吹き飛ばした張本人は、変わらず穏やかな表情を浮かべている。

「やっぱりルカ君は駆け出しの勇者なんか、じゃないね、わかっていたけど」


ゆっくりとした足取りでこちらへ向かってくるグレスさんの笑顔が怖い。

「どうして昨日は、スライムなんかに遅れをとっていたのか、不思議なくらいだ」


吹き飛ばされた衝撃を殺したからダメージは少ないけど、グレスさんの家からは随分離れてしまっていた。

「あんな一撃、駆け出しの勇者ならぶっ倒れてます、よ…」

「君は容姿が幼いからね、つい新米さんだと思ってしまう、でも違うようだ…」

麻痺した両手で何とか起き上がる。

「…稽古を素直に受けてくれれば良かったんだけどね」

「…いやぁ、ちょっと難しいですね」

「…」

「こういう状況を作り出したのも、僕と稽古するためですか」

「もちろんさ」

グレスさんが先程ベルを水浴びに行かせたのは、こういう状況を作り出したいがためなんだろう。

誰もいないところで、一対一のやりとり。

「じゃあ、さっきの続き始めようか」

と同時に、横殴りの一撃を、そのまま受け止める。

「これ、もう稽古じゃないでしょ…」

「君にはこれぐらいが丁度いいんじゃないかな、さばいてみて」

「もう、僕が駆け出しの勇者じゃないってわかっただけでいいんじゃないですか」

「そういうわけにはいかないよ…あの子のためにも、ね」

最後の方は、低く小さな声で聞き取ることができなかった。

そんなやんわかほんわかグレスさんの口調とは似ても似つかない、大きい衝撃を更に剣で受け止める。

二人の剣が重なり、力と力で押し合って、震える。

「もっと力、出してもいいんだよ?」

グレスさんは僕の中に眠っている力でも見透かしたように言う。

出してもいいんだが…。


今の状況では、精霊達とも意思疎通ができないため、僕の中に、半分流れいている血。

「天使の力」を行使することになってしまう。

そうなると色々とめんどくさいことに…。

だから、自分の技術とアリスに教えてもらったチート技で切り抜けるしかないだろう。

でも、これ使っていいのやら。

一度、グレスさんの剣を弾き飛ばして、距離をとる。

しかし、森の中ということもありうまく、距離を開けることはできない。

それでも、この隙で体勢を立て直せば。

「行くよ、ルカ君!」


すぐに開いた距離を詰めて、片手剣を振り上げてくるグレスさん

単純な攻防戦で役に立つといえば、やはり自分が流れる水になること。

流れる水というのは、障害があればそれを避けるように流れ。

隙が出来れば、そこに流れ込むように相手を圧倒する技。

明鏡止水。

一対一なら集中力もそこまで必要としない。

グレスさんがフェイントをかけて、軌道を変えた攻撃をも、僕は流れるように避ける。

これを、稽古とは―――呼ばない!!

もはやバトルである。VSだVS!

