アルとベルと暮らしてから五年、ぐらいだろうか。

もう、時間の経過すら覚えていない。

時間の経過の基準といえば、アルの成長だ。

彼はすくすくと元気に育って行って、僕と同じ年になるぐらいから大人びてきた。

剣の稽古も欠かさず、魔物と対峙することもしばし。

人間が二人いるだけあって、魔物達が寄ってくるためである。

正式には天使と人間のハーフと魔物と人間のハーフだが。

「アル、強くなったね」

ベルと共に稽古をしていて、肌で感じることができる。

人間とは思えない俊敏な動きと、力強い一振り。

さすが、魔物と人間のハーフだ。

こういうと皮肉に聞こえるかもしれないが、そうではなくて。

本当にこの世界を救えてしまうのではないか。


だが、救ってしまわれると、それはそれで、僕は…。

こういう板挟みに悩まされるのがよくあった。

「ルカさん、俺、旅に出たい」

そういうアルの瞳には強い信念が見える。

五年前、父親を亡くしてから決心してきたことだ。

今の実力を見ても十分やっていける、当時の僕とは比べ物にならないくらい。


それでも、どこか心の片隅で心配してしまう。

大丈夫だろうとわかっていても。

「私はいいと思うぞ、アルは十分強い」

ベルは「待ってました」と言わんばかりに頷く。

「…そうだね、アルには十分資質がある」

そんな彼女の姿を見たら、賛同せざるおえない。

「本当っ!」

アルは楽しそうに笑った。

「ずっとここにいたんじゃ、視野が狭まる。世界を見てきたほうがいいよ。その方が経験を積める」

「私も同意だ」


それでも、なんだか心配になってしまうのが僕だった。

「じゃあ、今日が最後の稽古になるな」

「あ、明日行くの!?」

もうちょっと準備とか…。


「ルカさん、俺、明日にでも出発したい」


「そ、そう?まぁ、アルがそう言うなら…」

汗汗

アルは嬉しそうにぴょんぴょんはしゃぐ。


天使と人間のハーフである僕にでさえ、魔物は近寄ってきた。

魔物と人間のハーフであるアルも、きっとそうなる。

イリアスの洗礼は受けられない。

きっと、とても辛い旅になるだ。


僕のときのように、アリスはいない。

だから…。

「ねぇ、僕達も一緒に行ったほうがいいのかな」

僕はベルの方へ顔を向けて尋ねてみると、ベルは首を横に振った。

「いや、これはアルの旅だ。アル自身に任せよう」

…そうだよね。

僕とベルがずっと、アルの傍にいることは叶わないはずだ。

いつかは一人立ちしなくてはいけない。この五年間の中で考えてきたことが

まさに、今、その時なのだ。

「ルカさん、任せて。俺は一人でもやっていけるから」

そんな真剣な眼差しを、向けられたら…。

「そう言われちゃぁね…。  アルっ」

「うん」

「頑張れとは言わない。やっていくんだぞ」

「それは、明日言う言葉だと思うよ」


はははっと三人は笑いあった。

「父さん見てて、俺、きっと父さんが作れなかった世界を作って見せるから」




そして、翌日、アルは元気に手を振って僕達の元から旅立っていった。


娘や息子を見送る父親というのは、こういう、気持ちなんだろうか。

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それから数日してから、外れた森の奥に住む僕達でも、アルの噂は小耳に挟むほどだった。

「とても強い勇者が現れた」「本当に人間なのか?」「もしかしたら、魔王を撃破できるかもしれない」

といった感じだ。多少、尾びれがついている気もするが。

アルの実力は相当なものだし、この噂から察するに、元気にやっているのだろう。


「なぁ、ルカ。ルカはアルが一人立ちするまでいるって言っていたけど。もう帰ってしまうのか?」

寂しそうに僕を見つめるベルの視線をしかし、僕は力なく返した。

「いや、ていうか、帰り方がわからない…」

今まで熱中していた子育てのようなものがあったからいいのだが。

アルが旅立ってから、はっきりと現実を突きつけられた気がする。

「僕は一体、何のためにここにいるんだろう…」

たとえば、グレスさんを救うことが僕の目的なのであれば、既に失敗している。

そうなると、永遠にこの世界へ留まることになるのだろうか。

うーんと悩んでいると、寂しそうな表情を浮かべる、ベルの顔が目の前にあった。


「ルカは、やっぱり向こうへ帰るのか…」

「う、うん…。僕にはまだやり残したこと、たくさんあるから」


だから、ここでもやり残したことがないようにしてから、帰らないと。

「私は、ルカに、残ってほしいと思っている…」

ぼそっと口にした言葉を僕は聞き取ってしまった。

「えっ…」


途端に口を押えて首を横に振るベル。

「い、いや、なんでもない。忘れてくれ」


「う、うん」

残酷な一言を聞いてしまった。

全くどうしたものか。

やり残したことがないようにして、なんて、不可能かもしれない。


僕達はその後ショッピングのためにイリアスベルクへ向かった。

先ほどの件も相まって、少しだけぎくしゃくした雰囲気が漂った中だが。

町は相変わらず、アルの武勇伝で一色だった。

数日前に突然現れた勇者が、次々と魔物達を撃破する快進撃を繰り返しているそうだ。


なんか、僕よりもよっぽど勇者っぽいじゃないか。

そんな噂を聞いて、また安堵したのだった。

「あれだな、サキュバス達はもう襲ってこないのかな」

人々が行きかう大通りを歩いている僕は、隣のベルへ声をかけた。

「ここ数年の間、襲ってくると思っていたんだが、そんな素振りもないからな…」

「アルの両親の噂も、いつのまにか消滅してたし…」

うーん、時間が解決してしまったのだろうか。

だが、アルの両親が魔物であるというのは真実なのだ。

それを知られてしまった、どういうことになるのだろうか…。


やっぱり君は、独りになってしまうのかな。


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ショッピングを終えた僕達が、自宅へ帰ろうと歩いていると、焦げ臭い匂いが前方から漂ってきた。

「なんだろう、火事…かな」

森の中で火事なんて起きたら一大事だ。

どこかの魔物辺りが、火の魔法を放って火事とか…。

「ベル、行こう」

「あぁ」

ベルを急かして進んでいくと、炎に包まれたあるモノが目に入った。

開けた森の中。

それは釘が繋ぎとめられた板、四角い形をして、屋根のついた――。



――――――――――――燃えていたのは、僕達の家だった。


僕達が五年という月日を過ごした思い出の形が、今まさに灰となって崩れ落ちようとしていた。


予想することさえできなかったその光景に、僕達は茫然と立ち尽くした。

「な、なんで…」