愛と成長のしずく | 御言葉と歩む日々
私が幼子であった時には、幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていました。しかし、大人になった今、幼子のことを捨てました。
コリントの信徒への手紙一 13章11節
この13章は、聖書の中でも有名な「愛の賛歌」の章です。
ここで言われている「幼子の考えを捨てる」とは、単に年齢的な成長だけを指すのではなく、信仰や愛、ものの見方における成熟を意味しています。不完全な知恵や自己中心的な見方を卒業し、神の愛に基づいた完全で深い配慮をもてる大人(成熟した人)へと歩んでいく姿勢が語られている箇所です。
一時的な感情や「好き・嫌い」といった気持ちのことではありません。感情を超えた「相手の最善を望み、誠実に行動する決意や姿勢」を指しています。
なぜ「感情ではない誠実な愛」と言えるのか
1. 「感情」ではなく「行動と姿勢」で定義されている
13章の有名な一節(4〜7節)を見ると、愛の定義として書かれているのは、すべて意志的な態度や行動です。
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高ぶリません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをこらえ、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐えます。」
ここには「愛おしく感じる」「胸がときめく」といった感情表現は出てきません。「寛容であること」「自分の利益を求めないこと」「真理を喜ぶこと」など、自分の都合や感情がどうであれ、誠実に相手に向き合い続ける決断が描かれています。
2. 「幼子のこと」と「成熟した愛」の対比
11節で「幼子の考えを捨てる」と語られているのも、この文脈と深く結びついています。
段階→幼子(未熟)→特徴→自分中心、感情に左右される、見返りを求める
。
「自分の思い通りにならないと怒る」「好き嫌いで動く」
大人(成熟)→相手を中心に考える、不変の誠実さ、忍耐
「感情が追いつかなくても、誠実な行動を選ぶ」
幼子は「自分がどう感じるか」「自分に何をしてくれるか」で動きがちですが、成熟した大人は自分の感情に振り回されず、誠実さをもって人と関わることを選びます。
コリント書13章の愛は、気分が良い時だけ優しくする愛ではなく、状況や感情が変わっても変わらない「意志と誠実さによる愛」を教えています。