「これは…」

グレスさんは珍しそうに僕の様子を見ている。

そして、口元に柔らかな笑みを浮かべながら、僕の首元を狙って突きを繰り出す。

――もはや、殺しに来てないですかね…。

余計なことを考えそうになるのをなんとか抑えて、すっと首をずらすと、僕の首を追いかけるように剣も突いてきた。

僕はすぐに体を落として、グレスさんの懐へ入り込み…。


グレスさんを突き飛ばそうとするが。

「逃げさないよ」

と、手をつかまれて、首元に突きつけられた剣。

何かこの感覚、昨日の夜も味わった気がするけど、何回死に掛けてんだ僕…。

「降参、降参です…」

両手を挙げてははっと苦笑いすると、グレスさんの手が離れた。

「どうやら最後まで、見せてくれないみたいだね」

グレスさんの柔らかな瞳から、鋭い光が僕の目へ突き抜ける。

うっ…。

「何を言ってるんですか…確かに駆け出しではないですけど、僕はそこまで力が強いわけじゃないですよ」

剣を引いてくれたグレスさんに、僕はそう言うしかなかった。

もしかして、天使の力のことバレているのか?いや、そんなはずはない。

「そういうことにしておくよ、さぁ、戻ろうか」

ぽんぽんと頭を撫でててくれる。

随分、吹き飛ばされたため、家までの道のりは遠い。

グレスさんは僕から離れる寸前に「懐に入った時、なんだってできたのに、それをしなかった。君は優しいね」といつも通りの優しい微笑み。

確かにそうだ、僕はあの一瞬、選択を躊躇った。

魔物であれば、傷つけることはないし、力を封じることができる、それだけだ。

生身の人間となるとどうだろ。

その傷で血が出る、精神が削れる。


関係が断たれる。

それがどうしようもなく怖かった。

明確な目的もないのに剣を振るうのは、怖い。

はぁっとため息を着いて、グレスさんの背中に僕はこういった。

「…僕はもう、こんなことしたくないです」


「…」

しばし無言の後「すまない」と細い声でそう言った。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


それからベルがさっぱりした顔で戻ってくると、森のある一部、空洞ができているのに驚き。

「どうした!?敵襲か!」という風に食って掛って来た為。

「いや、ちょっと魔物の変異種が出て、グレスさんが戦ってくれたみたいで…」

という風に誤魔化しておいた。

「なんで私も呼ばないんだ!?力試しに戦っても良かったのだぞ」

「あはは、呼んでいる余裕なかったから…」

ぐいぐい来るベルを何とか押しとどめる。

「次何か来たら私もいくからな、絶対だからなっ」

「あーはいはい」

毎回敵襲なんか来られちゃだめだろう…。



その日の夜、僕はグレスさんに起こされて外へと出て行く。

昨日と同じく、雲ひとつない夜空が一面に広がっていた。

「どうしたんです、か?」

本格的に眠りに入っていた僕は、目を擦りながら、グレスさんの背中に声をかけた。

「ルカ君…君は稽古の時。私に攻撃するか、否かを躊躇ったね」

グレスさんは開口そんなことを言った。

「そうですね…人と戦うことなんてあまり、なかったですから」

「そう…。私があの状況なら迷わず、切っていたはずさ」

僕はその答えに何の意図があるのか、見えなかった。

それでも、度々に見える、優しさとは正反対の残酷さというものを、グレスさんは持ち合わせている。


スライムにとてつもない威圧を放っていたり、僕に対して桁違いな攻撃を放ったり…。


あの状況でグレスさんは「切る」といっていた。

つまり立場が逆なら、僕の腹部から肩にかけて、ざっくりぱっくり行っていたかも知れない。そう思うと寒気がした。

魔物VS人間の中に身をおいてきたにも関わらず、ここで人間に殺されるなんて笑えない。


「躊躇うことは、弱いと思うかい?」

「…弱いと思いますけど…。だって、あれが敵意剥き出しの人間なら僕は…」

「私は、躊躇うことなんて、なかったんだ、だから、躊躇う君が羨ましい」


いまいち、言っている意味がわからないというか、年長者はやっぱり詩人である。

「躊躇うことは弱いことじゃない、私は強いとさえ思える」

僕に向ける視線は、どこか温かさを増していた。

「君は私の身を案じたんだ、だから手を止めた。それは優しくあり、強くもある、自分の身を顧みない優しさ…」

「私にもそれがあれば」そう呟くグレスさんは目を伏せる。

それは遠いし日に思いをはせているように。

「私は近づく者を切って切って切りまくった、躊躇いも無く躊躇も無く、切っていくうちに私の良心も比例して磨り減っていった」

「グレスさん…」

「妻と出会ってからそんなことはなかったんだが、逃げ回っているうちにまた、私は堕ちていった」

目を伏せて、今の現状を告白するグレスさんの姿は痛々しかった。

「切って切って、切り抜けてきてやっとこの状況なら、本当に私は無力だ」

「そんな、グレスさんはアルやベルをずっと助けてきたのあれば、無力なんかじゃありませんよ」

更に堕ちていきそうになるグレスさんを何とか、這い上がらせたい一心で僕は口を開いた。

「ベルは言ってましたよ、自分を変えてくれた人だって」

「あの子は素質があった。あの子に後を任せていたら、きっと違う結末があったんじゃないか。そう思うよ」

「けつ、まつ…」

まだ、結末になど辿りついていない。まだグレスさんの物語は続いているはずなのに。

寂しそうに語るグレスさんに対して、僕は嫌な予感が募ってきた。

止めなくてはいけない。

でも

言葉は出なかった。安易な言葉じゃ止めることなんて不可能だから。

「こんな力があったとしても…娘や妻を守れないんじゃ、何の意味もないんだ」

奥歯をかみ締めたのか、ガリッという音が静かな夜に大きく響いて聞こえた。

「何の、意味もっ…」

力強く握り締めた拳が静かに震え、凄惨な現実に目を向けたくないように、強く目を瞑った。

「この状況を打破できるピースは、私じゃないんだ」

か細い声でそう言うと、またやんわりとした表情を浮かべるグレスさん。

それが偽者に見えて僕は、仕方なかった。

「すまない、話に付き合ってもらってしまって、こういうことを話せるのは、ルカ君だけだったから…」

「あ、あぁ…いえ」

何か声をかけてあげなくてはいけないとわかっていながら、僕は空気を吸って、吐くしかできない。

不用意な言葉が、更にその傷を抉るかもしれないから。


僕はこの夜、グレスさんの懺悔を聞いてるだけの役立たずだった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――