あざっす!
 ぱよこでございます(´∇`)ノ

 誕生日を越えたら記事にしていこうと思っていたことがあります。

 アタシは2008年に子宮との対話をはじめてから、かれこれ7年になりまして。子宮という名称をセラピーに取り入れたセッショニストとしては先駆けの方で、べつだん有名じゃないですがその道ではコツコツとやってきたかな~と思います。

 その間 子宮番長⇒子宮塾長⇒子宮ラフメイカー(子宮笑わせ屋)と肩書き? もマイナーチェンジを遂げてまいりましたが、実は2015年1月から個人的にちょっと大きめの内的変動がありました。

 2013年から2014年いっぱいまで、両親のダブル介護のため実家に戻ったアタシはその間、ほとんど子宮関係の仕事をおやすみしていました。

 うーん、正直できなかったんです。

 一応実家のそばにアパートを借りてサロンを構えましたが、両親のタイミングに合わせて生活していると対面でのセッションがまず難しく、それまで続けてきた子宮塾も同じ理由でどんどんやらなくなりました。

 もっと言うと、やる気が失せていきました。

 エネルギーを介護と家事に費やし続けているうちに、次第に枯渇していったというか。
 介護と家事がじぶんの楽しみ、喜びであればよかったんですが、アタシという人間はもともとが自由勝手なやつなので、ひとの都合にあわせて、そっちを優先して生きていると、もーなにがなんだか。じぶん自身が生きてんだか死んでんだか、わかんなくなりました。

 1年くらいかけて、じわじわっと弱っていきましたね。 そんぐらい介護ってエネルギー使うんです。使うっていうか、吸い取られるような、削られるようなかんじです。本来のじぶんの欲求を後回しにしているわけなので子宮もココロもグレまくり。

 子宮についていつもみんなに言ってたこと。

じぶんの本音の声を無視するな。
だれかの機嫌より、じぶんの機嫌がまず第一。

それを何一つ実践できない、
じぶんの意志ではどうにもならない義務と責任にハマって


なにが子宮だ――ふざけんなぁ――


 と、盗んだバイクで走り出しそうな勢いでした。こんなんで子宮のワークとかできるわけないですよね。ひとに言えること、なんもないすよ。だって説得力ゼロだもん。

 なので、2014年12月に行われた子宮エキスポでは正直に、そのとおりみなさんにお伝えしました。
http://ameblo.jp/payoco/entry-11998237444.html

「やさぐれ子宮ですがなにか……?」

 結果的にいろんな方から、今日はぱよさんの話を聞けてよかった! と、非常に心温まるご感想や励ましを頂いたわけですが(ほんとうにありがとうイベント当日はまじ逃走しようかと思ってました(笑)

 だって、キラキラ輝いている子宮・セクシャル系のスペシャリストのみなさんが一堂に会している中で、200人ものひとが見ている場所で(子宮委員長はるちゃんや世野尾麻沙子どの、劔持 奈央さん、咲耶さん、かよさん、田中みっちさん、小路みゆきさん、ちゃみさん、やまがたてるえさん、須佐厳さん、岡田哲也さん)こんなやさぐれた、どす黒い子宮のアタシが参加してどうなるんだろう?


 って感じたとしても、しょーがないと思いませんか(笑)


 その頃友達のセッション受けたら【老婆かと思った】って言われたし!(ショックのあまり踵を返そうかと思ったw)

 いや、そのうち老婆にはなると思うんだけど、まだね。そう呼ばれるには早いかなーと(笑)


 この、これまでの人生でいちばんやさぐれていた時期。アタシは子宮とまったく対話しませんでした。

 対話したいとも思わなかった。
 それどころじゃなかったのよ。

 昼となく夜となく親からのSOSで駆けつける、いちにっさんしっALSOKのような日々に、眠りも自然と浅くなったし(つねに寝不足)、やさぐれ思考がじぶんをじわじわ侵食してゆくのをとめようもなかったし

 よくなろう。今よりしあわせになろう。

 という意欲自体、削ぎ落とされていったのだから、子宮と話したからなんだっつの。ぐらいに思っていたのだろう。(他人事……)

 今すぐ、パサっと粉になって消えてーな。
 意識も記憶もなんもない存在になりてーな。

 と、思ってたのはたしかです。

 そういう話をすると、たまに わかるわかる! アタシも死にたいってついこないだまで思ってたーみたいなこと言われるんですけど

ちげーっつの。
死にてーんじゃねぇっつの。

だって自死とかするとどーせあの世で反省室入ってまた長い時間浄化してカルマ(宿題?)の入ったリュックしょってこの世に来なきゃなんないじゃん。そんでまた同じ課題やんでしょ? (ぞわー) 
ぜってーイヤ。

そーでなくて。

もう意識とか意志のある状態を辞めたい。
個というじぶんではない存在になりたい。

※これはもしや、ワンネス回帰願望というやつだろうか……


 なんて、かなーりヤバいかんじになっていた頃、最後の砦・最愛の黒猫パヨさん(20歳)がいきなり急変、虹の橋を渡るに至り、いよいよこの世にいたい理由がなくなった2014年秋。母が夜中に骨折しまして。即入院手術となりました。

 また父は夏頃から体調を崩しすでに入院患者となっていたので
アタシ、急に広い実家で両親のネコどもとふたりぐらしになったわけです。

 
いきなり自由になったぱよ造。

 この辺から捻れに捻れた魂の方向性がぎゅるぎゅると逆回転するように急激に変わっていくのです。もちろん両親のお見舞いとか、いろーんな役所的、福祉的、保険的な手続きとか、実家の整理(ものすごい物量の断捨離)とか、やることは山のようにあるんですが、基本じぶんペースで行えてしまう。

 それはもう、溺れかけてたところに投げ込まれた1本のロープさながら、
懸命にしがみついていたら、なんだかどんどん事態が展開してゆくことになりました。

 あっ、しまった。まだ鉄男が出てきてない(笑)

でもつづきます。


このご縁に感謝をこめて。
ぱよこ@子宮ラフメイカー