本当に不運な人が存在する。
なぜその人生をチョイスしたんだ!
マンマ・ミーア人生 みたいなイタリア映画を思い出す。
よく覚えていないけど思い出す。
おそらくわたしの中では
「意味不明だけど思い出すアレ」という
それこそが名作なのだと思う。
さて、不運な人の話に戻るけど
わたし如き人間が当人でもないのに
「この人不運」と判断するのは
非常に烏滸がましいことだ。
その判断はわたしの「我」でしかないから。
なので、そのわたしの「我」を
心の神棚にひとまず預けて、その人生をみる。
そうすると
「盛りだくさん、人生欲張りコースたっぷり味わえ」
と出てくる。
神様には良いも悪いもなく
意地悪をしているのでもなく
ただ「豊かな人生どうぞ」らしい。
人間的には
リアルな日常で泥団子をハイどうぞ、お食べ!
って執拗に渡されている感じ。
神様は超越しているのだ。
そんな時には神様へ
「豊かな人生をありがとうございます。
ですがもう満ち足りているので
過剰分はお返しします。」
的な内容を真剣にお伝えする必要がある。
ベクトルが違うだけで
不足しているわけではないので
満ち足りているという認識ができていないと
「え、足りないの?」って、
そうじゃないやつを更に与えてくるから
神頼みについては気をつけなくてはいけない。

寺にずいぶんと人が出入りしている。
そうか、お彼岸か。
昼の長さと夜の長さが同じになる日
陽と陰の強さが入れ替わる日
あの世とこの世が最も近くなる日
ひっがーん、カミングスーン(もう来てるから)
いろいろと謂れはあるけれど
わたしにとっては
心地よい気怠さがあり、よく眠れる日。
庭の真ん中に
一輪の彼岸花が咲いていて
黒地に白紋の入った蝶が蜜を取りに
ヒラヒラ舞っては止まりを繰り返している。

新興宗教に入信していた父。
ムーを創刊号から愛読していた父。
娘の小学校の入学式で
スーツのズボンがマンガのように裂けてしまった父。
好きな言葉が「一石三鳥」だった父。
「返さないとは言ってない」と言いながら
貸したお金を返してくれないまま死んだ父。
時々夢に出てきてはアクティブに動こうとして
「もう死んでるんだからやめときな」
とわたしに叱られてしまう父。
こうやって時々思い出しても
全然美化されない、しょうがない父。
それでも、もっと一緒にいたかった
という気持ちは今も変わらない。
父やご先祖さまには
わたしが幸せに生きてることを伝えたい。









