辺りは暗く、古臭い書物の匂いがする。

開いた真っ白いページには、今まで僕が見てきた光景が、文字として記されているのだった。


「…」

そのページを濡らす、雫が頬を伝う。

そのまま、自分の無力さを嘆くように、膝から崩れ落ちそうになる。

「ずっとそばにいられなくて、ごめん、ベル…」



こんこんと、玄関を叩く音がして、アルマエルマが入ってきた。

僕からしてみればとても懐かしいアルマエルマの存在。

五年ぶり、でも、この世界は先へ進んでいる様子はない。

「ごめんなさい、ルカちゃんを置いてけぼりにしちゃって…?どうしたの、ルカちゃん?」

頬を伝う涙の跡を見たアルマエルマが、ぎょっと驚いていた。

「ううん、何でもない…」

心配そうに僕を見つめながらも、机に開いていたページを見つけるアルマエルマ。

「あら、これは…?メモ帳か、何かしら」

それにしても、古いわね、と文字列で埋められたページを見て言う。

「メモ帳…?」

このページを見て、メモ帳というなんてどういうこと、だ?




「アルマエルマ、この本って、何か書いてある?」

「ないわよ?」

見えて、ない、のか…?

もしかして、この物語が見えるのは、僕だけなのか。

この物語を知っているのは、この世界で、僕だけなのかもしれない。

もう、ベルや、エレノア達はこの世界にいるかどうかもわからないし…。

「ちょっと疲れて眠くて」





「…そう、じゃあ、魔王城に戻りましょうか」




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ぼんやりとした映像が、浮かび上がってくる。


お願いします、薬を、薬を、くださいっ!!!!!!!!!!!

少年の、悲痛な叫びが聞こえてきて、目を開ける。

見慣れたのんびりとした風景とは似合わない、ボロボロの服に身を包んだ少年が、扉を激しく叩いていた。

中から聞こえてきたのは、少年を拒絶する言葉。

「これは…」

その少年は紛れもなく、僕だ。

ルカだ。

「お母さんが、お母さんが病気で、もう…」


それでも返事はなかった。


助けなくてはっ!!

僕が、僕ならできる、僕なら母さんを、助けられる。

咄嗟に引き止めようとして、触れたはずの僕の指はしかし、ルカの体を通り抜けた。


「あっ…」

気づいた時には、僕の目の前に息絶えた女性の姿があった。

そのすぐそばで、泣き崩れ落ちたぼく。








―――――「…また、僕は何もできずに…」

二度も、二度も母さんを殺してしまった。

その現実を目に前にして、涙が溢れてきた。


ベルや、エレノア達もこんな風にして、死んでしまったのなら…。


僕は本当に、無力だ。


――カ、ルカっ!


僕を呼ぶ、ベルの声が聞こえた気がする。

あぁ、僕もついに、幻聴が聞こえるまでになってしまったのか。

もう、僕が存在している世界にベルは、いないというのに…。

手を伸ばして、彼女の頬へ触れた気がした。

「べ、ル…生き、て…いて…。」


声になったのか、音として空気を揺らしたのかさえわからない。




うっすら、濡れた瞼を開くと、グランベリアが僕をのぞき込んでいた。

「グラン、ベリア…?」

いつの間にか、僕は寝てしまっていたらしい…。

そういえば、グランベリアと会うのも、五年ぶりに、なるのか。

久しぶり、その一言を口にしてしまいそうになって、引っ込む。



「今、何と言ったの、だ…ルカっ!」

グランベリアは必死な形相で僕へ掴みかかってきた。

「ええ、えっと、グラン、ベリア?」

寝ぼけまなこな僕は、判断能力が著しく低下している…。

「違う!その一つ前だ!!」


「一つ前…」
というと、僕が起きる以前の言葉。

ベル?ベル…?


「ベル、って言ったとお、思うけど」

「なぜだ…なぜルカが、その名を…」

驚きで言葉が続けられていないグランベリア。

その様子に、僕もある可能性を見出す。

「もしかして、もしかして!グランベリアはベルを知っている!?」

グランベリアだって龍人だ、何か、ベルについて知っていて当然だと思うが…。

「ルカが言う、ベルというの者の、種族は何だ…?」

「グランベリアと同じ、龍人族」

驚きと、そして確信を得たのか、ゆっくりと息を漏らした。

「…ベルは、私の」



「私の母の名前だ」


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