- 【映画チラシ】丑三つの村・田中登・古尾谷雅人//邦・ア/松竹
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日本の古代からの文化では夜に帰る場所にいるのが妻。
妻はある決められた範囲内でころころと変る文化だった。
これは明治時代に廃止され一夫一妻が導入された。
そのはけ口として性産業が発展した。
弥生時代のはじめは、罪を犯すと妻子を没収された。
その悲しみから妻子のリスク分散をしたのかもしれない。
つまり、夜に帰る場所にいるのが妻という制度だ。
悲しみは分散されるのだろう。
もしくは一族の衰退を防げた。
昔から妻子を愛したのだ。だからこそ、罪を犯すと没収して、反省させた。
それとは別個に、芸をする高級娼婦と、金だけもらう娼婦が古代からいた。
中国にも日本にも韓国にもいた。
芸をする高級娼婦を、金だけもらう娼婦扱いにするのは高級娼婦のプライドが許さない。
芸をする高級娼婦は貴族階級で女の憧れ。金だけ貰う娼婦は奴隷なのがアジアの考え方。
その混同がさまざまなコンフリクトを起こすのだろう。
一兵卒が夜這いをするかのごとく代わる代わる芸をする高級娼婦に対してそれを行ったら失礼なのだ。
娼婦などと軽蔑することは、奴隷の娼婦との混同で無知極まりない行為なのだ。
高級娼婦は貴族しか相手にしないのだ。貴族の遊びなのだ。
夜這い先とは違う。
その恨みは千年の恨みと言われてしまう。
村八分や結核になると、男としての性活動は村の掟で制限された。
場合によってはリンチされ木に吊るされ殺された。
つまり妻を持てなくされた。
農作業ができ、長老の言うことをきかなければ村八分とされたのだ。
中国では親が結婚相手を決めた。
基本的なユーラシア東部の行動様式なのである。
逆に言えば高級娼婦でもないのに高いプライドを持つのもおかしい。
夜這いされるべき娘が従わなければ村の掟で村八分、木吊るしだったのだ。
夜這いをされたくない娘と、結核になった夜這いを禁止された男が出会えば、
真の核家族を作れたのだ。
おそらく幸薄いだろうが。
そんなDNAを引き継いでいるアジアの民である自覚も必要だろう。