「私の母の名前だ」


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とある集落の奥に一軒。

寂れている周りとは違って、まだ生活感を残す家があった。

それは、僕にはとても見覚えのある集落と、家。


期待で胸が張り裂けそうだったし、逆に不安で胸が引きちぎれそうでもあった。

玄関をノックすると、聞きなれた、男勝りの女性の声。

「…」

確信を得た。


ただ、会って話がしたい、その一心で扉を開く

赤く可憐な髪を腰まで伸ばし、容姿はそう、ベルのまま。

老いた様子もなく、美しいあの時の彼女を、現代にタイムスリープさせてきたようである。

僕は彼女を一目見て、しかし、感動やら何やらで胸が張り裂けそうになってしまった。

そんな僕の思いを映すように、甘ったるい匂いが鼻孔をくすぐった。

え…あっ…。



そうか、僕は抱きしめられているのか、そう気づくのに数秒かかった。



僕達にとって、美しい時間。

「な、何をやっているのだ母さん!」

感動の時間はすぐに終わりを迎えて、グランベリアに引き離される僕と彼女。

「ルカ…私はずっと…何百年と、待っていたんだぞ…」

ベルの瞳に水気が差し始める。

僕にとっては昨日の、数十時間前の出来事に対して、ベルにとっては何百年前の出来事なんだ。

そうか、やっぱり、あの世界は過去だったんだ。

「ベル、生きて、たんだね…」

その現実が、すぐに涙腺を震わせようとする。

「あぁ、不幸なのか、それとも幸いなのか、私がこの世界に取り残された」

「という、ことは…」

「エレノアと私の姉貴…リリアは既にこの世を去った」

「…そう、か」

「玄関で話すのもなんだ、上がってくれ」

落ち着いた声音で僕を招き入れる彼女を見て、容姿に変化は見られないものの…。

なんというか、大人っぽくなった、というか。



昔と風景は変わらないリビングへ腰かける。

「話したいことがたくさんあって、何から話していいのか困ったものだ」

ははは、と優しくほほ笑むベル。

「でも、ルカを思う気持ちは変わらなかった、ずっと、ずっと待っていた…」

再会の喜びのためか、少しだけ潤んだ瞳が彼女の魅力をより一層引き立てた。



僕は恥ずかしくなってそっぽを向いてしまう、

グランベリアがさっきから蚊帳の外なのが気に入らないのか、足をつねられた。

「いてて…」

「まず、なんでルカと母さんが知り合いなのか聞きたいのだ。なんなんだルカは、過去からタイムスリープでもしてきたのか」

ふんっと苛立たしげにため息をついて、イスに深く腰掛ける。


「割と的確に真実を突いてきてるね…そんな感じ。本に掛かってる魔法か何かで僕は過去へ飛ばされたのさ」

「まぁ、それは私が仕掛けた罠なんだけどな」

しれーとした顔で言うベルに対して、唖然とした。

「ど、どういうこと…?」

「運命というのは繋がっているのさ、ルカはいつか私に話しただろう、変な書物に呼ばれて過去へ来たのかもしれない、と…」

「あ、あぁ…」

そんな話をちらっとしたことがあった。


「その話を聞いてピンッと来た。私が仕掛ければいいと、な。むしろ、私が仕掛けたからこそ、ルカは過去にタイムスリップしたんだ」」



「…どうしてそんなことを」


「簡単さ、ルカが過去を知らなければ私はルカに会っても意味がないし、あったところで何も進まない。
初対面の奴に、お前を知っていると言っても仕方がないだろう」

なるほど…。

何か悪意のようなモノがあるのではないかと、深読みしてしまったようだ。




「進む…か…」


ベルはまだ、僕への思いを進ませようとしている、のだろうか。

いや、そんなはずないか…。

「だからこうして今、私とルカは再会できた…。」

ど、どうなんだろうか。衝撃的事実すぎて、どう反応していいのか。

「ふっ、色々と困惑しているようだな…まぁ、無理もない。
ルカがいない間に色々とあったのだ」

「あ、そうだ、グランベリアが母と呼んでいたけど、それは?」

「ふふ、やはり気になるんだな」

よくぞ聞いてくれましたという風に目を輝かせる。

「この子は私の娘であり、娘ではない」

何だか深刻な内容そうなので、心配になって本人に視線を映すと、大丈夫というのに頷いた。

「というと…?」



「この子は、エレノアと姉貴の子供だよ」


――――――っ!

「グランベリアが、エレノアと、ベルの姉の子供…!」

そう、だったのかっ。

こんな身近に、二人の娘がいたなんて衝撃的すぎる。

そして、グランベリアの家族(リリアとエレノア)と知り合いだったなんて…!

「姉貴が必死の思いで生んだのがグランベリアなんだ、だから、姉貴の意志を次いで、私が育て親になった」

「そう…エレノアは薬を、完成できなかった、のか」

ベルは少しだけ頬を緩ませて、首を横に振った。

「人間と、龍人族の寿命は違う、それはわかるだろう」

「…うん」

「姉貴は言ったんだ、愛している人の後を追いたい。と」

「…っ」


「薬はエレノアにしか作れない。そのエレノアが寿命で死んだらな…」

「でも、それじゃあ、グランベリアはっ!…グランベリアがかわいそう、じゃないか…」


ベルは目を瞑って「そうだな…」とため息をついた。

「姉貴が身籠ったのは、エレノアの死後なんだ。だから、どう足掻いても、病気の影響で助かる余地がなかったのさ…。

むしろ、そこを狙ったのかもしれないが」

「そっ…か…」

「エレノアがいない世界で生きたくないけど、それでもこの世界に自分の生きていた証を残したいとか、そういう類だろうな」



グランベリアの隣でこんな話をして、大丈夫なのだろうか。そういう面持ちで視線を移す。

「気にしなくていい、過去を嘆いた所で、今の私は私だ。育ててくれた人はベルさん、それだけのこと」

凛々しい言葉でそう言うグランベリア。

そうだ、グランベリアは昔からこういう仲間だった。

「それに…る、ルカとこうして…ごにょごに…」

グランベリアにしては珍しく歯切れ悪く、かつ、小さい声でぶつぶつ言葉を繋ぐ、頬は思いのほか赤い。

「グランベリアに真実を打ち明けた時も、こんな感じだったよ。ほんと、強い子だ」

優しい眼差しでグランベリアを見つめる。

本当の母親のごとく。

いや、本当の母親ではないからこそ、本当に近づけようと努力してきた結果なのかもしれない。

本当かどうかは、グランベリアにはさほど関係なさそうだが。

「母さん、なんとなくわかった。母さんが昔よく、私に聞かせてくれた勇者の物語。それは、ルカのことだったのか」


「そうだ」


「えっ…」

僕は目を白黒させてベルを見つめる。


「じゃあ、私の許嫁は、ルカ、な、のか」

歯切れ悪く言ったグランベリアの言葉に、僕はつい言葉を失ってしまう。