が察する以上に
結構なトラウマを抱えてしまい(悪夢や小学生低学年で今思えば不眠症)
「戦争があったらどうしよう・・・死んだらどうしよう・・・」
といった恐怖と不安から、15、16歳の頃まで
家族を失う恐怖におののき、もしも戦争が起きたら
どう避難し、どうやって幼い兄弟の命を守るかなど
一晩中眠れずに考えていたこともありました。
老後どう生きるか、どう生計を立てるかを
悩んだのもこのl頃からでした。
はじめは、戦争が起きたら・・・から始まり、
そのうちに、火事になったら・・・、地震が起きたら・・・と
次第に過剰に考えるようになってゆきました。
ある日、初めてのディズニーランドへ家族で行くことになると
幼い兄弟が電車とホームの溝に落ちたりはしないか、
落ちないためにはどうしたらよいかなどを
ほんとうに真剣にシュミレーションしていたほどでした。
今思えば笑い話ですが、当時は本当に馬鹿がつくほど真剣でした。
でもこのディズニーの一件は、何てことなく電車はまたげることを体感し
「心配しすぎてもしょうがないんだ」と、自分の過剰な心配度合に
改めて気づいた結果となり、そんな過剰な心配症に
歯止めがかかる一件にもなったのでした。
それ以来、過剰な不安を卒業し、
(この卒業って言葉、心の切り替えに結構使えます。)
「段取りくん」or「予防と対策」をとることで、過剰な不安や
恐怖に囚われることを回避しています。
そして今では「もぅ少し考えた方がいいんじゃない?」
と思うことも多々あるほど。
人間の死についても、私はある程度
この「段取り、予防と対策」シュミレーション方法で
過剰・過激な反応が回避できるのではないか
と考えていますが如何なものでしょう?
そう簡単ではないかな・・・