私は一本のローソクです
もえつきてしまうまでに
なにか一ついいことがしたい
人の心に
よろこびの灯をともしてから死にたい
これはとある知的障害を抱えた中学生が書いたものだそうです。
知的障害。
実は甥っ子(現在中学2年生)が軽度の知的障害者です。
読み書きや計算も一応はでき、コトバもほぼ問題なく使用できる為、一見すると健常者との違いはよく判りません。
それ故、今年の春に担任の先生から指摘を受けるまで、家族の誰一人として彼に障害があると疑うことはなかったそうです。
ただ、思考が抽象的で推理能力が足りず、同世代の子たちと比較すると明らかに言動が幼稚。
未だに特撮とアニメから離れられず、それ以外のものに対する興味は殆どナシ。
そんな状況に僕ら夫婦は数年前から気付いていて、実家に帰省するたびに彼の言動に不可思議を感じていました。
そんなワケですから、兄から「自分の息子が知的障害者である」という事実を打ち明けられたときも驚きはまったく無く、寧ろ冷静に受け止めることができました。
やはり我が子を客観的に見つめることは困難だったのか、それとも薄々気付いていたものの、その事実を認めたくなかったのか。
真相は分かりませんが、彼が知的障害者であるという事実にたどり着き、適切な対応をするまでに、あまりにも遠回りをし過ぎてしまった。
本人は勿論辛かっただろうし、兄にもきっと様々な想いがあることでしょう。
その夜、
僕は嫁さんと娘が就寝した後で、ひとり泣きじゃくりました。
実は、過去に一度だけ本気で自殺を考えたことがあります。
20代も前半、まさしく『若気の至り』と言えそうな行為ですが、
遺書のようなものを書き、飛び降りるためのビルを選定して、決行する日時まで決めていましたから、本気も本気。
恋愛に破れ、貯金も底をつき、PHSは強制解約。
税金の支払いも滞り、家賃も2ヶ月分を滞納。
完全に自暴自棄になっていました。
そして最後、
「後はこの世に未練を残さず逝けるように」と考え、実家へ帰省しました。
両親と他愛も無い会話を交わし、まだ幼稚園へ通い始めたばかりの甥っ子と遊びながら、
「俺もまたこんな風に生まれ変わることができるのかなァ・・・」
などと考えつつ、この日は一泊。
夜の闇の中で想いはどんどん固まっていき、
「もう思い残すことはない」
という境地に達していました。
そして翌日、善からぬ決意を胸に、帰宅する為最寄のバス停へ行こうとすると、甥っ子がどうしても僕に付いていきたいと言う。
どうたしなめてもきかんので、仕方ない、ばあちゃんが抱っこをして僕の帰りを見送ることになりました。
そしてバス停に到着し、待つこと数分。
いよいよバスがやってきました。
ひとつ深呼吸をしていよいよ乗り込みます。
すると、ふいに甥っ子が僕の手を掴んで離さない。
「ゴメンネ、おじさんもう行かなくちゃ」
と言うと、
「ハヤトおじさんダメ!」
と泣きじゃくる。
「また来るから」
などと適当なことを言うと今度は
「ず~っといなきゃダメ!」
と言う。
僕が無言のまま黙っていると
「ず~っとず~っと一緒にいてほしいの!」
と泣き叫ぶ。
これで全てが壊れました。
僕の目からはスイッチが入ったように涙が溢れ出し、嗚咽が漏れる。
僕は甥っ子の小さい体を抱きしめて、もう一度
「また来るから」
と、今度こそ本心を伝えたのでした。
そんな甥っ子が、知的障害者であったという事実。
思い及ぶところあったとはいえ、この“事実そのもの”は血縁としてやはり辛いものがあります。
現在は“そういうクラス”に転籍して毎日を楽しんでいるようですが、
やがて彼も大人になり、親の元を離れなければならない時が来る。
そこにはやはり綺麗事だけでは済まされない大変困難な未来が巨大な口をバックリ開けて横たわっている。
それを思うと、何か憤りの様な、得体の知れないネガティヴな感情が沸き上がってきてしまうのです。
何が平等だ、バカヤロウ!ってね。
でも、そんな甥っ子の存在がなけりゃ今の僕は有り得ない。
嫁さんとの出会いもなけりゃ当然娘も生まれていない。


