嫌だな、つらいな、しんどいなってあんまり感じたくないなぁとずっと思っていました。
その度に心が揺さぶられて、体もしんどくて、時には生きているのさえ嫌になることもありました。
だからそんなことが起これば、
「この嵐のようなざわつきが
早く過ぎ去ってくれないものか」
と
小さく小さく
固く固くなるのでした。
それをずっとやると、感情がだんだん鈍くなりました。
悲しいことにも、うれしいことにもあまり動じないし、表情にも出ないんです。
笑ってる顔すら嘘っぽいといわれるようにもなりました。
感情にいい悪いもないというのはまさしくその通りで、
どちらかだけを感じるなんてできないんです。
悲しいという、嫌なことすらもちゃんと感じないと、
嬉しい、楽しいも感じにくくなります。
自分の嬉しい、楽しいがわからなくなると、それを外の条件に求めてしまいます。
「メディアで良しとされているものが幸せの象徴なのだ。」
「それさえ手に入れれば幸せになれるんだ。」と思うのです。
でも、そんなのは本当の自分の「好き」で「幸せ」じゃないから、
得るのは難しいし、得られないことでとても不安定になるんです。
今は幸せは嫌なことの中にこそあると思っています。
何が嫌なのか、悲しいのか、苦しいのか、それすらわかったら
あとはそうじゃない方を選べばいいんです。
嫌い。だから本当はこうしたい、ああしたいがあるはずなのに、
それを感じたくないから「あれは嫌いだけど、でも○○だし・・・。」って
自分の気持ち誤魔化してしまうんです。
誤魔化さずに、嫌だ!!って思いっきり感じたら
本当はこうしたいんだ!が必ず出ます。
そしたらそれをすればいいんです。
大きなこと過ぎて、すぐはできないというなら、
できることからまず行動すればいいんです。
不快だと感じるその感情こそ、幸せの道しるべであり、宝物です。