先日、広尾にある某女子大学の修道院へ
娘がお世話になったシスターに会いに行く予定があり
午前中時間があったので豊川稲荷東京別院へ参りました。
何度か訪れているものの、
豊川の本院と東京別院の空気の違いは不思議です。
東京と名古屋の違いに似てる(まんまだし)
境内は緊急事態宣言も明けて、平日ながら多くの人で賑わっていました。
別院では売店でお揚げ、お餅、お酒などを入手してから
各々好きなところに供えてお参りします。
お参りが終わったら
売店でジューシー稲荷!できたてふわっふわ!

きつねうどんと稲荷を食べ、修道院へ向かいました。
修道院へ着いたら
まさかのお昼ごはんが用意されていました。
シスター特製カレー。
さっきうどんと稲荷食べたばっかなんだけど
でも美味しそう!

で、二度めのお昼ごはんを食べました。
「たくさんあるのよ」という言葉を
おかわりするのがマナー✨という独自の解釈により、
失礼のないようしっかりおかわりしました。
シスターとの話は満腹すぎてよく覚えておりませんが
娘のことや学院の話など、とても楽しい時間でした。
シスターは「祈り」のプロです。
祈りというのは無意識の懐疑「信じる」をバックアップするものではないかと
なんとなく思いました。
「信じる」は願いの状態なので揺らぎが多いのです。
「信じていたのに!」ってのは信じるのをやめた状態で
願いが叶わなかった悲しみの裏返しなんだよなと。
願いをまるごと包んで
神様に差し出し委ねるための覚悟のカタチが
「祈り」なのだと解釈すると
やはりそれは尊いものだなぁと胸がじんわりしました。
そして満腹で朦朧とした状態も悪くないなと(いやこれ関係ないから)
そうそう、以前から気になっていた
「シスターはなぜシスターになったの?」
の一例を訊くことができました。
「皆さんが思っているようなドラマチックな経緯ではないんですよ
就職先や進学先を決める選択のなかに
当時はそれが普通にあったんです
教会や学院創立者御一族との出会いもあって
そういう生き方もあるんだな、それいいなって思ったんです
少しずつなくなり、残念ながら今は選択肢のなかに見かけませんね」
とのことでした。
今でこそ超激レア職のようではありますが
なくなるものがあれば生まれるものもあり
時代、環境などで将来の選択肢が変化する可能性が十分にあるのではないか?
今この瞬間に希望を見出だせず絶望の中にい
たとしても
決してこの人生を諦めず
世論や周りの人々に煽られることなく
自分ができることをしながらじっくりと待つ
というのも、人生を切り拓くひとつの方法なのではないかということです。
気持ちが焦ってもすぐに結論を出さずにじっくり行こう、
焦る気持ちが収まらないなら
時には誰かに寄りかかって吐き出してもいいじゃないですか。
飲み過ぎた人とか普通にやってるし、問題ないです。
救われたならその恩恵は次の誰かに送ればいいんです。
「行動!行動!」を強いられる中にいても
心の中ぐらいはどっしりと構えておきましょう。
って自分自身に言い聞かせるのでした。